記事タイトル:EP-4の長所と短所 


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お名前: 圭骸   
連休だし、そろそろ更新すっかと思い、久々に掲示板のぞくと、、、
おお!!イコールのマコト様ではないですか!
改めまして、初めまして、圭骸です。

お元気で何よりです。

立ち上げ当初は「EP-4」をどう捉えるべきか、、、と
悩んでました。神格化してらっしゃる人もおいででしょうし、
「私だけのEP-4」と思ってる方だっておいででしょう。
そういう皆さんに不快感を与えてはならないしな、、、と
恐る恐るのスタートでした(なので初期は文章が固い)。
ところが、その圭骸の浅はかな考えを吹き飛ばすように
「カヲルのこんな一面も知ってくれ」との
紳士淑女の皆々様から、メールや書き込みをいただき
現在に至ってます。

当時の話、大変面白く拝見しました。
僕と友人は普通に「なんでイコール、PASSに行かなかったんだろ」なんて
2時間くらい話してます。

マコトさんー鈴木 創士氏 -らもさんーEP-4 話しも楽しみに
しております。

さて、せっかくですので2,3質問を。
・B-Lives、Reb-Do以外でマコトさんの作品は聴けるでしょうか
・モダーンコレクションに出た時のお客さんの反応は、いかがでしたか
(僕はこれ見てないんです、80年代時代の痛恨事)

またのぞいてください。今回はありがとうございました。
[2005年3月20日 4時59分34秒]

お名前: makoto-equal   
改行せずに書き込みしてしまい、読み難くいので再度UPします。
管理人さん先ほどの書き込みは同じですので削除お願いします。


圭骸様 初めまして。EQUAL(イコール)でベースやっていたマコトです。
   
まずは「圭骸さんに拍手!」
サイトの雰囲気があまりにオッサン(カヲル氏)っぽくてこれは実はオッサ
ン本人のやらせか?なんて疑りつつ楽しませていただきました。
去年ここを見つけてから一年ぶりですが最近の掲示板ちょと寂しそうなので
おじゃまします。
こちらとしては本人抜きでオッサンを語ってるとこが面白いです。
これからいろいろ暴露してオッサン本人から怒りの投稿があればますます面白い。
圭骸さんよろしくです。

それから、ユンくん、覚えてますか?マコトです。元気そうでなによりです。
タツオとかサクやんとかはどーしてるのかな。

いやー、しかし、ほんと懐かしいですねぇー。
オッサンちは北白川の古い長屋だっだ。
玄関がいきなり畳で和室にネオンの独特な家でした。
その2階(スタックの詰め所)で、ブーはん達と、夜な夜なカセットのラベル
貼りをやってた頃の匂いが漂って来ます。
そこには猫がいっぱいいて、オッサンは子猫が生まれる度にみんなに配ってましたな。工作舎とか。
3匹ぐらいミドリ(イコールのVo.)の家に来ました。
僕んとこには「これを飼いなさい」と臭い亀を持って来ましたけど。
田んぼで拾ったって言ってました。

四谷のオッサンの家は本と爬虫類の巣窟でしたね。
本の間に水槽がいっぱいあって、図鑑にも載ってないようなトカゲやらイグ
アナやらが30匹ぐらいいましたよ。
こたつの中には3m強のアナコンダが寝てましたし。
キッチンはエサの白ネズミでいっぱいでした。
ある日、オッサンはアナコンダにエサをやろうとして、手首まで飲まれてま
した。首しめられて死ぬとこだったらしいです。
猛毒の水蛇が行方不明になって慌てた時もあったし。
このサイトのイメージを損なうつもりはないですが、オッサンの行動はほと
んどギャグでしたよ。根がいたずら好きでしたから。

オッサンに出会う前、1978年頃、僕は渋谷の公園通り裏のThinkというカフェ
バーで働いていたんですが、忘れもしない真冬の午後のこと。白いサングラ
スした子がビキニの水着に透明のビニールレインコートを羽織って、
「ヒャーッ」とか「ヒューッ」とか言って、突然店に飛び込んで来ました。
そしたら、その時かけてた音(ギャバレーボルテールとかだった)に反応して、
いきなりポゴダンス始めてしまいました。
店のオーナーから、あの子ヤバイから外に出してよって言われて、
「どう どう どう」っておとなしくさせたのがミドリとの出会いでした。
彼女はそのまま僕の家に住み着きました。
でもそれがきっかけでイコールを始めました。
当事、ミドリははごくまれに固有名詞を発する以外、一切人間の言葉はしゃ
べらず「ミャー」とか「ミュー」とか言うだけ。あとは感覚のみのコミュニ
ケーションでしたので、名前を知ったのもだいぶ経ってからでした。
最初はじゃがたらとかといっしょにライブ始めました。
江戸アケミどミドリは何故かとってもなついてました。

