記事タイトル:Guest Book 


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お名前: 圭骸   
お名前: マツ    
はじめまして!
「腐っていくシンパシー」を検索して、紆余曲折してるうちに此処にたどり着きました。
管理人さんは80年代ニューウェーブがお好きみたいですね。
僕は80年代といえば、INU、フリクション、じゃがたら、ローザ、など好きです。
ベタなラインだと思いますけどね。。。
ニューウェーブじゃないですが、スターリンも。
EP−4というバンドを聴いたことはないですが、このHPを見ていてかなり興味をそそられました。ファンキーといえば、つい「じゃがたら」を思い浮かべてしまいますが。
らもさんの小説「頭の中〜」に出てきたのも、このバンドですよね。
今度聴いてみようかと思います。でもあんまり手に入らなさそうで。。。

[2005年1月12日 2時44分16秒]
[2005年2月11日 23時1分8秒]

お名前: 圭骸   
お名前: はなまる    
> どんと:ローザ・ルクセンブルグ、ボ・ガンボスと日本のインディーズ界では異色の才能を放っていたバンドのトップに立っていた彼です。
> が、2000年2月8日ハワイでお亡くなりになってしまいました。ローザがNHKのアマチュアバンドコンテストのチャンピオン(このときの審査員の一人があっこちゃんだった。)
http://www.jpix.co.jp/users/saeki/Muzik-index.htm

こんな記述を発見。でトリビアひとつ。そのNHKのアマチュアバンドコンテスト京都大会の審査員が薫さんでした。
ほかのバンドがショボかったせいもありますが、彼がローザを強力にプッシュして優勝しました。
それで全国大会に進めたのです。今だからいえますが、私は審査の現場におりました。
NHKには今でも隠れEP-4マニアがけっこうおりますです。
たまに変な番組の変な場面のバックで2コーラスほど聞こえたり:-)

[2004年9月22日 2時0分31秒]


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お名前: TS    URL 
久しぶりに検索したら、すごくこゆいサイトに当たったので、思わず書き込んでしまいました。
5.11は行きました。声の出ない薫氏は、とてもまぶしかったです。

URLで張っているリンク、まちがっているのでこちらをご参照下さい。
http://park10.wakwak.com/~techno/ep4.html

[2004年9月20日 22時11分21秒]
[2005年2月11日 22時59分46秒]

お名前: 圭骸   
圭骸でございます。ろくにレスもつけてなくて申し訳ありません。
色々悩んでおります。
いくつかの単発書き込みをまとめます。
[2005年2月11日 22時58分45秒]

お名前: はなまる   
いつのまにか掲示板が復活しましたね。
さまよえる某放送局の、さすらいの地方局員でした。
[2004年9月22日 2時7分26秒]

お名前: 黒川 魔都   
 
 圭骸様 昨年からこちらのサイトを楽しませて頂いていましたが、わけあって書き込みは致しませんでした。しかし今、2003年も4月となり、あの5・21からも20年が経過しようとしています。やむにやまれぬような想いを感じて、書き込みをさせていただきます。私がEP-4を初めて聴いたのも、ちょうど20年前の今ごろに間違いなく、それは『制服・肉体・複製』であり、その時に感じた、全く既視感(既聴感)の無い、何か新しい知覚の扉を開くかのような衝撃は、あのテープを聞くたび、今もはっきり感じられます。当時受験生であった私は、5・21ライヴを実体験することは無かったのですが、あの頃のEP-4が発散していた不穏な、挑戦的な姿勢と戦略は、それまで文字メディア上のEP-4の名前だけしか知らなかった私にも、何かが今起こりつつあるのだ、というゾクゾクするような期待感を、十分に伝えてくれました。 
 
