2002年5月

赤ちゃん同窓会(その様子は演奏会履歴をご覧下さい)も終わり、次に病棟からの演奏依頼を控えています。お年寄りの患者さん向けに、親しみやすいメロディーをお届けしたいと考えています、、、が、練習はまだ全然できていません(←いつものセリフ)。

2002年に入ってからの雑感では、「クァルテットの教科書」などを適宜参照しながら、弦楽四重奏というものを考えてきました。つまり私達のこれまでの経験から感じ得たことを、一つ一つ教科書で確認してきました。音楽において“絶対的”なものはないとは思いますが、それでも大家の意見を確認するのはとても参考になります。

今回は、「クァルテットの教科書」の冒頭の部分をご紹介します。まず、
弦楽四重奏は特別なものだといえます。何といってもそれだけで充足した器楽形式で、それ自体の形式としての完成度の高さゆえに数世紀にわたって活き続けており、また今後も、人々が楽器を演奏する限り、存続してゆくことにまずまちがいはありません。
と始まります。

4人という少ない人数のアンサンブルにも関わらず、弦楽四重奏は音楽を表現していくためには最高の形式だと思います。どのパートが一人欠けても全く成り立たないことは、私達も練習を通して感じてきました。また、これまでの雑感でも度々書いてきましたが、同じように弦楽器を演奏するにしても、オケや弦楽合奏団で弾くのとはかなり性質を異にしていることも感じます。

その異なる点として、同著には以下のような記載があります。
クァルテットにはソロともオーケストラともちがった問題がたくさんあります。クァルテットの演奏とは、4人の奏者が一つの統一された全体を形成しつつ自律した個人でありつづけることを意味します。ソロ奏者は自分だけで全体ですし、オーケストラのなかの個人は指揮者の人格によってまとめあげられた大勢の中に埋没してしまいます。

これまで個人レッスンやオケでの活動を続けている私達にとって、最近この文章の意味するところが非常によく分かる気がします。これまで、弦楽四重奏の演奏を聴いているだけでは感じ得なかった上記の文章の意味について、実際に四重奏を経験すると身を持って感じ取ることができるように思います。

そのための演奏技術については次のように説明されています。
弦楽四重奏に弦楽器演奏のテクニックは当然必要ではありますが、そのテクニックも弦楽四重奏特有の効果をあげるために役立てるのでなければなりません。フレ−ジング、ボウイング、フィンガリング、ピッティカート、色彩を生み出すすべての手段が、クァルテットでは新たな意義を持ってくるのです。このような部分で、、、たいていは試行錯誤の繰り返しですが、、、さまざまな実験をしてみることは、この芸術に本当に身を捧げる人たちだけが味わう喜びの一つなのです。

私達はプロの音楽家ではないので、四重奏に身を捧げているとは言えませんが、それでもアマチュアとして試行錯誤の中でこの分野に取り組むことにより、やはり同様のことを感じます。私達は技術的には極めて未熟ですが、それでも個人レッスンやオケで習ってきた内容とは異なる、いわゆる“弦楽四重奏特有の”テクニックが必要であることも感じてきました。そしてこのことは実際に四重奏団で弾くことによってのみ味わうことが出来るのでしょう。

次いで以下のような説明がなされています。
技術的な能力はいくらあっても十分ということはないものの、クァルテット・プレーヤーの能力は、輝かしく目立つ部分よりも、他のパートとの関連のなかで自分のパッセージをどう扱うかという点で測られます。周知のように、すぐれたヴァイオリニストがかならずしもすぐれたクァルテット・プレーヤーではありません。

本当にそう思います。私達が四重奏をまとめていく上で最も重要と考えているのは、「一人一人が上手に弾くこと」よりも「他パートとの関係」や「曲全体の把握」です。

そして次のように結ばれています。
よいクァルテット演奏ができれば、それは音楽家としてのオールラウンドな能力を身につけるうえで最高の訓練となります。

私達アマチュアにとっては、“よい演奏”のためにはもちろん技術面についての課題も少なくありませんが、前回の雑感でご紹介した今井信子さんの意見とも通じるこの文章は、私達にとって大きな希望と勇気を与えてくれます。そして、四重奏を続けていく上での大きな指針を示してくれるものと考えています。全国の四重奏団の皆様からのご意見をお待ちしております。
普段の練習場の様子。全員の仕事が終わった夜遅く、
職場の片隅でひっそりと合わせています。
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