殿様、殿バンが亡くなった。
いま、目の前に「優雅の条件」という本がある。彼の著だ。
この本はすさまじい本だ。
「プロヴァンスに長期ステイのときは、ホテルにお気に入りの家具と絵を送る」
「一点豪華はみっともない、スーツケース、小物までもヴィトンにすべき」
「パートナーのために、ホテルには花束を用意してもらおう」
年越し派遣村ってどこの国ですか?と思うほどすごい。
360月前、東京厚生。ユキヒロライブ。ゲストの呼び込み。
ユ「ほそのはるおみー」うおー!
ユ「デイビッド・シルヴィアーん」きゃー!
ユ「さかもとりゅういち」ぎゃああああ!
ユ「かとうかずひこ」ぱちぱち……
となりのメガネ女性が「えー、土屋マー坊はー」と言っていたのを思い出す。
訃報の前日、まさに前日、姉と「殿バンの功罪」について議論していた。
『殿様の毒』
というものが確かに存在している。
― 一度限りの人生ならそんな風に生きたい、それを目指してなにが悪いのか。貧乏はいや、わたしも
南仏で優雅に暮らしたい、キャンティでディナーしたい
こう言い放つ「変節ニューウェーバー女子」が本当に多かった。
すべての事象はみな等価であるので、南仏やキャンティに高い価値を見出す人は、決して優雅ではない。
僕が、このような持論を言うと軽蔑の目で見られた。
サディスティック・カエラ・バンドのアルバムを最後に、殿様は優雅ではない方法で去った。
軽井沢を選んだのは、高校時代ユキヒロとダンス・パーティーに興じた楽しい思い出がよぎったのか。
それとも、三浦和義のように「そこに来たから、フラッシュバックしてそんな気持ちになった」のだろうか。
変節ニューウェイバー女子たちは、この知らせをどんな気持ちで聞いただろう。
合掌