 そういえばステージ以外で一度だけ、佐藤薫氏を見かけたことがあります。84年頃でしょうか、地下鉄日比谷線の車内で、一人ドアのそばにもたれておられました。あの見間違え様もない鋭い眼光。白と黒のシックな服装であったと記憶します。氏は六本木駅で下車してゆかれました。その行き先は六本木の今は無きレコード店ビル、WAVEであったろうと考えています。当時、WAVEの店内では、83年3月のスキャニング・プールでの、ステージにヴィデオモニターを積み上げた、ライヴ映像が流されていました。フリクションの映像を見た記憶があります。勿論EP−4も登場しました。ロボットフッド・プロセス等が演奏されていましたが、思えばEP−4のライヴ映像は非常に珍しい物です。今もあの映像はどこかに残っているでしょうか。EP−4の再結成は叶わぬ夢としても、あの映像を、今再び、目にすることはできぬものでしょうか。幻として封印してしまうには、あまりに惜しい、時代の証言です。見果てぬ夢かもしれません。ですがそこはいつも我々を驚かせてくれた佐藤氏のこと、何か突然我々の前に予想もしない形で、現れてくれる気も、したりするのです。 
 
 旧六本木WAVEの周辺も今は再開発され、六本木ヒルズと化し、隔世の感があります。音楽の世界にあっても、EP-4が活躍したあの80年代前半頃の、言いようの無い奇妙な高揚感に満ちた空気は消えてしまいました。しかし、あの時代の、あのような音楽は、本当に必要とされもしないのでしょうか。行き場の無い閉塞が支配する今こそ、あの無限の遊びと諧謔にあふれた、佐藤薫氏の視点が必要なのではないでしょうか。 
 
 佐藤薫氏の多くの謎をはらんだ活動の歴史は、今も魅力的であると思います。圭骸様もおっしゃるように、何故、ブラックミュージックから多大な影響を受けたと自ら公言していた佐藤氏が、同時に、非常にオルタナティヴな、ノイズ的な音楽性をも同居させていたのか。本当に、何がきっかけであったのでしょう。かげろうレコードとゼロレコードの共同オムニバス、オーラ・ミュージックに参加した佐藤氏のソロ・トラック『CONCRETE REMEMBRANCE』は、迷宮的なノイズがループする曲でした。そうした佐藤氏の嗜好を探る一つの資料になると思うのですが、84年から85年にかけて、佐藤氏はFM放送に、いわばDJとしてしばしば登場されました。当時の記録が手元に少し残っていますので、またそれらについて、投稿させていただこうかと思っています。
[2003年4月24日 1時31分32秒]

お名前: 黒川 魔都   
 圭骸様 昨年からこちらのサイトを楽しませて頂いていましたが、わけあって書き込みは致しませんでした。しかし今、2003年も4月となり、あの5・21からも20年が経過しようとしています。やむにやまれぬような想いを感じて、書き込みをさせていただきます。私がEP-4を初めて聴いたのも、ちょうど20年前の今ごろに間違いなく、それは『制服・肉体・複製』であり、その時に感じた、全く既視感(既聴感)の無い、何か新しい知覚の扉を開くかのような衝撃は、あのテープを聞くたび、今もはっきり感じられます。当時受験生であった私は、5・21ライヴを実体験することは無かったのですが、あの頃のEP-4が発散していた不穏な、挑戦的な姿勢と戦略は、それまで文字メディア上のEP-4の名前だけしか知らなかった私にも、何かが今起こりつつあるのだ、というゾクゾクするような期待感を、十分に伝えてくれました。 
 
 そういえばステージ以外で一度だけ、佐藤薫氏を見かけたことがあります。84年頃でしょうか、地下鉄日比谷線の車内で、一人ドアのそばにもたれておられました。あの見間違え様もない鋭い眼光。白と黒のシックな服装であったと記憶します。氏は六本木駅で下車してゆかれました。その行き先は六本木の今は無きレコード店ビル、WAVEであったろうと考えています。当時、WAVEの店内では、83年3月のスキャニング・プールでの、ステージにヴィデオモニターを積み上げた、ライヴ映像が流されていました。フリクションの映像を見た記憶があります。勿論EP−4も登場しました。ロボットフッド・プロセス等が演奏されていましたが、思えばEP−4のライヴ映像は非常に珍しい物です。今もあの映像はどこかに残っているでしょうか。EP−4の再結成は叶わぬ夢としても、あの映像を、今再び、目にすることはできぬものでしょうか。幻として封印してしまうには、あまりに惜しい、時代の証言です。見果てぬ夢かもしれません。ですがそこはいつも我々を驚かせてくれた佐藤氏のこと、何か突然我々の前に予想もしない形で、現れてくれる気も、したりするのです。 
 
