「 続・アンダルシア便り 」



 さあ行くでえ!と随分と年期が入った日本の自動車メーカーのロゴ入り軽トラに
アントーニョは気合を入れて乗り込んだ。少しぐらい乱暴にドアを閉めても簡単に
壊れたりしないその耐久性はすでに世界中が認めるところである。隣には菊が
乗り込み、その膝の上は幼いロヴィーノの特等席だ。最初の一度だけ二人の
あいだに座らせたことがあるのだが、シフトレバーがこれまたちょうどいい具合に
男の子の大事なところに直撃しかねない位置にあるもので本人の強い希望も
あって定位置はそこと決まった。自身の座る運転席と、菊とロヴィーノまとめて
留める助手席の両方をシートベルトよーし!とアントーニョが確認を済ませれば
いよいよ出発となる。キーを回せば何か引っかかりを感じる不安なエンジン音が
響き、ブレーキレバーを外すとすうっと走り出す軽トラが目指すは普通に走れば
十五分とかからないスーパーだ。普段は農作業の道具や収穫したトマトを乗せる
軽トラは自家用も兼ねている。買い物やドライブには向かないデザインだが今は
我慢だ。もう少しお金が溜まったら三人で遊園地や動物園に出かけるための
ファミリー向けの大きめで見映えもよく長持ちする日本車を買う予定なのだが、
目下のところは中古の日本製軽トラがカリエド家のメインカーである。色味の濃い
青空の下を温度は高くても湿気の少ない気持ちのいい風が窓から窓へと吹き
抜けて畑から畑へ渡っていく。全開の窓からロヴィーノが落ちてしまわないよう
しっかりと抱きとめながら、でたらめの鼻歌を奏で運転するアントーニョの横顔を
菊は微笑ましく見つめている。すると突如ロヴィーノがくまのくもだ!と左前方を
指差した。アントーニョはほんまやなあと安全運転もそっちのけでそちらを見る。
青空の端っこでもくもく立ち昇る雲がテディベアのような形に見えるのだ。本当
ですねえと菊も応じつつアントーニョの代わりに周囲に気を配る。とはいえこんな
田舎道では対向車ひとつ、歩行者ひとり見かけないのだが。それより入道雲が
顔を出したということはもしかすると一雨来るかもしれない。乾いた土にちょうど
いい程度に降ってくれればいいが、降りすぎるとせっかくのトマトの旨味を薄めて
しまう。自然相手の農業はなかなか難しいものだ。雷様がゴロゴロ鳴り出したら
どうすればいいか知ってますか?と菊は心地いい振動に眠気が襲ってきたのか
妙におとなしいロヴィーノに尋ねる。どうすんだ?と素直に菊の顔を見上げて首を
傾げるとアントーニョはおへそを隠さんとあかんのやでえと代わりに答え、そして
怪談話でもするような声色で、せやないと悪い子は雷さんにおへそを取られて
まうんやあ、ひっひっひ!と脅しをかける。小さな体が恐怖に強張ったのが菊の
手にも伝わってなんとも愛しい。アントーニョがつい意地の悪いことを言いたく
なってしまうのも仕方がない。大丈夫ですよ、ロヴィーノくんはいい子ですから
雷様もきっと見逃してくれますよ、ね?と頭を撫でてやると照れたように子供扱い
すんなちくしょーが!と恥ずかしそうにその手を振り払う。その反抗的な態度も
また愛しくてしょうがないから子供というのは不思議だ。そうこうしているうちに
目当てのスーパーも見えてきた。駐車場に車を止め、アントーニョとロヴィーノは
競争でもするように出入り口にに駆けて行く。遅れて菊が駆けつけるとカートの
上にはすでに買い物カゴとロヴィーノが乗せられて準備が整っていた。残る菊の
仕事は栄養と財布を考慮した献立を捻りつつ、よりいい品物を選んでカゴに放る
のみでカートを押すのはもっぱらアントーニョの仕事だ。気持ちが逸って仕方ない
らしい二人は少しもじっとしていられないとばかりにあれやこれや手にとっては
菊に必要かどうか聞いてくる。トマトは売るほどあるからいいとしてじゃがいもは
毛嫌いするロヴィーノが食べてくれるかどうか。ならば、と菊は今日はカレーに
しましょうかねとつぶやくとアントーニョはトマトは?トマトは入るん?と心配げに
聞いてくる。もちろんですと菊は頷いてほかの具材についても思案する。カレー
ルーは菊の故郷から大量に持ち込んでいるのでカリエド家ではいつでも日本の
カレーが味わえるようになっている。じゃがいも嫌いのロヴィーノでも欠片ひとつ
残さず平らげてしまう二人ともお気に入りの日本食のひとつだ。だがカレーだけ
では栄養が偏ってしまう。副菜や明日以降に必要な野菜類は抜かりなくカゴに
納め終えて、今回はシーフードカレーにしましょうねと言った途端、ロヴィーノ!
しっかりつかまってるんやで!の掛け声でカートはドリフト走行で魚介売り場に
向かって疾走した。店員に平に謝りつつ、菊も早足で追いかければここでも同じ
あれやこれやの質問責めが待っていて苦笑するしかない。最後にパン売り場で
三人分の揚げたての甘いチュロスをカゴに乗せて買い物は以上だ。支払いも
終えてチュロスをかじりながらカートのまま駐車場に出るとどうやら予感の通り
雲行きは怪しく、湿気のある風が吹く。今度の競争には菊も加わり、急ぎ荷台に
乗せた買い物袋が濡れないようにシートをかけて、そのあいだアントーニョが
カートを戻してくるとその帰りを待っていたかのようにぽつぽつとフロントガラスに
雨粒が水玉模様を描き、遠雷がロヴィーノの恐怖を誘う。ちょっとした悪戯心で
おへそは隠しましたか?と覗き込むと菊の膝の上でロヴィーノはおなかに手を
当てて深刻な顔をしてこくこくと頷く。何か菊の知らないやんちゃをしでかした
自覚があるようで菊はこっそり笑んでいる。そうして本日二度目のシートベルト
よーし!の掛け声で軽トラは走り出す。幸いにも家に着く頃には止んでいた雨が
嫌な湿気を生み出している。それもどうせすぐに強い陽射しが吹き飛ばしてしまう
だろう。そしてこの雨の副産物に三人は顔を綻ばせる。一面のトマト畑の向こうに
虹がきらめいている。菊、虹だぞ!早う根元の宝を探しに行かんと!とはしゃぐ
二人の姿を台所の窓から見守りながら、菊はカリエド家オリジナルカレーための
トマトを刻む。





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