ザ・バンド・オブ・ナイトとEP-4(未完)ーさようなら、らもさんー
皆さんには趣味があるだろう。それは旅行であったり、食べ歩きであったり、絵画制作であったり。
僕には「これ」というものが無かった。80年代時代考察、というのはライフ・ワークであるし
読書というのも無難だし、シケてる。
そんな無粋な僕にも、やっと人様にも話せる趣味ができた。それは「バーベルを上げる」事だ。
60kg上げる、重い。胸までしか上がらない。プロテインを飲む。毎日ジムにひっそり通う。或る日
ふっと上がる。80Kgも挙上成功だ。
そんな事を繰り返していたら、凄い身体になってしまった。
ジムで、初老の女性が僕の胸を叩く。「すごい体だねぇ、丈夫でしょう?」
「ええ、おかげさまでね」
野暮用で飛行機に乗った。何か胸が苦しく、頭がボーっとする。離陸して暫くして、耐え切れずに
横になりたい旨を、フライトアテンダントに告げようとしたところから記憶が無い。
佐藤薫がハムスター位の大きさになって、僕の右腕を齧っている。痛い。止めろ、と言っても薫は鋭い目で
睨み返してくる。もう止めてくれ!と叫んだところで昏睡から覚めた。そこは夜の空港内病院だった。
ナースが問診と同時に、如何にこの騒動が大事だったかを話している。あなたは脈が触れなくなった、飛行機
が引き返すところだった、救急車でここに運ばれた、、、云々。
だが、知らない。覚えていない、ではなく「知らない」のだ。
中島らもさんも、こんな感じだったろう。点滴の続きを受けながら、そんな事を考えていた。
圭骸は覚醒した。なので顛末を知った。らもさんは覚醒しなかった。それだけの違いだ。
中島らもさんの訃報を知ったのは、7月27日22時17分。丁度、らもさんの本を題材に更新準備の
下書きをしていたら、悲しいメールが来た。慌てて保存した。その時刻が上記のものだ。
掲示板に「さようなら、らもさん」の項目を建てた。書き込みは無かった。けれども、この日は
更新してないのにも拘わらず、いつもの4,5倍の訪問者があった。
今年の夏は暑すぎた。絶望的な暑さだった。疲れた空気が日本中を覆う。
らもさんは、極めて重要な人物だった。いつか所定のギャランティをお支払いして、当時の思い出など
伺いたかった。
途中までの文ではあるが、7.27までの未完の文を載せ追悼とする。
中島らも氏といえば、今更なんの説明もいらないだろう。当時の状況を知り尽くしている方だ。
「啓蒙かまぼこ新聞」も懐かしい。
圭骸が強く印象に残っているのは、元プロレスラー安達氏との対談集「クマとたたかったヒト」だ。
プロレスの暴露本に止まらず、レスラーの悲哀や苦しみなどを、終始笑いで安達氏から引き出している
名著だ。これは、らも氏のお人柄が成せる技だと思う。
さてさて、氏の著作に「ザ・バンド・オブ・ナイト」というのがある。内容の評価は皆さんに委ねる。
もっと早くに皆々様にアナウンスすべきか、とも思ったが、、、あまり「サトー君」に名誉な記述では
なかったので躊躇っていた。
けれども、捕らえ損ねるには勿体無いのだ。それは「彼がテクノポップみたいな音楽をー」
のクダリがあるからだ。
これは大きい。「サトー君」はライブの最中、データが飛んだ、と言っている。EPではシーケンサーは
使っていなかった。とすれば、unit3か。だがU3もオープンリールのテープを2台使用していて
MC-8、MC-4は用いていなかったように思う。
フィクションなので、楽器ヲタ話はこの辺にするが、やはり気になるのは「−テクノポップのようなー」
である。らも氏にとって「JAZZ/BLUES」以外は全てこのジャンルになるのか、とも思う。
だが、そうではないだろうという考えも頭を過ぎる。
確かに、EP-4には「テクノ」な一面もある。それは、BANANAの美しすぎるシンセ・ワークにより
Duran Duran、ULTRA VOX、VISAGE等々の「ニュー・ロマンティック」な手触りになっている作品もある。
拙HPの誤解として、「LF-1はBANANA主導で作られた」という事がある。これは項を改めて記したい。
「テクノは精神である」と細野晴臣は言った。であるなr
らもさんの御冥福をお祈り申しあげます