ゆめりあ
メーカー ナムコ 公式サイトはこちら

1970年代や80年代といった括りを聞いたところで、昔を語るには人生経験が足りない俺ですが、今だこういった喩えをされ懐メロ等が持てはやされる風潮を思えば、時代を一括り出来るようなムーブメントが確実にそこにあった事は想像できます。また想像だけに留まらず、「おニャン子クラブ」や「光源氏」辺りのギリギリの世代の自分なので、子供心にそういった流行を漠然と感じていたと共に、興奮や感動を、他人じゃなくもっと大きな、言うなれば“世間”と共有出来た最後の世代なのでしょう。

全て、それこそ全てを巻き込んだ大きなうねりの一つ一つは、俺が青い春を迎える頃には終わりを告げ、少なくとも俺の視界には入ってこなくなりました。そして21世紀の今になって起こる流行は、どれもこれも局地的なものとしか映りません。エンターテインメントという枠で捉えるならば、サッカーW杯も大きなうねりの一つなんでしょうが、目に見えるお膳立てをされ尽くした結果のW杯と、誰が望んだのかわからないまま起こった昔の流行は、性質の全く異なるものとの印象を受けます。そういった意味で、あの頃のような流行はここ何年も起こってないのではないでしょうか。

それが何故なのか、社会や景気のせいと理由付けするのは簡単ですが、んなもんに意味はありません。ここまで大上段に話を振っときながら真に言いたかった事とは、時代を一括りに出来ないほど個人の嗜好が多様化した現代という至極陳腐な前説なんで、哲学晒したフリをした行数稼ぎとでも受け取って下さい。

嗜好の多様化はエンターテインメントを製作する上で、受け手にウケる“セオリー”というものを無くしました。大多数にウケる道標が流行という言葉自体の終焉で無くなってしまったからです。芸能一つとってもそうなら、嗜好品であるTVゲームもそう。まだ「プレイステーション」の初期ならば、“ポリゴン”というセオリックな要素も存在しましたが、今現在でポリゴンを売りにするなら、この「ゆめりあ」のような美少女ポリゴン、もっと言うなら「ゆめりあ」のようなスクール水着萌えポリゴンぐらいまでの売りを前面に出さないと、受け手は歯牙にもひっかけてくれません。流行が流行とならない理由を景気のせいにするのは不毛ですけど、ポリゴン美少女萌えワールドなんて閉じた世界に大手ゲームメーカー「ナムコ」が入って来た現実は、やっぱり不景気なんでしょね。

さらに、嗜好が多様化してるならば、作ったモノが額面通りに受け取られるとも限りません。勿論この「ゆめりあ」は、ポリゴン美少女に萌える為に作られたんでしょうが、又違う楽しみ方で買う人間が現れるのも時代の流れなのです。体よく時代のせいにした俺の購入動機とは、“技術優れる大手メーカーの作った美少女ポリゴンとはどんなもんか?”と、“優れた技術は次代(主にエロ方面)に繋がるのか?”の2点だけです。萌えるか萌えないか?の一番キモな部分は、パッケージとサンプルムービーを見てもらえりゃ後はそれこそ嗜好の問題ですわ。絵ヅラ以外の萌え要素なら保障しますぜ。

でもねぇ、セオリーが通じない時代に生まれた申し子と言っても、“楽しめる”ぐらいのセオリーは守りましょうや、ゲームなんだから。

「ゆめりあ」の基本はごく普通の恋愛アドベンチャーゲームでして、途中選択肢を選んで対象になる女の子の好感度アップ、後々エンディングに絡んでくる、というアレです。アドベンチャーゲームを楽しむキモとは、テキストとストーリー展開以外にありえない、いや推理アドベンチャーといった能動的に楽しめるゲームならまた違った遊び方がありますが、「ゆめりあ」は恋愛アドベンチャーゲームという枠のテキストゲームでしかありません。いや、やり始める前なら恋愛アドベンチャーと思ったけど、やり始めたら恋愛アドベンチャーゲームという枠に入れる事すら躊躇われます。
幾多ある恋愛ゲームで良作と言われるものは、恋に落ち愛が生まれるさまを描写することで、生命線となるテキストのクオリティを保っていました。それがリアルかウソ臭いかでまた良作駄作の線引きが出来るけども、「ゆめりあ」にリアルもクソもありません、入れ食いだから。

いやーもう、出会う女全部が主人公に惚れてるそぶりを見せるわ出会った直後に“ダーリン”呼ぶロリータが居るわ、ワタクシ一体どんなエロゲーをやってるんでしょう。それも駄作方面に向かって一直線のエロゲーを。今まで「りゅん」やら「にょ」やらのあざとい語尾は見てきたけれど、今度は「なのだ」「ズバリ」で極めつけ「もね」ですか。テキストに魂でも入ってりゃ文句言いませんが、インパクトある語尾でテキスト全部をゴリ押ししてるでしょ?あざとさの上塗りしてユーザー舐めるのも大概にしとけ。まーとにかく、俺はゲーム中に笑いっぱなしでした、飽きれるとか嘲るとかそんな意味の。

“恋愛の中に存在する個人の葛藤”を描写することを放棄し、の割に“萌える為の記号(語尾や天然ボケ等)”をそこかしこにばら撒いてる時点で、このゲームのテキストが一体どれほどのもんか、エロゲー百戦錬磨の方なら解ってもらえると思います。ただ葛藤を全く描写しないアドベンチャーゲームというのも今ドキありませんので、別の部分を掘り下げて描写してあります。このゲームのクライマックス、“一個人(主人公)が世界を救う”事に関する葛藤です。
、、、へ?世界を救う?

