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80年代は、テクノポップ、パンク、ファンク、ノイズミュージック、スカ、ダブ、アンビエント、インダストリアル、、、これらの音楽を「ニューウェーブ」と一口に呼称した。

今思うと乱暴極まりない括りではあるが、当時の感覚ではそれで良かった様に思う

「先鋭的であるか」「先鋭的でないか」という極めてデジタルな分類である。

しかし、その先鋭的音楽も「ライトサイド」「ダークサイド」と分けることが出来る。

ライトは、YMO、ムーンライダーズ、プラスチックス、ヒカシュー、eX、

P-モデル、一風堂、シーナ&ロケット、yenレーベル、etc,etc,,,

ダークは、EP-4、phew、タコ、裸のラリーズ、非常階段、アレルギー、

愛欲人民十時劇場、自殺、etc,etc、、、

無論、これは例として列挙しただけであり、異論をお持ちの方も多数おられるだろうが、諒とされたい。個人的な感覚だが、内田裕也プロデュース、日比谷野音での「ポップコレクション」(80年5月)に参加したか「天国注射の昼」に参加したかが、分岐点の様に感じる。

ただし、ライト=メジャー、ダーク=マイナーではない。もっとはっきり

言うと「NHKに出して安全か、どうか」という識別で良い。山崎春美氏を

紅白に出すと切腹でもしかねないが、ヒカシューならきっちり歌ってくれ

る。その感覚である。

つい、長くなったが80年代ニューウェーブを多層、立体化した原因の一つに「ライトサイド」が「ダークな音楽を作った」ことにある。

列挙すると、YMO「BGM,TECHNODELIC」、ムーンライダーズ「マニア・マニ

エラ」、ビートニクス「出口主義」、坂本龍一「B-2UNIT」、、、

とりわけYMOが前記2枚をひっさげての81年12月「Winter Live」は

ショッキングなものであった。チャート1位バンドの彼らが「これ」を

やったら、ダークサイドは何をすれば良いのか、、、振り返ると、ここ

からシーンが徐々に衰退していった様に思う。

「タコ」にも参加する位であるから、当時の坂本龍一氏の「ダークサイ

ド」の肩入れは特筆すべきものであった。

80年3月 Phewシングル「終曲」プロデュース

   4月 Friction 1stLP 共同プロデュース

   4月 PASSツアー ゲスト出演

   9月 B-2 Unit にグンジョーガ・クレヨンのギター、組原氏

      参加

81年 11月 EP-4と共演

この頃の坂本氏は、「世界のサカモト」どころか「吉祥寺マイナーの

サカモト」と言って良い程であった。

さて、前述のYMO「TECHNODELIC」の収録曲中にEP-4ファンなら、「?」

と思う曲がある。それは「SEOUL MUSIC(京城音楽)」M-4である。

細野氏のグイグイ引っ張るファンクベース、ユキヒロ氏のタイトなドラム

に、極めつけは坂本氏のエフェクトボイス、これはEP-4の世界ではない

だろうか。未聴の方は是非に確認して戴きたい。出来れば最近リリース

された「One More YMO」(ライブ集)の中の京城音楽を。

           

           京城音楽 YMO

(作詞 坂本ーP・バラカン 作曲 坂本ー高橋)

    古いコリアの暮らしの一例

    女の子は写真を撮らせてくれなかった

    南大門

    金浦空港

    純白のパジ・チョゴリ、黒のカツをかぶり

    つえをついた老人

    タクシーの運転手は

    むりやり女を紹介してくれる

    ハイウェイは滑走路

    明洞通りネオンはない

    トーチカの前で自動小銃を抱えた警官がいる

    国の花はムクゲ

    夜中の12時から4時までは外出禁止

    ハイカラな明洞娘

    釜山から対島が見える

    乗用車の制限速度は60キロ

    夜間の道路上での駐車は

    駐車灯を点灯すること

    月に一度防空演習

    東京ー京城間は約2時間

    46才から上の人は

    日本語が話せる

             <謹写 圭骸>

終わりに、この項はすべて妄想の様に思われたかもしれない。

そこで、82年度発行の雑誌「宝島」の次の一行を掲載して項を結ぶ。

「EP-4のアルバムは坂本龍一の調整がつき次第開始」


追記 わたなべ様より坂本龍一氏の「左うでの夢」に、カオルが

   参加している、とのご指摘を受けた。全くのミステイク

   であり、不明の至りです。

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