イコールは決まった楽曲は一曲もなく、ひたすらジャム・インプロビゼーション
でした。
リハもライブもレコーディングも全部その調子でした。
オッサンは曲作れって言ってたけど僕らは全く無視でしたから。
そーいえば、関西ツアーをスターリンと周るはめになった時、ミチローがライ
ブ中に僕らの機材におしっこかけちゃって、ミドリに土下座されられてたっけ。
ゲルニカが渋谷屋根裏でライブデビューの日は(イコールの対バンでした)、
ミドリが楽屋で戸川純ちゃんを泣かっしゃって、困ったなんてこともありました。
でも、オッサンはミドリを「ニューウェーブ・いたこ」だよねって、とって
もやさしく扱ってました。

そういえば川島UGを「バナナ」って呼び始めたのはそのミドリでしたね。
彼女は「ユージ」って呼ぶの嫌だったみたいで、
ある時、彼の顔見て突然「バナナ〜!」って叫んでそれで決まりでした。
バナナはマサミ(イコールのGr.)、タナ(イコールのDr.)と前からつるんでました。彼らはほんと巧かったです。
みな15歳ぐらいからバリバリのプロミュージシャンで天才と呼ばれてました。
バナナは十代ですでに事務所の付き人がいたくらいで、メロトロンとか日本
に数台しかないキーボード山ほど持ってました。
イコールとEP-4が一緒にライブやるようになったころ、バナナがイコール
に参加して来たんです。
しばらく続けましたが、バナナが入ったら全員の音がなんかよりいっそうグ
ルグルになっちゃって、これはグルグルすぎるよねって。
それに、ミドリもキーボードやりたかったようで。
そしたら、EP-4はソー君が抜けたんで、
丁度いいかなと思ってバナナをオッサンに預けたんですね。
EP-4は関西チームだから「バナやん」って呼んであげてね〜って。
そしたらすんなり「バナやん」ではまってしまいました。
その後はみなさんの知るところです。

ラモが逝ってしまって、当時を思い出したんですが、
僕らとオッサンの出会いは実はラモの存在があったんですよ。
これに関してはまた折をみて語れたらいいですね。
[2005年3月17日 21時3分59秒]

お名前: makoto-equal   
圭骸様 初めまして。EQUAL(イコール)でベースやっていたマコトです。
   
まずは「圭骸さんに拍手!」
サイトの雰囲気があまりにオッサン(カヲル氏)っぽくてこれは実はオッサン本人のやらせか?なんて疑りつつ楽しませていただきました。去年ここを見つけてから一年ぶりですが最近の掲示板ちょと寂しそうなのでおじゃまします。
こちらとしては本人抜きでオッサンを語ってるとこが面白いです。これからいろいろ暴露してオッサン本人から怒りの投稿があればますます面白い。圭骸さんよろしくです。

それから、ユンくん、覚えてますか?マコトです。元気そうでなによりです。タツオとかサクやんとかはどーしてるのかな。

いやー、しかし、ほんと懐かしいですねぇー。オッサンちは北白川の古い長屋だっだ。玄関がいきなり畳で和室にネオンの独特な家でした。その2階(スタックの詰め所)で、ブーはん達と、夜な夜なカセットのラベル貼りをやってた頃の匂いが漂って来ます。そこには猫がいっぱいいて、オッサンは子猫が生まれる度にみんなに配ってましたな。工作舎とか。3匹ぐらいミドリ(イコールのVo.)の家に来ました。僕んとこには「これを飼いなさい」と臭い亀を持って来ましたけど。田んぼで拾ったって言ってました。

四谷のオッサンの家は本と爬虫類の巣窟でしたね。本の間に水槽がいっぱいあって、図鑑にも載ってないようなトカゲやらイグアナやらが30匹ぐらいいましたよ。こたつの中には3m強のアナコンダが寝てましたし。キッチンはエサの白ネズミでいっぱいでした。ある日、オッサンはアナコンダにエサをやろうとして、手首まで飲まれてました。首しめられて死ぬとこだったらしいです。猛毒の水蛇が行方不明になって慌てた時もあったし。このサイトのイメージを損なうつもりはないですが、オッサンの行動はほとんどギャグでしたよ。根がいたずら好きでしたから。

