マドンナのつぶやき

亜季良のつぶやきエッセイです

マドンナのページを始めてから・・
 最近、このホームページが雑誌や新聞の関係者に知られるようになりました。とても嬉しいことではあるのですが、なんか照れくさい気もします。だってそれほど特徴もないこざっぱりとしたページじゃないですか。紙面に載せてもらえるほど立派なモンではないです。
 だいたい私がこんなページを作りたかったのは自己満足のためです。農家に嫁いだ私が普段気にかけてる事や誰かに話したくってしかたないことなどのはけぐちに使っているにすぎません。まあ同じ境遇を分かち合える共通の話題をもった友人がいないという淋しい人間だと言うことなのでしょうが・。
 私は昔からノートに何かを書くのが好きで、イラストを描いたり、文章書いたり、そういったもので自分の気持ちを落ち着かせたり整理させたりしてきたように思います。「亜季良の部屋」の作品集もその昔そうやって書いてたものです。だからこの「つぶやきエッセイ」なんかは私の言いたい放題。ストレス発散口でもあります。今まで言いたくても胸で押さえていたもの、ここで書くことでだいぶ気が楽になりました。他人が見たらなんだ大したことないと思うでしょうが、なかなかものを口に出して言い返せない人間にはこういう場所があるとうれしいのです。
 こんなまとまりのない文でもネット上に載せることによって、全国から同じ農業女性達が来てくれるようになりました。「私も同じ思いなんです。」と言ってもらえると、それだけで仲間が増えたような気がして嬉しくもあり、心強くもなります。きっと私と同じ気持ちの人はいるはずです。その人達に、仲間がいるんだよと伝えたいのが私のページです。これを元に、農村女性の地位を向上させようなどという、行政が掲げるスローガンのような大それた事は全く考えてません。お茶のみ友だちが集まるように、農家の女性の情報交換の場所に使ってもらえればいいだけです。
 アンケートには幅広い年齢層から回答をもらいました。年代やおかれた環境によって色々な意見が出ました。私はまだ人生の半分ほどしか生きてませんが、若い世代には経験してきたことを伝えたいし、年上の世代からはまだまだこれから色々教わりたいと思ってます。これから農業の世界に入る若い女性達には先に仕事をしている人達の意見を聞いて不安や迷いを解いてもらいたいし、農作業ベテランのおばさま(失礼!?)達には姑的立場で今の若い嫁達の意見を聞いてもらいたいのです。そんなそれぞれの思いが「農家の嫁」のアンケートの結果には出ているような気がします。よく、お役所からお誘いを受ける農業関係の講演会とか事例発表なんかでは、苦労話はあるものの成功した話しか聞けません。選ばれた人の話より多くの人の本音が聞きたいと思いました。だからアンケートで本音が聞けないものかとやってみたのですが、思った以上の結果で正直なところ驚きました。それぞれの人生観を見るようで、私もちょっと頑張ってみようかな・・という気にさせられました。このアンケートの結果は他の農家の女性達にも何か感じるものがあったと思います。
 私は何事経験不足ですし、人から相談されるほど豊富な知識も心も持ち合わせていません。だからカウンセラーのようなページは作れませんが、このページを見て元気or勇気をもらったよという、ビタミン剤のようなページになれればいいかなと思ってます。ただ、ほんとにここは私のお楽しみで作っているHPですからお茶飲み感覚で来てもらえればいいのです。家の中を見て回って適当な感想を言って行かれるだけでいいですから。普段口にして言えないことを言える場所にしてもらえれば私もうれしいです。

田舎の近所づきあい
 私はもともと田舎で生まれ育ちましたから、隣近所のおつきあいというものはごくあたりまえに感じていましたが、都会から来たお嫁さん達にはこれがものすごくめんどうらしいですね。
