(ムック PiN HEAD  CBSソニー出版より)

EP-4のデビューアルバムのタイトル「リンガ・フランカ」っていうのは、英語だと「フランキッシュ・ランゲージ」になるのかな、共通言語って意味。と言っても、エスペラント語などのように具体的形式を持ったものとは考えないでほしい。僕は、生物、無生物を問わないすべての内包された意味的なるもの、言い換えれば、デジタルでもアナログでもないメモリー・システム中で機能しているはずのベーシックなもの、つまり、それはそれでしか説明不可能だと考えている。とんでもないコンセプト倒れだね。でも、我々の行動や考察にある種の目的指向を持たせるのに有効な、ひとつのキイ・ワードにはなると思っているんだ。目的というのはアブストラクトであってもかまわな

いから、目前の現象や方法とはハッキリ分けなけりゃダメだからね。つまり、いわゆるニューウェーブやオルタナティブと呼ばれる表現一般が、オカルトと直結したり、単に現象の賞賛や批判に終わる方向というのは問題スリカエに思えてならないのね。アヴァンギャルドでエクスペリメンタルでエキセントリックな表現というのは、本来はそれぞれに個有の、または共有する信ずべき目的を追求するためのものだったはずでしょ?

例えばパンクがね、何のためのアンチであるかを放り出してしまって<アンチ・フォー・アンチ>になってしまった点に問題があるわけで、ファッション化云々よりも、手段や方法が目的に転化されては、絶対にヤバイ、、、。その程度のエナジー放出、藤原新也風にいうなら、カラオケ プロレス 善行潮流的カタルシスでは、浄化されずに残ったものが増え続け、一気に流れ出すのを待つだけだと思うんだ。本能のままの行動を拒否する想像力や表現行為が人間にはある。

両者の葛藤の間で両者を取り持つ言語というか、意味的なものが自然知覚されたアブストラクトな言語がリンガ・フランカかも知れない。

  (佐藤 薫)謹写 圭骸