オッサンに出会う前、1978年頃、僕は渋谷の公園通り裏のThinkというカフェバーで働いていたんですが、忘れもしない真冬の午後のこと。白いサングラスした子がビキニの水着に透明のビニールレインコートを羽織って、「ヒャーッ」とか「ヒューッ」とか言って、突然店に飛び込んで来ました。そしたら、その時かけてた音(ギャバレーボルテールとかだった)に反応して、いきなりポゴダンス始めてしまいました。店のオーナーから、あの子ヤバイから外に出してよって言われて、「どう どう どう」っておとなしくさせたのがミドリとの出会いでした。
彼女はそのまま僕の家に住み着きました。でもそれがきっかけでイコールを始めました。当事、ミドリははごくまれに固有名詞を発する以外、一切人間の言葉はしゃべらず「ミャー」とか「ミュー」とか言うだけ。あとは感覚のみのコミュニケーションでしたので、名前を知ったのもだいぶ経ってからでした。最初はじゃがたらとかといっしょにライブ始めました。江戸アケミどミドリは何故かとってもなついてました。

イコールは決まった楽曲は一曲もなく、ひたすらジャム・インプロビゼーションでした。リハもライブもレコーディングも全部その調子でした。オッサンは曲作れって言ってたけど僕らは全く無視でしたから。
そーいえば、関西ツアーをスターリンと周るはめになった時、ミチローがライブ中に僕らの機材におしっこかけちゃって、ミドリに土下座されられてたっけ。ゲルニカが渋谷屋根裏でライブデビューの日は(イコールの対バンでした)、ミドリが楽屋で戸川純ちゃんを泣かっしゃって、困ったなんてこともありました。でも、オッサンはミドリを「ニューウェーブ・いたこ」だよねって、とってもやさしく扱ってました。

そういえば川島UGを「バナナ」って呼び始めたのはそのミドリでしたね。彼女は「ユージ」って呼ぶの嫌だったみたいで、ある時、彼の顔見て突然「バナナ〜!」って叫んでそれで決まりでした。
バナナはマサミ(イコールのGr.)、タナ(イコールのDr.)と前からつるんでました。彼らはほんと巧かったです。みな15歳ぐらいからバリバリのプロミュージシャンで天才と呼ばれてました。バナナは十代ですでに事務所の付き人がいたくらいで、メロトロンとか日本に数台しかないキーボード山ほど持ってました。
イコールとEP-4が一緒にライブやるようになったころ、バナナがイコールに参加して来たんです。しばらく続けましたが、バナナが入ったら全員の音がなんかよりいっそうグルグルになっちゃって、これはグルグルすぎるよねって。それに、ミドリもキーボードやりたかったようで。そしたら、EP-4はソー君が抜けたんで、丁度いいかなと思ってバナナをオッサンに預けたんですね。EP-4は関西チームだから「バナやん」って呼んであげてね〜って。そしたらすんなり「バナやん」ではまってしまいました。その後はみなさんの知るところです。

ラモが逝ってしまって、当時を思い出したんですが、僕らとオッサンの出会いは実はラモの存在があったんですよ。これに関してはまた折をみて語れたらいいですね。
[2005年3月17日 20時43分15秒]

お名前: すずやま   
はじめまして。はじめて書き込みいたしますこと、おゆるしください。
ユングさん本人の書き込みをたまたまみつけて、衝動的に出てしまいました。
圭骸さま、みなさま、ときどき拝見しています。(ROM失礼します)

三条通さまも含め、ご活躍拝見しております。
私たまたま京都に在住していたために、ご活躍を目にする事が出来ました。
パーカッションの音を実際に耳に聞けるのは、ほんとうに光栄の限りです。
今後もさらなるご活躍のほど、ココロからお祈り申し上げます。

*私、イベントとは無関係の身ではございますが、ユングさん関連のものを
告知させてください。広告失礼します。

■「tsunami relief charity concerts」(津波被災者の為の慈善ライブ)

2005/1/30 (Sun) Kurodani Eiun-In 黒谷ー永運院(京都市左京区黒谷町)
 max & yun-han + 他 charge \700
  7PM start
2005/2/11 (Fri) Honen-In 法念院 (京都市左京区鹿ケ谷)
   max/ryotaro/yun-han (raw elements) +他
    charge \1000 4:30 start

■長所 : 総合的な自立前衛芸術者たちだった(分業が多い中で)
■短所 : 「行き先」が見えなかった(聴衆に伝わらなかった)
[2005年1月27日 2時8分5秒]

お名前: gs   
長所:カッコイイ(カリスマ的存在に対する普遍的な形容ですが)
短所:ヒトを信じない。孤独。ドラッ(以下省略)
※
2年前、佐藤さんを探しに東南アジア某国までいってきたんですよ。
お会いしたかったのは、ぜひ一緒に仕事がしたいと云うのが目的でした。
その土地の裏表の様々な方々にいろいろヒアリングしましたが、どうやらおれの行った処ではない所におられる、というウワサをきいたのが、そのときに得た最終的な成果でした。
おれはダブがめちゃめちゃスキでね (´ー`)

