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01物干し竿 岩波三樹緒 |
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エッセイ
韓国映画「殺人の追憶」を見る
野口忠男
最初のショットが素晴らしい。
高くのびた稲穂か? たわわにゆれる穂先が林立している中にいなごが一匹見える。それを無心に凝視している男の子の顔。子供の手がつーと伸びていなごを捕らえ、ガラスビンの容器にいれる。この場面からカメラは俯瞰されて、黄金色に輝く広々とした秋の田園の風景を映す。
真っ直ぐな一本線の道路の彼方から一台の車が近づき、畠から飛び出した男の子の前を通り過ぎてとまる。この映画のもう一人の主人公であるパク刑事が警官を伴って車から出てくる。彼はいかにも農村出身を思わせる無骨な地方刑事の風体だ。
彼は、男の子の顔をちらりと眺めると、警官をうながして道路脇に流れている水路のコンクリートの溝渠の下にもぐりこんだ。警官から女性の変死体があると聞いたからである。暗闇に、懐中電灯の光の中に若い女の半裸体が浮かび、刑事は顔をしかめて溝渠の外に顔を出した。コンクリートの上に刑事を待っている男の子が目に入った。「あっちへいけ」彼が言うと、子供も「あっちへいけ」と同じ口調で応える。「向こうへ行け」と怒鳴ると、「向こうへ行け」と口まねをして、刑事の行動に興味を持ち、立ち去ろうとしない。 事件が都会から離れた農村地方に起こったことを観客に知らせる優れた冒頭のシーンである。
物語は、1986年から91年にかけて、ソウル近郊の農村地帯で若い女性がつぎつぎと犠牲になった、実際に起こった連続殺人事件を題材にしている。
地元の刑事パク・トウマン(ソン・ガンホ)は、もう一人の主人公であるソウル市警から派遣されたソ・テユン刑事(キム・サンギョン)とともに、この連続殺人事件を追う。
パク刑事は、都会出身のソ刑事の知的捜査方法が気に入らない。彼はソ刑事に「大韓民国の刑事は、アメリカのFBIと違って足を使うんだ」と言って、ソ刑事に反発する。二人は、ことごとく相反し、時には殴り合いにもなって、上司から叱られる。
犯人の手がかりはほとんど無い。ただ、二人の美しい被害者は、ともに、雨の日に殺され、その日には赤いシャツを着ており、ふたりとも、自分の持ち物である鞄のひも、またはブラジャーで首を絞められている。犯人は用心深く手がかりを残していない。
パクが最初に目をつけたうすのろのブアンホは容疑者からはずれ、三番目の犠牲者がでる。
女刑事のギオクが、犯行のあった雨の日、FM局で「憂鬱な手紙」の歌がリクエストされている、という有力な手がかりを提供する。 ある夜、ソ刑事とパク刑事は、別々に同じ犯行現場で張り込んでいると怪しい振る舞いの人物が現れる。必死の追跡ののち、刑事たちはこの人物を捕らえることに成功するが、この人物を尋問している間に、以前同じように暴行されながら、犯人の顔を見なかったために殺されなかった女性がいることを知ったソ刑事は、この女性に会い事情を聞く。彼女の証言から、犯人は、手が柔らかい男だと分かる。
雨が降り、FM局から「憂鬱な手紙」の歌が流れる。ギオク刑事は、放送局まで行って、リクエストした葉書の差出人の住所と名前を突き止める。
しかし、この間にも、第四の無惨な殺人が行われる。
二人の刑事が葉書を頼りにたどり着いたアパートの一室に住んでいたのは、軍を除隊して、近代的な化学工場に勤務している優しげな青年であった。ソ刑事は、男の手を見たとたん、この男が犯人だと確信する。柔らかい手である。
犯人にほんろうされ続けられた二人だったが、ついにホシにたどりついた。
しかし、にもかかわらず、極めつきとなる犯人が残したと思われる、重要な証拠の精液のDNA鑑定が当時の韓国では不可能で、アメリカへ送って鑑定が行われるが、男のそれと不一致という結果がもたらされ、男は釈放されてしまう。
最終局面で、パク刑事の暴力的な取り調べに反対していた、都会出身のソ刑事が、容疑者の男に対して、暴力をふるって自白をせまる場面が印象深い。
朝鮮戦争後の軍事政権下韓国の暗い状況と農村のおだやかな風景とが奇妙にマッチしており、緻密な演出と俳優陣の好演に支えられて見事な刑事映画を作り出している。
この映画を見て感じたことといえば、それは韓国の映画人の映画に対する熱い思いである。それは私たちが戦後見てきた日本映画にもあったもので、若い黒沢昭や今村正平、その他の多くの監督たちの作品に見られたもので、リアルな現実世界で真剣に生きている人間の生きざまを克明に描けば人々を感動させる映画をつくることができるという信仰であった。しかし、現実世界が変わり、人々にかっての理想にたいする信仰が失われてしまった今、私たちはどんな映画に感動させられるというのだろう。
2008年4月17日
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