 旧六本木WAVEの周辺も今は再開発され、六本木ヒルズと化し、隔世の感があります。音楽の世界にあっても、EP-4が活躍したあの80年代前半頃の、言いようの無い奇妙な高揚感に満ちた空気は消えてしまいました。しかし、あの時代の、あのような音楽は、本当に必要とされもしないのでしょうか。行き場の無い閉塞が支配する今こそ、あの無限の遊びと諧謔にあふれた、佐藤薫氏の視点が必要なのではないでしょうか。 
 
 佐藤薫氏の多くの謎をはらんだ活動の歴史は、今も魅力的であると思います。圭骸様もおっしゃるように、何故、ブラックミュージックから多大な影響を受けたと自ら公言していた佐藤氏が、同時に、非常にオルタナティヴな、ノイズ的な音楽性をも同居させていたのか。本当に、何がきっかけであったのでしょう。かげろうレコードとゼロレコードの共同オムニバス、オーラ・ミュージックに参加した佐藤氏のソロ・トラック『CONCRETE REMEMBRANCE』は、迷宮的なノイズがループする曲でした。そうした佐藤氏の嗜好を探る一つの資料になると思うのですが、84年から85年にかけて、佐藤氏はFM放送に、いわばDJとしてしばしば登場されました。当時の記録が手元に少し残っていますので、またそれらについて、投稿させていただこうかと思っています。
[2003年4月24日 1時6分8秒]

お名前: 圭骸   
藤田様、 kay様、初めまして。楽しく読ませていただきました。
メールしました。またお書き込みお待ちしております。
[2003年4月21日 19時23分15秒]

お名前: 藤田一朗    URL
はじめまして。
これまでも圭骸様のサイトは拝見していましたが、どうも掲示板に書き込むキッカケがないままでした。
今回の更新にかこつけて、これ幸いと足跡をつけさせていただきます。
私も80年代前半に思春期を送り、当時に浴びたパルスがパーソナリティーの一部となっている者です。
とはいえ、EP-4はレコードメディアでしか知らず、とうていリアルタイムで経験したとは言えぬ者であります。
おおむね思春期とは、圧倒的な欲望を抱えた経済的弱者に甘んじざるを得ない時期ではないかと思います。
そのような人間には、EP-4は敷き居が高かった!その確信犯ぶりが!そのインテリジェンスが!その完成度の高さが!
今になって、圭骸様のサイトを拝見し、唯一手許に残った「昭和大赦」や「マルチレベルホラーキー」をダビングしたテープを聞き返し、それが何だったのかに気がついた気がします。
今回の更新にあった圭骸様のコメント、「今、こういう音楽は無い。そして必要とされてもいない。その必要とされていない時代は味気無い」には、胸を突かれるものがありました。

R.N.A.Oに関するお話、とても面白かったです。
わずかに聞かれた音も、とてもカッコイイ、もっと聞きてええ!と叫びたくなる代物です。
私は「(通低音)ブイ〜ン、(金属音)ゴガゴンゴン、(ヴォイスエフェクト)ぬ゛お゛〜ん」のようなサウンドを想像していました。
要するに、「EP-4の片鱗があるといえばある、微苦笑を誘うノイズ音曲」だと思っていたら、意表を突かれたわけです。
「失笑覚悟で記すが、佐藤薫が本当に伝えたかったのは、このRNA O の様なものだったのでは、と妄想する」
このコメントには、(音をすべて聞いたわけでもない癖に)半分同意します。
半分というのは、佐藤薫氏には「本当に伝えたい」という意識がなかったように感じるからです。
同意する部分は、佐藤薫氏の「本当」は断片からでも充分に伝わってくるからです。
音楽に限らず、あらゆる表現領域において、垂直に切り込むアーチストというのが存在すると思います。
ジャンルへの批評、奉仕、発展を促すメッセンジャーではなく、メッセージそのもののようなアーチストが。
佐藤薫氏も、そんな存在の1人である気がします。

