「 CMYK and world 」



 明星壱号から放たれた巨大な光の柱はなまくら刀を振り下ろしたがごとく獲物の表面でぴたりと
止まる。押し戻されるほどの強い反発はなくとも、このままでは押し切ることも叶わぬままいずれ
力尽きてしまうだろう。地上最強の黒獅子と謳われた力量を以ってしても及ばないのではない、
単純に精霊の集めた力が足りないのだ。あと少し、あとほんの少しだけ精霊の、世界中の魔核に
宿る始祖の隷長の意志、魂の力があれば彼らの同胞の成れの果てたる星喰みにもきっと届く、
必ず届くというのに、なんて口惜しい。しかし、もはや後には引けない。この機を逃せばすべての
人間の生命と引き換えにする他に世界を救う方法はなくなる。たとえ災厄を招いた原因が人間に
あろうとも、世界という大きな括りの中には人間だって当然含まれているはずなのだ。その事実
から目を背けて世界を守る、それは果たして正しい選択といえるのか。少なくともユーリにとって
反吐の出る選択だ。彼の言葉どおり、あのとき滅びておけばよかったといつか悔いる日が来ると
してもこれだけは譲れない、どうしても譲ってやれない。守りたいものを守れないで何が"世界を
守る"だアホくさい。そうだ、あと少しでいいんなら材料はここにだって。
 そうとなれば決断は早く、迷いの欠片もない。最初の精霊を生み出した瞬間から心のどこかで
覚悟していたことだ、今更迷ったりしない。おいデューク、今すぐソレで俺をぶっ刺せ。ソレ、とは
デュークが握る宙の戒典だった。あいにく両手が塞がっちまって、悪ィけど手伝ってくんねーか?
仲間には頼めそうにねえし。笑みさえ浮かべているユーリがあまりにも普段と変わりなく、まるで
背中を掻いてくれとでも頼んでいるような気安い態度だったので、仲間の誰もがこの期に及んで
いったい何を、といった表情をしている。が、デュークにはその真意を汲み取るために必要な古い
思い出がある。
「お前のような半端者には無理だ」
 故に、きっぱりと切り捨てた。うっせ、やってみなきゃわかんねえだろとなおも言い募るユーリに
再度お前では無理だと断言し、そして、何故そこまでして人間を庇うのだと、人の身でありながら
人を否定する男が虚ろに問う。さあな、けど俺も誰かさんに似ちまったんじゃねえかと皮肉めいた
笑みを見せるユーリが言わんとすることを理解できるのはこの場においてデュークしかいない。
仲間は皆一様に何を悠長に無駄話に興じているのか、決してそんな余裕を持てる状況ではない
だろうにと八つ当たりにも似た焦燥が見て取れる。蚊帳の外に置いてしまって申し訳ないと思う
けれど、はじめから終わりまで説明してやる猶予はない。今はとにかく一刻も早く。あとは仲間が
何とかしてくれるはず。だから、大丈夫だ。
「いいや駄目だ。そのような無謀な賭け、私が許すと思うのか」
 無謀でもなんでもこのままじゃ俺ら人間はみんなアンタに滅ぼされるんだろ、どの道死ぬんだ、
最期ぐらい俺に決めさせろ。人間ではないくせにと反論も許さぬ強固な意志を宿したまなざしが
同じ人間ですら畏怖する赤い瞳をまっすぐ射抜く。裏切り者と謗られて、気が狂ったと笑われて、
それでも人間との共存を唱えた今は亡き始祖の隷長。白銀に輝く固い鱗に覆われた美しい竜は
歴史に学ぶこともせず愚を繰り返す人間を嘲ることもなく、彼らの持つ可能性について常に憧憬
と希望を持ち続け、最期はその人間の手にかかって死んだ。姿形こそ違えど、彼は父によく似て
いる。いっそ異母姉のように完全な始祖の隷長であったなら人間を警戒し続けただろうか。己が
使命に忠実であっただろうか。それともやはり彼女と同じで、結局は精霊なる存在に身を転じて
いただろうか。手遅れであったなら、いくらか諦めもついたというのに。
 どうして、どうして彼まで。詮のない問いかけばかりが年端のいかぬ子供の駄々ように喉元へ
迫り上がっては消えていく。どうして彼らは揃いも揃って愚かで醜い人間を好きだというのだろう。
デュークの内に重い感情ばかりが澱のように折り重なって沈む。
 彼を半端者と呼んだのはエルシフルが最初だった。数百、数千年の単位で時を重ねる始祖の