 まあ、隣町から嫁いだ私でさえ、ちょっとした習慣の違いにも迷ったこともありましたから、当然といえば当然かも知れません。それに田舎の近所づきあいというのは、冠婚葬祭はじめ、いろいろな面で都会から比べるとかなり密ですよね。私自身でも20代の若い頃は地域の集まりに行くのは何となく足が重かったものです。でも今になって思えば、それはとても大事なコミュニケーションだったんですね。
 都市部ではよく隣の家に誰が住んでるかもわからない、若いお母さんが初めての育児で相談する相手もいなくてノイローゼとか、公園デビューという儀式めいたものがあるとか。まず私が住んでいる地域に限ってはそういうことはないように思います。
 私達のところでは、観音講という月に一度の女性達だけの集まりがあります。文字通り観音様をお祀りする行事ですが、宗教的なものとは名ばかりで、もともとはその昔どこへも出かけられなかった女性達が誰に気兼ねすることなく集まる場を作ったもののようですが、今ではお互いの情報交換の場となってます。最近は田舎でも会社などの外で働くお嫁さん達が多くなり、日中は顔を合わすことなどほとんどないのですが、こういった集まる場所があるおかげで地域にいる奥さん達と会い、会話をしてお互い名前や顔をを憶えることが出来たり、話をすることで日頃のストレスを発散したり、学校のことや地域のことやお互いの情報を交わすことで仲間意識というか、地域の輪が作られていくような気がします。まあ、こんな事がわかるようになったのはある程度年数重ねたせいでしょうけどね。
 でも中にはつきあいづらい人というのもいるものです。その人はすぐ近所で、人を見るというのか、自分の気に入る、気に入らない人によって態度(対応)が違うのです。我が家は気に入られていない方だったようで、ろくに挨拶もされない感じでした。そんな感じですから近所でも「あの人は〜」という言われようです。ところが、その人の家が新築されることになり、嫌でもおつきあいせねばならない状態になりました。田舎では上棟の時は近所の人を呼び、祝いをしたり女達はお給仕したりと一大行事です。若い夫婦はその手順もわかりませんし、物(食器や道具類)も揃ってないため、普段は挨拶も素っ気なくしている我が家(いちおう本家になってますので)に頭を下げてまで頼るしかない状態でした。我が家でも普段の態度がどうだからといっても、近所づきあいはしかたあるまいとあれこれと出来る範囲のことはしてあげました。こんな時ほど近所づきあいのありがたみはわかるものです。いつもはあれこれ世話をやいてくれる隣人のご主人がこの時はほとんど世話をやきませんでした。それを見たウチの主人が言いました。「こういうとき、普段の付き合いがわかるよなあ。」なるほど、田舎に限ったことではないのだろうけど、普段のおつきあいはいつか自分のところに巡ってくるもんなのですね。

農作業が迷惑?!
 最近は、田舎の中の暮らしでも隣近所に気をつかわなければいけない時代になりました。
 昔は近くで野焼きをしてようが、農機具の音をたててようが、生き物の匂いが気になるようでも、所詮はお互い様。いつどちらの家が迷惑かけるか、かけられるか分からないのだからと、お互いを理解し合いながら暮らしていたような気がします。
 ところが、最近は新興住宅地のような全く違う土地から移り住んでくる人達や、どんどん嫁いでくる若いお嫁さん達の自己主張が強くなり、以前は当たり前にしていた農家の作業が迷惑がられるようになってきているようなのです。
 (まあ、農家の中にもマナーの守れないような人もいるので、実際迷惑かけてしまう人がいることも否定は出来ませんけども)
 私の住む近くの新興住宅地はもともと山林や畑だった土地を区画整理した所で、主に田畑のすぐ脇に家が建っていたりします。当然自然環境の中からは虫も出てきますし、田んぼにはカエルや魚など多くの生き物が生息しています。時期がくれば虫も多くなるし、カエルだって求愛のために鳴き出します。それが住民には苦痛なようで役場に直接苦情が行くそうです。「カエルがうるさいからなんとかしてくれ」これには職員も困り果てたようです。私たちは仕事でトラクターやコンバインなど大きな機械を必要として使っていますが、このような話を聞くとさらに気をきかせなきゃと思うのです。なるべく夜間(だいたい8時以降)や休日の住宅近くの仕事はひかえる。ほこりのたつ日は特に風向きによってやり方を考える等々。