ゲストブックに、長々と要領を得ない書き込みで申し訳ないです。
これからも、適時ふさわしいトピックに書き込むかもしれません。
その旨、お許しいただけると幸いです。
では、また。
[2003年4月21日 13時59分30秒]

お名前: kay    URL
はじめまして。
この所、SADIE SADSのファンサイトを発見してしまったりと80年代づいているのですが、
EP-4ですか!、宝島に「5.21」の広告打たれてたりとか、仙台のNHKのスタジオのドアに、
ステッカーが貼られていたとか、そんな些細な記憶が蘇ってきました。
沢山の文章、大変楽しいです。
近い内に「制服・肉体・複製」を聴き返してみたくなりました。

さっきから頭の中で「モダ〜ン」って言葉がグルグル回り始めてます。
ここから手の届く引き出しの奥に、YMOの真っ赤な腕章が眠っているはずなので、
今晩はそれを枕の下に入れて眠ろうと思います。
[2002年10月17日 21時25分36秒]

お名前: けいとりん   
  tocox様 あず様
 「ロック画報」を立ち読みしてきました。わたしはP−MODELの平沢氏のインタビューが
一番気になりました。あの方は本当にああいう尊大な調子で語ったのでしょうか。どうも
わたしにとって平沢氏は難しい人だという印象が強いなあ。しかし何年前だったか、とある
ファッション誌で香水特集をやったとき、“私と香りの印象深い記憶”みたいなページに
なぜか平沢氏が写真入りで香りの思い出について語っていたのです。内容は、“昔つき合って
いた女性がいい匂いなので気になって、その人の使っている香水(これは言ってなかったかも)
からシャンプー、化粧品など香りそうな物全部出して確かめてみたけど、どれもその匂いに
あてはまらなかった。今思うとそれはその人自身の香りだったのですね”とソフトな文体で
書いてあったのですが(まあ文章なんてどうにでもなるけど)。香水好きのわたしはその雑誌を
見つけていそいそと購入して読みましたらあの難しい(わたしにとって、なんですが)
平沢氏が「なぜこんな色っぽいことを語っているのだあ?!」と驚いたのでした。「ロック
画報」では確か「私は芸能界が本当に嫌いだ。ああいう人たちの気が知れない」とか何とか
言っていたけど。ファッション誌の編集者に知り合いがいて断れなかったのかなあ。あの写真
入りの記事を何も知らない人が読んだら、平沢氏はまるで東儀秀樹みたいな音楽家なんだ、と
誤解したでしょうね。
[2002年7月20日 0時52分45秒]

お名前: けいとりん   
 久しぶりに当HPを開くと、すごいですね!貴重な資料が集まってきて充実してますね。
しかし全部画像なので開くのに時間かかってたまらないですが。

 ところで「苦味丁畿」はチラシのコピー、だったのは分かったとして、この言葉はどこから
きたのか?気になりました。普通に聞く言葉じゃないし。
 ひょっとして、という意外な出典に心当たりがあります。新潮文庫刊「O・ヘンリ短編集」の
第2集の「にせ医師物語」に「苦味チンキ」というインチキ薬が出てくるのです。これかな?と
思っています。なんでO・ヘンリ?!と言わないで。このお話、特に終盤主人公が悪事露見で
連行?されていく時に放つせりふがいかにも、ここのHPで語られるところのEP−4的文脈に
ふさわしい気がするので…薫氏は学生時代に読んだのかも。本屋で見つけたらぜひ一読を。
 
[2002年7月13日 15時43分50秒]

