「 これくらいのお弁当箱に 」



 鶏の唐揚げはたっぷりの生姜と醤油に前の晩から漬けておき、片栗粉をまぶしてからりと揚げる。
副菜は筑前煮、春菊の胡麻和え、ポテトサラダ。多少甘すぎる感のある玉子焼きはまあ、疲れには
いい。隙間は茹でて芥子醤油と絡めたブロッコリーとミニトマトが埋める。ご飯の上部と中間部には
海苔とおかか、醤油をちょろりと垂らしてある。隅っこには箸休めの梅干しと大根の柚子風味の甘酢
漬けと小女子の佃煮。どれも自家製だ。別の容器にはりんごが半分。変色予防にあらかじめ塩水に
浸してある。以上が本日のナイレンの昼食である。見た目同様、味も百点満点だ。
 昼飯時に重箱と見紛う巨大な弁当箱を広げるとこのような有様なので、ナイレンという男を知らぬ
者はおいしそうなお弁当ですね、奥様は料理がお得意なんですか?と悪気なく地雷を踏んでしまう。
あいにくナイレンは妻を亡くして久しく、隠したところでどうせそのうち知ることになるので適当なことも
言えない。それで渋々、いえ実は…と胃にも重たい身の上話を打ち明ける羽目になる。だからそこの
ところ、空気を読んでうまく回避してもらえないかと内心願ってはいるものの、世の中望みどおり事が
運ぶと限らない。別に隠したいような事実があるわけでもないが、こうしてナイレンの家庭の事情の
大半は昼休み中に知られてしまう流れになる。原因はこの弁当にあるといっていい。それでも弁当は
必要ないと言わないナイレンである。飽きないように日々工夫を凝らし、栄養の配分も考えてあって、
何より本当に嬉しそうに空の弁当を受け取る息子がいるので。
 そうだ、息子だ。息子なんだよなあと、手際よく味噌汁の具を刻む今朝の息子の後姿を思い出す。
あるいは重く中身の詰まった弁当を手渡して、いってらっしゃい気をつけてな、と幼く笑う顔。娘では
なかったはずだが、父子家庭という環境が悪かったんだろうか。昔から器用だったけれども、今じゃ
いつ嫁に出しても恥ずかしくない家事スキルを身につけてしまった有様だ。嫁に出す予定はないが。
それはともかく、まあ、あのやんちゃ坊主だ、あれを嫁にもらいたい物好きなんて…もしかするといる
かもしれないが。何せ息子はたいそう顔がいい。しかも黙っていればどこぞの御令嬢のような雰囲気
さえ漂わせる。そう、黙っていれば。おとなしくしていれば。あり得ない仮定だと鼻で笑うのは容易い。
しかし、万が一ということもある。お前こそ暗くなってから外出するなら気をつけろよと今朝もきちんと
言い聞かせたかと急に不安になって、携帯を見る。着信も留守電もなく、保護者に緊急連絡といった
こともないようだ。大仰にほっと胸を撫で下ろす。
 いやいや、何も心配することはない。我が家には幾度となく表彰を受け、怪我により惜しまれつつ
引退した優秀な警察犬である愛犬と、その頼もしい息子もいるじゃないか。遅くに外出するときなど
散歩がてら連れていくよう普段から言いつけてあるが、わざわざ言われなくともあの犬馬鹿なら連れ
歩くだろうから心配は無用だろう。一度は喪っている身、この程度の過保護もご愛嬌だ。順調に箸を
進めながら同僚との世間話の合間にもそんなことをつらつら考えて、短い昼休みは過ぎていく。

 夕方のスーパーはタイムセール狙いの主婦でごった返している。ユーリとてそれは同じだ。今朝の
チラシでチェック済みの大根、寒ブリの切り身、納豆と、それから店内をぶらり回って目ぼしいものが
あれば買うつもりだ。大根はおでんかふろふき、寒ブリは照り焼きにしようと思っているけれど新鮮な
アラがあるならブリ大根に切り替えるのもいいかもしれない。鍋の材料セットやスープが視界に入り、
鍋でもいいなと思っていると、鮮魚売り場で良さげなアラを見つけてやはり今日はブリ大根と決める。
あとはキャベツが安かったからもやしを買い足して、買い置きの豚バラとにんじんでシンプルな蒸し
野菜にしよう。今朝の筑前煮と春菊の胡麻和えの残りもあるし、夕食はこれでいい。明日の弁当の
おかずはブリの照り焼きにするとして、野菜のおかずはかぼちゃの煮物なんてどうかな等々、献立を
考えながらなので四十分弱、他のことは即断即決のユーリにしては珍しい長考時間を含む買い物を
終えて店を出る。
 店先には一目で親子とわかるよく似た大小の犬が行儀よく座っていた。ここで待っていろと言えば
ハチ公よろしく何日でも何ヶ月でも待っているのに、車止めにリードを結んでおかなくてはならない。
本当は嫌だけれど、そんじょそこらの犬とは出来が違うと知らぬ人間のほうが多い場所では仕方が
ない。あいつらだってなんで繋がれるのかちゃんとわかってるさと父ちゃんは言う。もちろんそうだ、
そんなことぐらい理解しているからこそ誰が見ても利口だとわかるようにキリッとした顔つきで待って
いる。だから安心してのんびり買い物もできるのだ。
 待たせてごめんなと二頭の頭を順番にわしゃわしゃ掻き混ぜて、解いたリードの端っこをしっかと
持って歩き出す。ユーリ遅いよ!とばかりにキャンと高い声で鳴くのは息子のほう。まだまだ子犬で
やんちゃしたい盛りの弟分だ。抱っこもしてやりたいけれど、今は食材のほうが大事。そんな様子を
見、親犬のほうはもし二本足で歩けたら荷物を持ってやろうかと言い出しかねない気遣わしげな目を
して人間の心配もしている始末。また父ちゃんに何か余計なことでも吹き込まれたのだろうか。この
父親たちはどうも心配性が過ぎるきらいがある。夕食の支度が終わったら遊ぼうなと跳ねる子犬を
なんとか宥めすかし、食材が傷まない程度、少しだけ遠回りして短い散歩を楽しむ。





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