2002年3月 その2
このところメンバーの仕事の都合が合わず、練習が行われていないことは前回書いたとおりです。ちょっと残念ですが、その前までは“心を合わせて合奏する”練習を始めていたところでした。これまでに演奏した比較的易しいクラシックの曲を再度振り返り、「もう一度、一から考え直す」ことにしていました。とりあえず、モーツアルトの「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」と「ディベルティメント二長調」の2曲を取り上げ、全楽章を少しずつ詰めていきました。細かく見直していくと課題は山積みであることに気付かされます。
実を言うと、私達はこれらの曲を、四重奏ではなく弦楽合奏団の一員として何度か弾いていたことがあります。合奏団の指導者から多くの指導を受けながら演奏したものですが、その頃は「難しいな!」とは思ったものの、まあまあ弾けているつもりでした。
同じ曲を四重奏団で弾いてみる、、、最初は弾くのに精一杯でよく解らなかったのですが、こうして細部を詰めていくと印象が全く変わります。要するに、“弾けない”、“合わせられない”のです。オケや合奏団で弾くことと、四重奏団で弾くことの違いを痛感します。
例えば今回取り上げているモーツアルトの場合、スラーを含む音型のアーテュキレーションや、8分音符の感じ方、また4分音符の処理の仕方を上手く合わせていくのは大変難しいと感じます。弦楽合奏団では「スラーの後の音は短く」とか、「モーツアルトの8分音符はスタッカートのように」などと指導されました。これは常識的なポイントであり、個人レッスンでも習うような事柄かも知れません。そして、私達もそのつもりで弾いていました。しかし、いざ四重奏団で同じ曲を合わせてみると、この辺りの心構えがいかに不十分であるかがよく解ります。4人という人数で弾いていると、音の処理の仕方がちょっとズレるだけで非常に耳障りです。例えば8分音符の刻みが短い人と長い人がいたり、フレーズの終わりの音の処理が微妙に異なってしまうのですが、これによりとてもだらしなく聞こえます。オケや弦楽合奏団では目立ちにくかった細かい点が、四重奏では鮮明に見えてくるのです。結局、大人数の団体では弾けているように思っていたことが、実はそうではなかったのでしょう。
私達が四重奏団を結成した頃、ある知人から「四重奏をやると、とっても勉強になるよ!」と言われました。その知人はバイオリンがとても上手く、オケの他に室内楽もやっている人です。その頃は、「そりゃ〜、少ない人数での合奏だから勉強にはなるだろう」程度に思っていたのですが、最近ようやくその人の言っていた重要な意味が解るような気がします。
四重奏をしっかり弾こうとすると、細かいところに非常に気を使うようになります。ちょっと気を抜くと直ぐにバラバラになります。少しの気の緩みが大きな失敗をもたらします。ただしこれは、オケや合奏団ではいい加減に弾いているという意味ではありません。指揮を見たり、パート内で合わせたり、時にはコンマスの弓の動きを見たりとそれなりに気を配っています。しかし、四重奏をやるようになって、より「周りを見たり」、より「周りを聴いたり」するようになったと思います。そうでなければ、とても合わせていくことは出来ないからです。
そして四重奏をやっていて幸せだなと思うのは、こうした努力の成果が手に取るように自分達にも感じられることです。細かい部分が合ってくると、全体の響きまでも良くなってくるようにも感じます。別の知人には「四重奏はあたかも一つの楽器を4人が分担して演奏しているようなものだ」と言われました。この意味も少し解るような気がします。つまり、まるで一つの楽器から音楽が奏されているように感じられる位、4人がピッタリと合っているべきなのでしょう。
私達は、まだまだ“駆け出し四重奏団”なのですが、それでも時に上手くいった時には初心者なりにもそれを感じ取ることができるよう思います。これが四重奏をやる者の喜びでしょうか。そして、こうして四重奏の喜びを共有できる仲間と偶然にも巡り合えたことが最も幸せだったかも知れません。恐らく、四重奏は“とても純粋な音楽”なのでしょう。“純粋さ”を追求していくのはとても難しいことですが、それが少しでも達成できるよう、これからも努力していきたいと思っています。
最後に付け加えておきたいのは、これらはあくまでも私達のような初心者の意見であることです。上級者の方は、オケや合奏団でも細かいところまで合わせていったり、室内楽ではもっと別の部分に神経を使われているかもしれません。読者の皆様からのご意見、お待ちしております。


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