お名前: あず   
あ、タバタさんや!
元気にしたはるんやね
レニングラードのライブは素晴らしかったわ
ヤマザキとは連絡してるん?
またどっかで、会えたらええなぁ…
[2002年6月9日 20時37分52秒]

お名前: tocox    URL
DeeBee'sには何度か通ってました。のいづんずりのテープも昔持ってました。一度生で観たかったです。
タバタミツルさんのinterviewリンクしておきます。
北白川の天一の裏の方に住んでました、20年前。
もしかして、バッティングセンターとかですれ違っていたかも...(ローカルネタでスミマセン)
[2002年6月8日 0時33分44秒]

お名前: タバタ   
あれ、後半の文が消えとる。DeeBee’sのライヴで一升瓶差し入れくれたけど、未成年だっちゅーの。あれから20年、蛹、のいづんずり、ボアダムズ、レニングラード・ブルース・マシン、そしてゼニゲバといまだに音楽を続けていますが、最初に目をつけてくれたのが佐藤薫さんでした。あ〜懐かしいなあ。ユンさん、タツオはん元気かな。純ちゃんガンバってるな。応援しとるよ。
[2002年6月7日 9時55分18秒]

お名前: タバタ   
佐藤さん、懐かしいな。また会いたい。こんなサイトがあったとは・・・。
16の時、京都で当時やっていた蛹というバンドのデモテープをスタック・オリエンテーションに持ち込んだ時に初めて会ったのかな?DeeBee’sでのライヴで一升瓶の差し入れもらった。まだ未成年だっちゅーの。あれから20年、のいづんずり、ボアダムス、レニングラード・ブルース・マシン、そしてゼニゲバといまだに音楽を続けていますが、最初に目をつけてくれたのが佐藤薫さんでした。何してるんやろ。戸川純ちゃんガンバッてるみたいやな。応援しとるよ。南部さんとはいまだにスマッシュウェストの時に会う。ユンさんはどーしてるんやろか?タツオはんは?それどころか元のいづんずりの面々は今どうしてんのやろか。まだ現役って俺だけか?BIDE京都に帰ってるのか・・・。95年のゼニゲバのイギリスツアーでULTRA BIDEとやって以来だな。あ〜懐かしいなあ。
[2002年6月7日 9時45分37秒]

お名前: あず   
ロック画報、拝読しました
とりあげられていたトピックが古すぎる…EP−4結成前の時代が中心だったのでは?
前身?となるRNAオーガニゼイションなら掲載されていてもよかったとおもいます
個人的にはBIDEさんがお元気そうでよかったなぁ、なんて。
シスターMやイクォール、素敵なバンドでしたね
アーントサリーくらいに伝説化しないと音源の発掘/商品化はされないのでしょうかね?
[2002年5月30日 0時6分27秒]

お名前: tocox   
現在発売中の日本の"ヴィンテイジ"ロック雑誌『ロック画報』は「日本のパンク/ニューウェイヴ」特集です。
皆さんお馴染みの方々が出ています、が、何故かEP-4は(確か)載ってませんでした。

今年も「5・21」が来ました。あれから19年、早いものです。
ちなみに20年前の5/21にも、同志社大学でLIVEでした。
共演はゲルニカ、イコール、シスターM。
これで、800円だもんね。もう一度、観たい。
[2002年5月21日 20時13分22秒]

お名前: しゃちょう   
けいとりんさま。
80年代に10代とはうらやましい。
ワタシ80年代と自分の20代がばっちり重なってる
のですが、その当時にエネルギー使いつくしたってカンジ?
その後、長い燃え尽き状態が続いてます。
その点、似たような年齢でも80年代にはちょっと様子見だった
人たち、たとえば宮台真司ちぇんちぇえや辻仁成ちぇんちぇえは
90年代も00年代も元気いっぱいですよね。
エネルギーはためておいた方が勝ち、ってことですかな。ふふ。
[2002年3月29日 22時26分41秒]