 なぜもともと古くから住んでいる住民が新しく越してきた住民に気をつかわなければならないのか?疑問に思います。周囲の環境がどんなところか知らなかったわけではないでしょう?その土地の条件をよく理解して移り住んで来たわけではないのですか?住宅地の人達の中にも積極的に旧住民とコミュニケーションをとろうとしてくれる人も多くいて、それなりに理解を示してくれる人達もいるのですが、個々それぞれで、性格的な問題ということなのでしょうか。
 あと、農村地域に嫁いでくる若い人達。今は田畑をもっていても専業農家に委託してよそへ働きにいく家が多くなりましたから、お嫁さんもほとんどお勤めにいっています。だから余計農業への理解が出来ないのか、機械音がうるさいとかほこりが立つとかでいやな顔されたり、作業自体が迷惑とハッキリ苦情を言われることもあります。特にお隣さんの家。私とは年もあまり変わらず、実家も農家なのだから少しは理解できそうなものを、あれが迷惑だの稲刈りどきはほこりが立ち洗濯物が干せないなど、果てにはゴミが飛ばないように囲いを作れと文句の出放題。狭い家ではないのだから洗濯物を違う位置にすれば解決しそうなものを・・と思うのですが。自分が思うようにならないと気がすまない人で、まあ、近所でも有名なほど何かにつけて小うるさい人なので、半分は左から右へ聞き流すようにしています。これからはこういうことを言う人が増えるのでしょうか?
 でもそういった人達にはこう言いたいのです。あなた達だって毎日ご飯や野菜やお肉を食べるでしょう?それらはどこでどんな風にして作られていると思っているのですか?食の源がどのように作られているのか知っているのですか?
 自分たちでゴミを出していてもその捨て場所が近くにあってはいやだとか、自分の家や車はきれいでも平気で山林などにゴミを捨てるとか、よその子の批判ばかりして自分の子のことを省みないとか。最近は自分たちの尺度でしか物をいえない人達が増えてきているような気がしますね。

30代人生の迷い
 誰でも、どんな職業でも、新人の頃は迷いや不安といったものがあります。私も嫁いだばかりで土地勘も仕事内容もわからず家の手伝いを始めた頃は新人そのものでした。農作業請負の請求書を書きながらどこのどんな人なのか見当もつかず、実際訪ねてこられてもいろんな顔が入り交じって区別がつきませんでした。電話においても、いきなり「あ、俺だけど」とか「んー、いっかな?(いるかな)」で始まる人もいて困ったこともありました。
 仕事の上でもはじめは何をしてよいのかわからず、言われるがままにするだけでした。失敗も度々。そんな中、てきぱき仕事をする姑がうらやましかったです。まあ、人生においても仕事においても大先輩には違いないのですからあたりまえといえばあたりまえなのですが、30sの米袋を軽々持ったり、機械操作も着々こなし、話題においてもあそこの田んぼはこうだ、こっちの畑はどうなっているなど、私の知らないことで主人達と話が合わせられることに少し嫉妬心さえ感じていました。
 じつは、そんななかで少し落ち込みの時期があったのです。嫁いでから家事や育児中心で頑張っていたものが少しずつ農業に足を踏み入れ、子供達も成長してある程度手がかからなくなったころ、はたして私の人生これでいいのかと振り返るようになってしまったのです。ちょうど三十半ばの頃です。たぶんこれは職業や性別に関わりなく、このくらいの年令になって迷い出す人は多いように思います。つまり、それまでなんとか自分の人生作ってみたけれどどうだろうか?年齢的にやり直すのならまだ間に合うといった気持ちからくるものなのかなと思うのですが、私も近所の同年代のお嫁さん達が外へ働きに行くのを見て、昔和裁所通いしていた頃を思い出していました。主人と仕事をするのはいやではなかったけれど、外へ出て自分だけの職業持ってもいいのでなはいか。家にいても上手な仕事は出来ない。もたもたしていると姑がサッとかたづけてしまう。今なら違う仕事でもやり直せるといったジレンマにとりつかれて少落ち込んだ状態になりました。農家の嫁だからって農業しなくたっていいじゃないのよっていきがってみたり・・。当時パソコン通信でそのような書き込みをしていたら、みんなに疲れていませ んか?と言われました。そう、経営や家計のやりくりを任され(譲り渡され)頑張らなくちゃと思っていたのに、現実には舅や姑が頑張る(手助けをしてくれてありがたいですが)、それで自分自身の力量のなさを知り、なさけなく感じてしまっていたのです。
