記事タイトル:制服 肉体 複製 


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お名前: 圭骸@管理人   
みなさん、こんばんは。
BUGさんに想を受け、メインページに
「ない」が「ある」EP-4 NEWS
という項目を設けました。どんな些細な情報でも構いません。
思い出した方、そんな気がする方、どうぞ、こちらか
EP-4 NEWSにお書き込みのほどを。
勿論、他の項目もお待ちしております。
[2001年6月5日 21時54分13秒]

お名前: BUG   
ちなみに「制服 肉体 複製」ってのは、書籍流通を使ったカセットブックの第1弾で、
坂本龍一のカセットブックは、「制服 肉体 複製」をおもしろがった教授がペヨトル
に話をもちかけて実現したとのこと。

当時のペヨトルの社長(?)によると、宣伝面と話題づくりで坂本作品が第1弾という
印象が強いが、実際にはEP-4こそパイオニアであるとのことでした(85年頃の話)。

そのころのペヨトルを知る者にとって、EP-4との関わりがペヨトルの活動に大きな影響
と彩りを与えたことは忘れられない事実です。EP-4はポップではありませんが、
ペヨトルはやけにポップな「雰囲気」になりました。
[2001年5月1日 20時16分23秒]

お名前: 圭骸   
初めまして、mimocciさん、これからもよろしくお願いします。
大変、本質を問う重要な書き込みだと思います。ですので、今回は
「18年前に何を求めてNew Waveを聴きあさり、その後どうやって私は大人になったのだろう? 大人になれたのだろうか?」に焦点を当ててレスします。

当時のNewWaveは、薫氏言うところの「アンチのためのアンチ」ではなく本当に「アンチ」
だったと思います。「既存の音楽」「政治」「日本」、、、果ては「ymo」までターゲット
にされてました。
でも、その絶頂期にあったymo坂本氏が、あの神経症にかかる位の殺人スケジュールを縫っ
て「Phew」のプロデュースに乗り出したり、「タコ」に曲を書いたり(薫氏も参加、近々
カオル イン タコ」という項目作ります)してましたから、いかにこのムーブメントが
純粋で、熱狂的だったか、ということの良い証明でしょう(坂本氏はきっとビックリする
位の低ギャラだったろう)。
で、「教授プロデュースのPhewってだれ?」「Passレーベルって?」という風に知識の
ツリーが出来上がり、皆がそれを消化していきましたね。

では、なぜ我々はNewWaveに心惹かれたか?変革か?異端か?改革か?前衛か?ヘンタイよいこか?、、、
ただ一つの事実は「決して知的スノッブではなかった」ということです。知識としての、
商業としての音楽ではなく「精神、またはattitude」に共鳴し、心惹かれたのです。
きっとそれで充分なんでしょう。

オトナにはなれなかったし、なれません。「マツイがホームラン、、」「3−7買っときゃ
万馬券、、」「昨日のウッズ、、」この辺の話題をどう思うか?これが「社会」です。
「アーントサリーの復刻盤が、、」「突然ダンボールが、、」「モモヨって、、」「天国
注射の昼は、、」こういうのは「反社会」ですね。
でも生涯を棒に振る価値が、あの80ムーブメントにはありました。多分、僕もmimocciさんも
NewWave-non-stopなんでしょう(違っていたら失礼)。

momocciさんの足元をもう一度見てください。きっとFramp Jumpしていることでしょう。
[2001年4月4日 7時42分52秒]

お名前: mimocci   
こちらのサイトを拝見し、恐ろしくなるほど久しぶりにEP-4を聴いた。
タイトルのカセットブックは1983年3月13日発行となっており、当時のインディーズシーン全体を思い起こさせるかのような思いにかられるが、EP-4は今聴いてもかなりクールだとあらためて感じる。

18年前に何を求めてNew Wavw を聴きあさり、その後どうやって私は大人になったのだろう? 大人になれたのだろうか?

先日、マリリンマンソンのライブに行った。会場には若いマンソン・ファンに混じって、見るからに40代、あるいは50代?と思われる人がいて、たいへん感慨深く感じてしまった。
親がとても理解できない音楽(ロック)を聴くことが、10代の反抗期の少年少女にとって簡単お手軽な装置であった時代だったのかと、しみじみとしてしまった。
親から譲り受けたロックを聴く子どもたちは、親離れ装置を探すにもたいへんなんだろうな。

久しぶりにEP-4を聴きながら、私は大丈夫かなって、自分の足元を見てしまう。
[2001年4月3日 22時38分14秒]

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