故 ナンシー関さん

ナンシー関さんが、急逝された。39歳、という事。多分、こちらに来訪してくださる

皆様と、ほぼ同年代だろう。

僕がナンシーさんとお会いしたのは、ムーン・ライダーズのライブ終了後、一般の

お客さんがハケて、関係者だけ集まった打ち上げ会場でのことだった。

ナンシーさんは、所在無さ気にポツンと一人で立っていた。僕の姉がナンシーさんに

話し掛けた。そして「これ、私の弟なんです」と僕を紹介してくれた。

僕は「如何に貴女の大ファンであるか」という様な事を話し続けた。

一通り話し終わると、ナンシーさんが茶封筒から例の消しゴム版画を出した。

「これ、いるっすか?」と言う。僕は「そんな貴重なものは頂けない」と遠慮した。

すると、ナンシーさんは「そうすよね、こんなもんいらんすね、、、」と言って

恥かしそうに版画を茶封筒に入れ直した。

僕は、益々ナンシーさんを好きになった。この女性は、自分の作品に「意味」を見出して

いない。そして何故「これ」をやっているのかも分かっていない。本当に優れた

芸術家は、得てしてこの様な感覚に襲われている。ナンシーさんもそうだったのだろう。

「普通の日常」−「鋭敏なる非日常」。この合い異なる二つの感覚のヴァランスどりに、苦労

している様に見えた。鈴木慶一さんが正にそうで、ナンシーさんがライダーズの大ファンだった

のも頷ける。

その後、ナンシーさんは色々な事を話してくれた。ニューウェーブへの目覚め、青森の事、大学の事、、、。

くじらさんの挨拶が終わる頃だったろうか、明日の締め切りがある、という事で帰るとのこと。

何故か僕は無性に切なくなり、ナンシーさんの手を取りキスをした。周りが呆然としている。

ナンシーさんは、赤くなって笑っていた。

オカルト、超常現象、いずれも信じない。しかし、この時「キスしなければ、、、」という無礼承知

での自分の気持ちは何だったのか。


そして、これが「別れのキス」となる。


「辛辣な」「皮肉っぽい」「シニカルな」という様なナンシーさんに対する表現がTVで踊る。「辛辣で、皮肉っぽく、シニカルに」

受け取っていたのは「視聴者は馬鹿だから、こんなもんでいいよ」と舐めきった業界人(タレント含)であり、

読み手の我々は喝采を送っていた。

恥かしいもの、田舎臭いもの、勘違いしている人間。自分達の脳内にある憤りを、ナンシーさんは「言語化」して

リリースしてくれていた。つまりは、ブラック・ボックスの働きをしてくれていたのだ。

ブラック・ボックスは消滅した。これからは、全て自分の頭で結論づけしていくしか無くなったのだ。


若年層は右傾化し、言論は封殺され、「勝ち組み企業」の思惑通りに事が運ぶ。我々の国は、我々の余生は

長く、沈痛で憂鬱な時間に支配される。

週刊朝日、噂の真相、文春、等々。「あの事についてナンシーはどう思ったかなぁ」と雑誌を開いても、ナンシーは

居ない。このボディ・ブローの様な悲しみを味わったのは、奇しくも、もう一人の巨人であった

ジャイアント馬場さんが亡くなって以来のことだ。


「人は壊れる、物は死ぬ そういう訳さ ハニー 三つ数えて 目をつぶれ」(ムーン・ライダーズ)


ヴェテランのリポーターが「ほっとしている人も多いでしょう」と嬉しそうに言った。


                                          02-6-14 圭骸

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