記事タイトル:70年代の佐藤薫 


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お名前: 藤田一朗    URL
EIKOさん、はじめまして。
圭骸さん、どうもです。

佐藤慶さんとカヲル氏、確かに似てます。
見事に戦略的なチョイス…と、感心するような事じゃないですけど。
慶さんは、先鋭的な時代の大島渚作品を象徴する役者さんですから。

自分を洒落にできる人だから、「俺が上」でも慕われたのでしょうね。
[2003年6月7日 13時46分27秒]

お名前: EIKO   
こんばんは。
「俺が上」な感じ、伝わりました?
私もこのHPを見つけて、二十数年ぶりに佐藤薫の雰囲気を語り合えるとは
とっても不思議な気分でした。
短い間でしたが佐藤さんと共にあの時代を共有できたことをとても嬉しく思っています。

佐藤慶氏の件、調べていただいてありがとうございました。
やっぱり担がれていたんですね。私。(笑)
当時から相当子供扱いされていて、しょっちゅうからかわれていましたからね。
[2003年6月6日 0時26分33秒]

お名前: 圭骸   
初めまして、圭骸製作者でございます。
楽しく拝読させていただきました。
「博愛と冷酷」というのがカヲル氏の興味深いところですね。
その辺りを鑑み、EP-4を聴き、また考える、というのを拙HPの製作
目標としております。

「俺が上」というのは、その感じ伝わりました。それが「群れないカヲル」
ということと思っております。

佐藤慶氏は、裏を取りましたが無関係とのことです。

さて、このEIKO様のお書き込み、きっと「あ、そういえば」と当時を
思い出される方が一杯おられると思います。どうぞ何かありましたら
お教えください。EIKO様もまたお暇がありましたら、お書き込み
心よりお待ちしております。
[2003年6月3日 5時20分33秒]

お名前: EIKO    URL
初めまして。
唐突に“佐藤薫”を思い出し、「彼ならきっと人々の記憶に、
又はWEB上に残るしごとをしているかも。」
と思い“佐藤薫”を検索してたどり着きました。
私が知っている佐藤薫は75年カーネーション時代〜最後はデビット・ボウイが
モダンへ出没した辺りでしょうか。
そして佐久間こうとはビンボ・モダン時代個人的な知り合いでした。