 今ではもう、いる者は使え状態で、姑達が元気に仕事に加わってくれていることに感謝していますが、この時はほんと、姑と私の存在価値を天秤にかけて比べたりしていました。農業は経験が物言う世界ですから、家族経営である農家ではおジイやおバアが偉そうなこといったり、てきぱき仕事をして若い者を従えていてもそれは仕方のないことなのかも知れませんね。でもある時期が来たら若い人達に自由にやらせてあげて欲しいのです。いつまでも頑張っていられると跡を継ぐものは出番がないような気になってしまいます。だからといって隠居して遊べとは言いません。一緒に仕事に加わってもらうことには感謝なのですから。
 私がその迷いから抜け出した時は、帳簿をつけたり税金申告等の計算が私にしかできないという自信が気持ちを救ってくれました。つまりどんな職業でもただやみくもに仕事をするより、これは私の仕事といったようなある意味責任のある仕事が見つかれば自信が持てるというか、いきいきとした仕事が出来ると思うんですよね。農家の嫁も同じで、この仕事はあなたがいないと・・といわれれば頑張りがいがあると思うのですよ。農家の長男や姑さんにはそこんところちょっとわかって欲しいな。

農家の嫁だから農業するの?
 結婚するとき、両親から「いつかは農業をやる覚悟はあるんだろうな。」といわれてウンとうなずいたものの、当時は全くそんな気はありませんでした。私自身ちゃんと手に職を持ってましたし、義父母からは「忙しいとき手伝ってくれるだけでいいから。」といわれていたものですっかりその気になってたんですね。忙しいときの手伝いといっても、家事仕事の間に合わない姑に代わって私が家事いっさいをうけ負うくらいのもんで、農作業にはいっさい手をつけていませんでした。
 ところが周りの人はこう言うのです。「ちっとは畑仕事やんの?」と近所の人。「農業者のパートナーとして、こんなことしたら。あんなことしたら?」とJAやお役所の方々。先輩の農家婦人からは「はじめはみんなね、畑仕事しなくっていいからって言われて嫁にくんのよ。でもだんだんやらなくっちゃなんなくなんのよ。」 (でも、私30sの米袋なんか全然持てないから)なんていうと「大丈夫!大丈夫!あんなの慣れだから。そのうちヒョイヒョイ持てるようになるから。」といわれてしまう。人によっては「大きい農家に行ったんだあ。それじゃあ大変ねえー。」・・とも。
 私はこの、農家の嫁=農業が仕事という図式でものを言われるのがすごくいやでした。まるで私が農業するのが当たり前と言われているような気がして、全然やる気のなかった私には抵抗感がありました。だって私はちゃんとした職業持ってるんだから、今の仕事好きなのに続けてはいけないの?農家に嫁に来たら農業しなくちゃいけないの?私は旦那様が好きで結婚はしたけれど、農業とは結婚してないわよー!と、叫びたいくらいでした。
 そんな私が今は大地のなかで働いています。どうしてよ?妥協?といわれてしまえば否定は出来ないかも知れません。でも私は妥協とは思っていないのです。選択だと思っています。今でも私は農家の嫁は農業すべきなんて決まりはないと思ってます。今の女性は皆自立していますからそれぞれの職業を全うしてもかまわないと思います。主人が農業者だからそのパートナーとして仕事をしろなんて。妻が旦那と同じ職をするかどうかは妻の選択だと思います。じゃ、どうして私は主人と同じ仕事を選んだか?うちの家族は誰も私に農業をやれとは言いませんでした。好きにしていいと言われたくらいです。でも私はこっちを選んだ。