お名前: けいとりん   
 それにしても、80年代って不思議な時代。
私は当時行動範囲の狭い10代だったので
当時のインディーズシーンを直接ライブで経験したわけではありませんが、
「何かを表現したい、しなければ!」の意気込みは雑誌などから間接的に感じました。
その後あの空気などなかったかのように軽薄な時代の流れが押し寄せると、
「当時雑誌に載っていたあの人達はどこへ行ったのだろう?あれを受け継いだフォロワーは
今いるのだろうか?」と不思議になって仕方ありません。表現に凝った結果、後に残る普遍性を
獲得し切れなかったということかもしれません。フォロワーを生むにはある意味、親しみやすさ
というか取り入れやすい、受け入れやすい平凡さも必要だからです。でも一方では、世の中全般が単純ですぐ効き目がありそうなものしか欲しくない(癒し系、とか)、受け手側の咀嚼能力が
落ちているせいなのか、とも思ったりします。しばらく離れていましたが最近再び80年代を考えていて、ちょうどこのHPに行き会ったりしてまたいろいろ思い出したり探したりしています。ほんとにたいした前でもないのに目当ての物はなかなか見つかりませんねえ。60年代グッズとかの方が探しやすかったりして。まあのんびりあたってみます。
[2002年3月17日 12時59分25秒]

お名前: ozaki   
ストリートキングダム!!

しってますよ!!

妙に部分部分が詳しい本でした。

ピナコテカの社長が香川県丸亀市出身とか。。。

古書店では一度見かけただけです。。。

うーん。

でも、意外と、ヤフーオークションなんかにでてないかな?

「遊」なんて山ほど出てたし。
[2002年3月10日 5時10分43秒]

お名前: けいとりん   
 もうずいぶん前ですが、ミュージックマガジン社刊「ストリート・キングダム」という単行本をご存じですか? テレグラフレコードの主宰者でカメラマンだった地引雄一氏が東京ロッカーズからニューウェイブまで(86・7年くらいまでかな?)のインディーズシーンをかなり克明に綴ったドキュメント本なのです。EP−4・佐藤薫氏についても写真や記述があって、話題の5・21が迫ってきた時期には「テレビ画面の中で歌う井上陽水のギター(か、衣装の上だったか?)にまで5・21のステッカーが貼られていた」そうです。私、この本以前持っていたのですが手放してしまい、その後大変後悔して現在でも地道に古本屋などのぞいて探しています。もし見つかったらこのHPにも役立つ資料になると思いますのでお知らせしたいし、探してみてくださいね。
[2002年3月9日 20時35分4秒]

お名前: しゃちょう   
みなさん、バレンタイン・イヴをどうおすごしですか。
オリンピックもつつがなく、金・銀・銅、金・銀・銅…と
予定が進行しているようで、めでたいかぎりです。
[2002年2月13日 15時18分40秒]

お名前: ozaki   
私もこのHPに載っていない当時の記事として
ロックマガジンの編集者の一人として名高い「田中浩一氏」が編集長を担当した
「REV」という雑誌の創刊号の佐藤薫インタビューを大切にしています。

ちなみに田中浩一さんって知ってる人いますか?
[2002年2月10日 21時33分45秒]

お名前: 圭骸@管理人   
tocoxさん、初めまして。これからもよろしく。
お手持ちの情報等、お気軽にお書き込みいただければ
幸いです。
EP-4お好みの曲もお書き込みいただければ。
このままでは[1]で終わりそうな予感で一杯です。
では、お待ち申し上げております。
[2002年2月8日 17時10分16秒]

お名前: tocox   
圭骸さん、サイトの再開おめでとうございます。
昨年末に本サイトを見つけ、狂喜しておりました。
20年前、私は京都・大阪に居を構えており、81年から85年の5年間は
それこそEP-4の追っかけ状態でした。(LIVEには9回行っております) 
今後、いろいろと話題が提供できれば幸いです。
(チケット半券、宝島記事etc...) 
再見。
[2002年2月7日 9時2分48秒]

お名前: 圭骸@管理人   
こんにちは、皆様。どうぞ一言でもお書き残しくださいませ。
[2002年2月6日 21時13分49秒]

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