75年京都へ来た私は河原町のソウル喫茶「カーネーション&カーネーション」で
アルバイトをはじめました。ソウルミュージックの魅力と佐藤さん
(当時はマネージャーと呼んでいましたが)の強烈な人格に引きつけられた私は
就職するまでの一年間、朝から晩までどっぷりとソウル漬けの毎日を送っていました。
あの頃を思い出すととりとめもない話になってしまいますが...
佐藤さんの「今日は俺んちの大掃除って決めたから、バイト全員集まれ!」
と号令がかかると、みんな嫌でしょうがないのですが、断ればこっぴどく怒られるか、
翌日から毎日いじめられるに決まっていたので渋々みんなで大掃除。
その頃住んでいた銀閣寺近くのマンションへは男の子達はよく行っていたようでしたが
私はその大掃除の時行き、初めてなのにみんなで雑魚寝した想い出があります。
佐藤さんはレコードを輸入していて、バイト全員がほとんどのバイト代をそのレコードを
買うことに費やしていました。
それから「THE NEWS REPORT OF SOUL」という新聞をweeklyで出していて
今でも私の手元に残っています。76年途中からは活字になっていますが
75年のものは佐藤さんの手書きで非常に懐かしく、今眺めているところです。
中にはどれだけバイト達がソウルのことを勉強しているのかテストをしてやるといって、
本当にテスト用紙三枚もの問題を出されました。私の答案を見てみると赤ペンだらけ。
一人一人の用紙に正解をきちんと書き込んだようで、今見ても感動ものです。
ライナーノウツを書いたり、SOUL ON誌や BLACK&MUSIC誌に原稿を書いていたようですが、
彼の几帳面さを現すような数々のすばらしい遺物を、
何十年かぶりに読み返してみようと思っているところです。
もうだいぶん前の書き込みですが...「佐藤薫 全仕事?」の生き証人3・坊主さんは
東京からカーネーションに遊びに来ていた、私の知っている‘ぼーや’ではないのだろうか
と思いながら読んでいました。同一人物だとすれば、75年秋のミリー・ジャクソン来日公演に
京都からレンタカーで佐藤さん・バイト・deepなお客さん達と一緒にぼーやも行きましたよね。(って、違う方だったらごめんなさい)
公演の前にミリーに会ってくると言ってホテルへ行った佐藤さん。
「会ってくるって、そんなコネがあるのか?」と不安な面持ちで待っていた私達の所へ
見事にインタビューをとり終えた佐藤さんが戻ってきました。京都のお土産シルク・ファンを
持っておどけているミリーの写真がアルバムに残っています。
あの頃の佐藤さんは、私達にとってはカリスマというよりも、暴君として君臨している
王様のような存在でした。バイト達は完全に家来でしたから。(笑)
ある女の子は佐藤さんに少し反発したところ、完膚無きまでにやっつけられ、
その晩急性胃炎で救急車を呼んだこともあるほど。私自身は比較的怒られることが少なかった
のですが、それでもやっぱりその印象にかわりはありませんでした。
それとも「苦しいけど、辛いけど、ついていきます。私」的な教祖様のような存在だったのかな。
どんなに怒鳴られても、バイトの入れ替わりはあまりなかったように思い、
みんな彼のマインドコントロールに心地よく(?)酔っていたのかもしれません。
旦那@生き証人さんの「佐藤薫は55年生まれ・・・」を読んでびっくりしました。
もっともっと年上だと思っていたからです。それが確かだとすれば
佐藤さんはバイト達と変わらない年だったと言うこと。始終行動を共にはしていましたが
決してフレンドリーな態度を見せたことはなく、あくまでも「俺が上」に徹していたのは
彼なりの考えがあったのでしょうね。
でも勝手な推測・・・佐藤さんが聞いていたらきっと怒るかもしれないな。

そしてカーネーションをやめ、川端に「PUMPKINS'」をオープン。
それから先斗町の「サマンサ」。ここにはよく一人で遊びに行きました。
そしてモダンのオープン時、短期間でしたがバイトとして入っていました。
ここまでの間、時間的な記憶があやふやですが、DJとして「カルチェラタン」「ゼノン」
に入っていたと思います。

モダンで久し振りにあった佐藤さんにはびっくりしました。
でっかいアフロヘアー/顔グロだったのが、色白サラサラヘアーになっていたから!
あれほど私達に「白人の音楽なんて絶対に聴くなっ!」と言っていたのに、
なんなのこの変わり様は。(恐いから口には出しませんでしたけどね。)
あ、デビット・ボウイと佐藤さん・佐久間君が写っている写真も有り。

EP-4については、佐久間君が夜間の工事現場のバイトをしながら
「あー、バンドの練習行ってるんだ」くらいしか知らず、ここのサイトを見つけたとき、
こんな伝説的なバンドだったんだとびっくりしました。

個人的な想い出を長々と書いてしまい、申し訳ありませんでした。
まだこの上余談になりますが、当時「佐藤薫は俳優の佐藤慶氏の甥だ」
という話を聞いたことがあります。もしかしたら彼のジョークなのかもしれなかったですが、
何となく顔立ちが似ていなくもないなという印象で信じていました。
どなたかこの話をご存じですか?

佐藤薫さん・佐久間こうくん、今どこで何をしているのでしょう?
私は相変わらずソウルミュージックの呪縛から逃れられないまま、愛し続けています。
お元気でおられることを祈って...
それでは。
[2003年5月31日 14時29分26秒]

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