隷長は知性のみならずあらゆる面において他の生物に引けを取らぬ能力を有する。姿を擬える
ことなど造作もない。反面、必ずしも血統や遺伝によって受け継がれるものではないので子孫を
残す意欲に乏しい。エルシフルはそういった始祖の隷長の中で少数派というより、完全な異端者
だった。人間の娘とのあいだに生まれたという赤子は対面の機会を得たとき、すでに人間と同じ
姿をしていた。どうやら母親の血のほうが濃いらしい。エアルを調整する能力も微々たるものに
過ぎず、人間の姿のまま年を重ね、人間の寿命に従って聖核も残さず死ぬだろうと。そのため、
彼は物心つく前から人間社会で人間に親しんで生活させることになった。離れて暮らしていれば
親子の縁や愛情が消えるわけではない。やがて人間との戦争の気配が迫る。俺だって戦える、
どうして一緒に行けないの。父や姉の身を案じ、せめて同道を願う幼子に、エルシフルは毅然と
お前が半端者だからだと言い放った。幼く未熟な彼を慮ったに違いない。あるいは人間と始祖の
隷長が争うことのない、まだ見ぬ理想の世界がいつの日か実現すると、途方もない夢を託しての
ことだったかもしれない。その結果があえなく潰えた夢の骸、友の墓標だ。
 人間の手にあるべきではない宙の戒典を帝国から奪取した際、デュークは彼も連れていこうと
思った。人の世にあっては遠からずあの惨劇を繰り返してしまうだろう。それだけはなんとしても
避けたい。だが差し伸べた手を彼自身が拒んだ。ここに守りたいものがあるんだ、だからアンタと
一緒に行けない。結界に閉じこもる人間の世界など作り物の箱庭にも劣る。ここには守る価値の
あるものなど何もない。世界を守るには重すぎる、背負いきれないとでも言いたいのか。始祖の
隷長の誇りを捨て、使命を放棄するのか。険しい表情で詰問するデュークに、それでも俺は俺を
曲げられないと幼いなりに精一杯背伸びして睨み返した。それを肯定と受け止めて以来、ずっと
会っていなかった。彼は人間として生き、人間として死ぬつもりなのだろうから友の遺児とはいえ
気にかけてやる必要もない。あれは無知蒙昧な人間の子なのだと忘れたつもりだった。期せず
して再会するまでは。広い世界を得た彼は目覚しい成長を遂げていった。真実に真っ向から立ち
向かい、失意、憎悪、あらゆる負の感情を経ても人間を信じる。人間が好きだ、守りたいと言う。
命すら投げ出そうとした。まったく理解しがたい。どうしてお前たちは、そうまでして、人間を。血を
吐くような呟きがついに零れる。ヘッと独特の笑い声をあげて彼は笑った。
「俺はただ、好きなやつを守りたいだけなんだよ」
 この世界に住まう人間すべての生命力を吸い上げる術式、対象はその中心に立つ男とて例外
ではない。それは阻止しなければならない。友の願いだけを拠り所に、人間と始祖の隷長、現と
幻の合間を漂泊する男。如何に本人が望むまいと男は人間であり、ユーリの最も古い思い出に
ある人物であることに何ら違いはないのだ。父がいて姉がいて、それから、それから。野山を駆け
回り、草むらを転がってぼさぼさの黒髪を優しく梳いて窘めるように低くその名を呼ぶ声の主は、
どうして父が人間と共に生きようとしたのか、答えを知るきっかけをくれた存在だったはずだ。なあ
デューク、聞いてくれよ!俺にも友達ができたんだ、金色で、キラキラで、宝石みたいな青い目で
すっごくキレイでさ!
 彼の仲間を見回しみても合致する容姿の者はいない。どこか別の場所で無事の帰還を待って
いるのか、それとも彼らの友情はとうに破綻してしまっているのか。そうでないなら会ってみたいと
思った。人間と始祖の隷長、そのどちらでもない者までが手を取り合って生きる、まだ見ぬ理想の
世界。ここが世界の終点ではないと彼らは言う。世界はまだ進化する余地を残していると。信じて
みたい、まだ見ぬ新しい世界を。それはきっと白と黒の無味乾燥な世界ではなく、色彩が溢れん
ばかりの輝かしい世界なのだろう。





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