…空間時間を操る泰斗よ、いまどこにいる…
[2004年6月16日 13時45分8秒]

お名前: HYOGO   
久しぶりに83・12・26の靴紐計画や83・8・30のUNIT 3のライブ音源を聞いて,CD化されたクリアな音を聞きたいと思いました.
[2004年6月15日 1時10分55秒]

お名前: 藤田   
長所:EP-4という名前、ならず者部隊のような格好よさ
短所:怖い、遺産が少なすぎ

突然ですが、風化とは「名前」が忘れ去られる事ではないかと思うわけです。
ことにバンド名は時代感覚と切り離せぬため、後に思い出すのが恥ずかしい場合も多々ある。
このバンドが語られ続けるのは、EP-4という名前に力あるのではないかと妄想してます。
「いーぴーふぉー」と囁かれれば、間違いなくEとPと4が頭に浮かぶでしょう。
文字を目にした場合も、「いーぴー…よん?」と読む人間はまずいない。
このデジタルコピーのような伝播力がEP-4という名前の力で、この先まだまだ生き延びていく予感がします。

音からの印象ですが、EP-4は連帯なき連隊、不良兵士を集めたならず者部隊のように感じます。
(もちろん、軍隊というガイネンに「右翼、憲法改正、武力支配」などの含みはありませぬ)
完全燃焼なオレ達的な満足とは次元の違う、効果的かつ効率良く能力を発揮させた集団ではないかと。
ゆえに言語や思考を核にして、それを音とリズムにアウトプットできたのがEP-4の長所だと思ってます。


短所にした「怖い」は、自分自身の第一印象です。
単純に「金属バット殺人の家」を使ったジャケットは怖かった。
「昭和崩御」「昭和大赦」「制服・肉体・複製」などの字面もコワモテだし…。
まあ、子供ゆえの反応ですね。
遺産が少なすぎというのは、CD化を含むリイシュー状況です。
ただ、カヲル氏の「レコードなんていつでも出せる」発言を見ると、あまり音源を残す気はなかったのかなあとも思うのですが。


またしても長々とすみませんです。
それでは。
[2004年5月30日 16時47分49秒]

お名前: 圭骸   
cocoxさん、気持ちはよーくわかります。

ユン様 初めまして。皆さんが残してくれた作品、それが拙HPの原動力です。
    そして、まもなく3万ヒットになるEP-4ファンが後ろにいます。
    それを思うと、どんな苦労も苦ではありません。

    このHPは「事実、善意、誤解」の3本柱で構成されています。
    「EP-4が皆さんに本当に伝えたかった事が伝えられなかったこと」
    これを考えるため、数少ないインタビューを集め(事実)、或いは提供して
    いただき(善意)、考える(誤解)。

    その繰り返しで、丸3年にもなりました。これからも、ずーっと
    続けていきます。

    ともあれ、まさかユン様がみてくださっている、というのは驚き
    であり、光栄です。たまにで結構ですので、覗いていただければ
    これに勝る喜びはありません。当時のメンバーの皆さんにも
    宜しくお伝えください。
    
    
[2004年5月25日 1時19分41秒]

お名前: ユン・ツボタジ   
長所ーまだ誰も死んでないこと
短所ーEP-4が皆さんに本当に伝えたかった事が伝えられなかったこと
圭骸様 頭が下がりますわ たまに寄らしてもらいますので やめんといてね
[2004年5月25日 0時29分15秒]

お名前: tocox   
長所 : CD化されない事 
短所 : CD化されていない事

このアンビバレントな気持ちは正直なところです...
[2004年5月23日 6時14分46秒]

お名前: 圭骸   
学生時代圭骸の受けた試験では、「長所と短所を述べよ」という問いが、
非常に多かった。
問い 歯科用アマルガムの利点、欠点を述べよ
答え 利点 操作簡便 殺菌、消毒作用
   欠点 人体に悪影響 取り扱い注意 審美性に劣る

これは、トレーニングにもなって、何かを見ると長所は、、、短所は、、、
と考えるようになった。
そこで、皆さんの考える「EP-4の長所と短所」を教えて欲しい。
簡便であればあるほど、嬉しい。

では圭骸から。

長所ー 審美性に優れる 声にエフェクトがかまされている 重いビート メディア操作
短所ー 人的トラブルが多い 短気 作品の少なさ
[2004年5月22日 18時34分54秒]

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