それは、農業という職業に魅力とやりがいを感じたから。夫婦のコンビネーションと家族の支え合いで成り立っている仕事だから。と、書けば格好いいですが、ほんとの理由は単純です。旦那にあれやこれや言われて動き回っている農家のおばちゃんたちしか知らなかった私には、田畑でタラクターや田植機にまたがってキビキビ仕事して、けして男性に引けを取らない女性の姿を知ったとき格好いいと感じたのです。どうせやるなら私もあのくらい格好良くやりたいと。きっ かけはそんなモンです。でも実際仕事を始めると、主人と一つの物を作り上げるというのはやりがいのあることだし、忙しいときなどは気持ちは焦っていても、どこか活き活きと仕事をしている自分の姿をを感じるられるのです。きっと、農家の嫁だから仕事しなさいと言われて嫌々やっていたらつまらない人生だと後悔していたかも知れません。
 主人と同じ、揃いのツナギの作業衣と帽子をかぶって仕事をする私の姿を見て、近所の友人がこう言ったのです。「いいねえ、夫婦で同じ仕事が出来て。」(そうかな?)というと「だって共通の話題が出来るでしょ。私ずっとうらやましいと思ってたんだ。」・・・とてもうれしく感じた一言でした。

農業という職業をするまでの出来事
 兼業農家で生まれ育った私は、農業という仕事には違和感はなく、時には作物の出荷のお手伝いなどしていたものでした。でも一生その仕事の中で暮らしていくなどとその頃は考えてもみないことでした。両親は、土で手を汚し、重い物を持ち運びする重労働の職業であるということを誰よりもよくわかっていましたから、農業の先行きがあまり明るいものではないこと、サラリーマンが安定した職業になっていくのを感じて、自分の娘は決して農家には嫁がせまいという親心というか信念みたいなものをもっていたようです。私もそんな両親の気持ちを知ってはいましたが、まだ結婚など遠い夢というように羽を伸ばして独身を楽しんでいました。ところ現実、その娘が恋に落ちた相手は、こともあろうか大きな農家の跡取り息子。時に社会はバブル経済に酔っていた頃で、商社マンとの結婚は玉の輿といわれるくらいの時代でした。当然両親からの猛反対の壁が立ちはだかりました。けれども私たちのゆるぎない気持ちに変わりはなく、私はとうとう家を出るように嫁いでしまいました。今思えば幼稚で安易だったなとも思いますが、そんないきさつがある故に少々のことにはへこたれ ず、両親にそれ見たことかと言われないよう頑張ってきたような気がします。
 農業という仕事もはじめは、すぐに子供が出来ましたから子育て専念で、義父母たちもまだ現役で頑張ってましたし、私は家事などをして普段は独身時代からの仕事の和裁をするため通勤していました。ところが徐々に仕事の主導権が主人になっていき、仕事の量もだんだん増えてくるようになり、何も手伝えない自分が情けなく感じてきました。家の中では畑仕事などの話が多くて、全く手を出していない私には全然わからなくて話についていけず、なんとなく家族の中で取り残されたように感じるようになっていました。このままではいけないと思った私は、少しでも仕事を理解していこうと思い、まず田植えや稲刈りの請負作業の伝票計算をしながらお得意さんの名前などを覚えるようにしていったのです。それから今どんな仕事をしているのか主人に聞くようになり、家族の会話もだんだん理解できるようになっていき、忙しい時期にちょっと手伝うようになってから、少し私にも出来そうだなと思うようになっていきました。 子供もある程度手元を離れる頃には経営も譲り渡され、私も経営者のパートナーとして仕事をせざる終えなくなりました。そうして月日を重ねるうち、いつの間にか私はト ラクターに乗って作業するまでになり、帳簿整理は私の役目ということで税申告などは私がいないと困るぐらいのポストになってしまっています。
  今になって主人が、「ここまでやるようになるとはねー。」と感心したようにいいますが、「アンタと一緒になったからじゃないのよ。」と返してあげます。当の本人でさえここまでやれるとは思っていなかったんだから。