※死にネタ注意!




「 World Wide Hide-and-Seek 」




 ルーイは物心ついたときからの相棒で、今は一緒に郊外で何でも屋みたいな
ことをやっている。何でも屋は文字通り、何でもやる商売だ。屋根のペンキ塗り
から壊れたカメラの修理、ペットの散歩から時には人に言えないようなことまで。
危ない橋はいくつも渡った。その分、危険の伴う仕事を請け負う場合には割に
合う報酬をきちんといただくからそれほど悪い商売じゃない。とはいえこのご時世
大金が舞い込む仕事なんてのはそうそうないわけで、俺たちはどこにでもある
ようなごく普通の慎ましい生活を送っていた。所詮ペットの散歩なんかじゃ毎日
ご馳走にはありつけないのだ。そろそろ久しぶりにいいワインでも飲みたいなと
思っていたそこに現れた新しいお客さんは黒髪に黒い目の、やけに顔色の悪い
東洋人だった。どんな伝手でここを知ったにしろ、厄介な仕事を持ち込んでくれた
のはすぐにわかった。鉄錆の臭いを伴って肩口から流れる鮮血は間違いなく銃に
よるもので、貫通しているのが幸いだった。病院には行けない事情があるとかで
少しは手当ても出来るルーイが簡単な処置で済ました。久々の大きい仕事だと
いう期待感と、果たして俺たちに手に負えるものなのかという不安がせめぎあう。
そんな俺たちに依頼してきたのは実に奇妙な仕事だった。彼はトランクひとつを
大事そうに抱えて、中には白い錠剤のシートだけがぎっしり詰め込まれていた。
そして「これがなくなるまで私を護衛してほしい」と彼は言った。新手の麻薬の
売人か何かかと思ったけど、この錠剤は彼が持病のために飲む薬であるそうだ。
いまだ判断のつけられない俺たちに決定打を与えたのは軽く二、三年は遊んで
暮らせそうな札束の山。「他にも必要となればその都度作って差し上げますよ」
東洋人は笑う。まるで錬金術でも使えるような言い草だ。この依頼には何だか
俺たちの想像も及ばない深い事情が隠されていそうだ。首の後ろがピリピリと
痺れて、ルーイと目配せする。単なる護衛では済まされない、これまで以上に
ヤバイ仕事だろうなってことは薄々感じながらも、俺たちは新札の香りの誘惑
には逆らえず結局は了承してしまった。依頼人は菊とだけ名乗った。それから
菊は俺たちが借りている家に住むことになった。俺は好きでよく料理もするし、
ルーイはそれが趣味なの?ってぐらい掃除が好きだから男二人で暮らしてても
そんなにひどい有様だとは思ってなかったんだけど、俺たちがそんなに好きじゃ
ない洗濯だとかアイロン掛けとか食器洗いとか、何日かすると菊はそれらを自ら
買って出てくれた。「居候させていただいてるわけですから…」と最初とは別人の
ように優しく笑う菊に俺は変な依頼人だなあと思った。菊は生活するのに何にも
荷物を持ってこなかったから調達に出かけてるあいだご飯を作っててくれることも
あった。「おかえりなさい、口に合うと嬉しいんですけれど」と出してくれた他人の
手料理。俺はまた変だなと思った。菊じゃなくて、俺が変になっていた。ルーイは
相棒で、もしくは共犯者で、だからお互いおかえりなんて言ったことも言われた
こともない。おかえりなさいなんてありふれた一言が何故かわからないけどすごく
すごく、特別なものに思えた。それはルーイにとっても同じことだったらしい。護衛
という立場上、菊ひとりを置いて出かけることはほとんどないけど、家を出るとき
帰るとき、必ず耳にする「いってらっしゃい」「おかえりなさい」って菊の声。昔から
それが当たり前だったみたいによく耳に馴染んでいって、それがおかしなぐらい
嬉しかった。不思議な感覚だった。菊は毎日毎日、持ち込んだ薬を飲んでいる。
「菊の病気ってなに?」って聞いてもたいしたことはないんですってごまかされて
教えてくれない。食事のたびパキパキと音を立ててシートから零れる錠剤の数は
どう見たって尋常じゃない。本当はすごく重い病気なんじゃないかと思ったら胸が
ぎゅうぎゅうと締めつけられるみたいで、また俺の知らない変な気持ちにさせる。
平穏な日々はひと月ぐらいで終わりを告げ、当初の危惧通り本格的な追っ手が
やって来た。相手が銃を持っているならこちらも銃で反撃するしかない。今後の
ためにも全員口封じをして、俺たちは長く住んだ町を離れることにした。依頼を
引き受けるときに全部覚悟は出来ていたし、殺しだって初めてじゃないし、この
田舎町もたまたま長く住んでいただけで特に何の感傷も湧かなかった。ただ菊は
どんな顔をしてるだろうって思った。すると菊は俺たちの頬を順番に引っ叩いた。