今までが“周りが好意を持つ人ばかりのちょっと変わった日常”の描写にすぎなかったのが、唐突に、話にオチ付ける為に現れた大儀。なんだかとってもデジャブな気分です、「サクラ大戦」やった後とか「グランディア・エクストリーム」やった後とかに味わった、今まで積み上げた雰囲気をぶち壊す切なさ炸裂。それもこれらニ作と同じような、後半それこそ唐突にやったら難しい単語並べて理解不能な世界崩壊の危機を、ゲーム内にしか存在しえない理屈で煽ってるくせに、最後の最後に理屈がどっかに吹き飛んで感情に訴えたりの、何がしたいか見せたいか解らない世界。テキストがあんなならストーリー展開もこんな、ワタクシディスクを叩き割ろうか思いましたよ。んまあそれでも実際叩き割った「EVE The Lost One」程じゃなかったかも知れませんけど、慰めにもなりゃしませんな。

崩壊に向かう世界を演出する為に、アドベンチャーシーン以外にも戦闘シーンをこなさなくてはいけませんが、ここも相当にヒドイ。コマンド選択方式で選択肢はほぼ三択、攻撃するか、防御するか、回復するか。アドベンチャーパートで恋愛感情が溜まってればチャージ攻撃という選択もあるけれど、オノレの知能なんぞロクに使わなくても勝てる戦闘の合間に現れる、飛ばす事の出来ないアイキャッチみたいなの。こんなつまらない上にテンポも悪い戦闘シーンを作ったのが、あの「ゼノサーガ」の、「ヴィーナス&ブレイブス」のナムコなのか。敢えて「テイルズ」は挙げないけれど、しかしこの戦闘パート、“崩壊に向かう世界を演出する為”というのは良く言い過ぎで、実は“時間稼ぎ”じゃないのか?若しくは恋愛度がどこまで深まったかチェック、を果てしなくダラダラやらせてるとか。

ここまで書いての通り、ゲームとして作ったヤツ等の自宅を白い布で覆っちゃいたくなる中身でした。んが、それはゲームをゲームとして見た時の話、始めに書いた俺の購入動機は満たしてくれたのかと問われれば、ぐぅの音も出ない程に完成されてます。
ゲーム中全てのキャラクターはポリゴン、会話のリアクションもリアルタイムポリゴンの仕草、胸に手をあてる動作も極めて滑らか、喋る時に呼吸で上下するポリゴン、エトセトラエトセトラ、、、。テキストで述べた“萌えに対する固執”は、ストーリーを綴る上じゃあざとさ以外に映らなかったものの、ナムコの技術を結晶したポリゴンと絡めて考えれば、これほど効果的なテキスト及びキャラクターのお膳立ては無かった、ここだけ見ればそう転んでも不思議じゃありませんわ。事実俺は危なかったです。

しかしやっぱり、ストーリーの脊髄反射仕様のおかげで、上辺だけ取り繕った萌えなんですなぁ。ユーザーが精神を凌辱される程に萌え狂う訳じゃありません。時間が経って覚えてるのは「もね!」ぐらいのもんで、個々のキャラクターまで覚えてるこたぁ無いでしょう。酷いと言えばこれ程酷すぎるゲームもなかなか無いんだが、コンセプトだけはとことん満たしてる訳で、その辺は次に期待っちゅーことでイイんじゃないでしょうか。

って、「次に期待」とはポリゴンエロゲープレイ後の常套句でしたな。今のところ技術に限界は無い、って確かめられたのは儲けモノだけど、この「ゆめりあ」単体を見れば、中身はカラッポ萌えギュウギュウなんつう根本はるみに付いてるチチみたいなゲームでした。チチさえあればイイ!という時代なんでそれはそれで構わないんですが、下チチぐらいならオフィシャルサイトのサンプルCGやサンプルムービーで見られると思いますんで、金出す程のゲームじゃあないというのが総評です。大体金を出したところで乳首まで見せてくれる訳じゃないし、ヘタに売れて「シナリオなんざこんなもんでいい」と勘違いされても困るし。
ナムコの景気回復には貢献出来なくても、ナムコがエロゲーに参入したら嬉しいなぁ、それが俺の「ゆめりあ」なんだか「テクモ」と同列。

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