あまりに唐突で、予想外で、避けるという選択も思いつかなかった。「全員殺す
必要はなかったでしょう?!」菊は怒りのあまり震える拳を握り締めていた。でも
これは菊のために、全部依頼人を守るためにしたことなのにどうして怒られなきゃ
いけないんだろう。俺は菊のために正しいことをしたのに。ルーイも呆然として
いる。菊のほうが間違っている。俺が睨むと菊は「そんなことをしたら次はあなた
たちが報復されるかもしれないんですよ?!」と菊は出会ってから今まで聞いた
こともない声で怒鳴る。そんなこと今更だ。だってあの札束の山は俺たち二人の
命の値段を含めてのものだったんだ。それを聞いて菊は「命の値段はあんなに
安いものではありません、もちろんあなたがた二人の命も」って赤くなった頬に
今度は癒すように触れてきた。なにきれいごと言ってるんだって思うと同時に、
そのとき俺はたぶん、生まれて初めて"怒られた"んじゃなく"叱られた"んだと
思った。俺とルーイが育ったのは貧富の差の激しい都会の下町で、ひどく荒廃
した場所だった。俺たちは実の親のことを何も知らない。赤ん坊の頃、同時期に
捨てられていたのだと育ての親であるマフィアの下っ端をしていた老年の男は
そう言っていた。何かやむにやまれぬ事情があって捨てられたのか、それとも
元々望まれない命だったから捨てられたのか、俺たちには知りようがないし最早
どうでもよかった。読み書きを教わるより早く人様の懐から財布を掠め取ることを
覚えて、育ての親が死ぬ前には悪いことはひと通りやった。故郷を追われたのは
二人で好き勝手やってたのをより強い連中に煙たがられて町にいられなくなった
からだ。同じ悪いことをするにもルールが要るなんて面倒なことだ。俺たちを縛る
ルールなんて要らない。小悪党から足を洗って何でも屋を始めたのはあの世界に
嫌気が差したせいだ。俺たちは俺たちのルールで生きていくんだ、それで野垂れ
死んだって構わない。どうせ端から捨てられてた命なんだから。なのに何で菊は
そんな風に俺たちを叱るんだろう?きっと菊は俺たちの生きてきたドブ臭い世界を
知らないのだ。菊は世の中の汚いものなんて何にも知らないんだろう?お金さえ
あれば明日も生きていられたはずの貧しい人々を。力さえあれば死なずに済んだ
弱い人々を。きれいなものに囲まれて優しいものに囲まれて、穏やかに苦しみも
なく生きてきて、この件が済めばこれからもそうやって生きていくんだろう?菊は
ただの依頼人で、俺たちははした金のために何でもする、人だって殺せるクズ
なんだよ。世界が違いすぎるんだよ。だから余計な口を出さないでって言う前に、
ずっと俺の話を黙って聞いていた菊は「泣かないでください」って困ったように
笑う。泣いてなんかいないよと言おうとしたら、目からぽろぽろ温い水が零れて
一体何だろうと思った。「フェリシアーノ君もルートヴィッヒさんも、クズなんかじゃ
ありませんよ」菊の言葉は気休めに過ぎないことはわかってる。俺たちが平然と
やってきたことはたとえ死んでも拭いきれるものじゃない。みんなが忘れても、
誰も気づかなくても、ずっとずっと俺たちの中に残り続ける。それでも菊の手は
優しくて、俺はずっと泣きたかった、本当はこんな風になりたくはなかったんだと
思って泣いた。すべての後始末を終えると菊は自分より大きな俺たちを何かから
守るように抱きしめて一緒に眠ってくれた。ベッドは狭いのに、久々に気持ちよく
眠れた気がした。町を出る朝、早々に起き出した菊は十分ほどパソコンを操作
して現金を調達に行くと言って出かけていった。追っ手は片付けたばかりだし、
ひとりで大丈夫とは言ったけれど心配になる。すぐに帰って来てほっとしてると
家を出たときは空だったはずのバッグいっぱいに世界中どこでも専用ジェットで
行けそうな札束が入っていた。散々悪いことをしてきた俺たちだけど、さすがに
呆れた。菊は犯罪なんてものに関わりなく生きてるように見えたから。さらには
「さて、次はどこに行きましょうか?」と戸籍もないはずの俺たちのパスポートを
用意して、菊は昨日のことなんて何もなかったかのように笑っていた。まるで
長い付き合いの友人三人でどこか旅行に行くみたいなワクワク感が沸いてくる。
俺とルーイのあいだに"よほどのことがない限り、不用意に人を傷つけない"と
いう暗黙のルールが出来たのはこのときのことだ。俺たちを縛るルールは嫌い
だけど、不思議なことにこれはあんまり嫌じゃなかった。





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