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山崎哲 |
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01物干し竿 岩波三樹緒 |
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<エッセイ> 生老病死 深谷巖
(2006年度エッセイ大賞受賞)
その1 おれも同じさ
二〇〇四年暮れの三十一日、突然、床が左下方に流れると感じた。 はっとして天井を見ると左窓の方に流れている。とっさに「地震だ」新潟沖からこちらに来たのか、と思ったときガックンとソフアに倒れた。 後頭部に重さを感じたがそろそろと起き上がり手すりに掴まりながら階段を降り、「いま、地震があったな」と言うと妻は「何もなかった」という。 途端に不安になりかかりつけの病院に電話した。 宿直医から、『手足にしびれ、足にふらつきがあるか』など聞かれた。 「そのような症状はない」と答えると、今晩は安静にして明日午前中に来院するように言われた。
次の日は元日で外来者も少なく医師は丁寧に診察をしてくれた。 念のため血流を良くするリンゲルをするという。寝ている間に済むんだと思ったが、二時間静かにしていることはなかなか苦痛だった。 あの症状は何だったのか。 医師は「一過性の症状でしょう」という。この後落ち着いていけば心配ないとも言った。
何日かして作家五木寛之氏の文に、旅先の旅館で、床が流れ天井がゆがんだと感じた体験があったと出ていた。 医師からは一過性の擬似脳梗塞と判断されたそうだ。 年齢が近いと似たような経験をするものらしいが不安である。
それからしばらくして高校同級会の折、頭がよくハカセと称されていた、高山(仮名)に会っ時、雑学医学博士の彼はこんなことをいった。
高山「どうも日本を悪くしているのは、年寄りだな」 私
「なぜ」 高山「昔は人生五十年と、みんな潔くあの世に旅立っていったもんだ。今は人生八十年、九十年なんてぬかして、年金貰う身で何時までものさばっている」 私 「そんなこと言って、あんたは幾つだ」 高山「皮肉いうな、ガンさんと同年でねえか。お互い七十越したわな」 ガン 「博士、あんたもそう大きい顔出来ねえでねえが」 博士「いや、俺は違う。カミサマが憐れんでくださって、生かして下さってんだ」 ガン「よくもそう……都合のいい理屈を思いつくな、俺だって同じだ」 博士「いや、違う。」 ガン「馬鹿いうでねえ、あんたより俺のほうが苦労してきたぞ」 博士「ははは、苦労をしない奴ほどそう言う」 ガン「なんだとお……」 博士「俺、高三の時、馬(担任奥山弘蔵のあだ名)に怒られていたの見ていたな」 ガン「うん」 博士「……あんどぎな、俺、三河屋から万引きしたんだ。高三の夏、親父が病気になり授業料払えなくて、どうせ退学するつもりでいた」 ガン「あの頃、博士、どうしちゃたんだろうって思ったことある」 博士「先生は俺を連れ三河屋にも行ってくれた。噛まれ、蹴られたが有難かった」 ガン「……」 博士「先生に、お前は跳んでも走ってもひとより劣り腕力もねえ、勉強しか取柄のねえ奴とこきおろれ、勉強しねえだら死ねって気合入れられた」 ガン 「しかし、おめえさん、馬にそこまで面倒見て貰えていがったなあ、俺にはそこまで心配してくれる先生いながった。凡児には淋しい高校生活だった」」 博士「贅沢いうな。だどもあの先生、俺が就職した年亡くなったと聞いだ……」 ガン「突然だったな」 博士「いい人ほど早く死ぬってのは本当だ、悪い奴ばかり生き残ってる。同級会だってそうだ、元気に出て来る奴は、俺に金貸さねえがった奴ばっかだがんな」 ガン 「あ、そういえばおれも、おめえさんに二、三度貸してだな」 博士「わかってる、返す当てもないのに金借りていた、」 ガン「冗談だよ、おれ貸してねえ」 博士「借りに行って、お前の脳味噌くれだら貸してやるって、ゆわっちゃごどある」 ガン「そんな中で、奨学金つきの国公立に合格したんだから、たいしたもんだよ」 博士「貧乏な俺の行ける所は、あんな所しかなかった」 ガン「お互い、年取ったなあ」 博士「まったく、年齢を表す漢字はこんな具合だもんなや、(ガイ)五十歳、髪が蓬のようになる。(キ)六十歳、年を経てうまみが出る。(テツ)七十歳、いきずまる。耄(モウ)八十歳、細い、衰えるというわけだ」 ガン 「さすが、お医者様だな……」 博士「いやあ仕事柄、人間の老化と病気は気になってな」 ガン「気にしてくれるのは有難いが、もっと芽出度い年齢の表し方もあっぺや」 博士「あ、ある。喜寿(七十七)傘寿(八十)米寿(八十八)卒寿(九十)白寿(九十九)川寿(せんじゅ百十一)と寿ぐという字を当て祝意を表してる」 ガン「長寿を祝うのはいいと思うな」 博士「あんたのおめでたいのは変らねえなあ、長生きが善いとばかり言えねえぞ」 ガン「……」 博士「耄碌を認知症なんて言い換えても、呆けはボケだがんなあ」 ガン「それは……おれも老醜をさらさねえで終わりたいもんだ」 博士「それには早死にだよ」 ガン「でもなあ……」 博士「実はなあ……俺も今直ぐには、まだ少し名残惜しい」 ガン「このやろう」
その2 定吉大工のこと
彼岸も近いある日、偶然聞いた話。定吉大工は堅実な仕事振りが信頼を生み、子達もよく育ち家業を助けていた。 彼は大松棟梁の予言どおり立派な棟梁になっていたが寄る歳には勝てず、いつか老衰で寝たきりになっていた。 彼の容態を見た医師から、 「会わせたい方を呼ばれたほうがいいでしょう」 と言われたので近親者が病室に呼ばれた。 その時、彼は病床近くにいた老妻(春子)に手を差し伸べてかすかな声で、 「ばあちゃん、一緒にいくべ」 と言った。 ところが春子は手を振りながら 「ヤダヤダ、おおーやだごど、おらやだ」 と言って席をたった。 それから間もなく彼は亡くなった。 祖母は家族の者から、 「ばあちゃん、あんなこと言ったから、じっちゃん、たまげてぽっくりいっちゃったんだわ」などと言われ、 「いくら、じっちゃんとだってやだよ。戻って来られるわけでもねえのに」 と反撃していたそうだ。 その時は話す方も聞く方も笑っていたが、時々思いだす。
その3 父の話
「俺は今、死亡適齢期だ」 などと冗談を言って、恬淡とした風に見えた父が、脳梗塞から奇跡的に回復したという友人の話をした。 その友人が、 「深谷君、息子なんて持つもんでねえぞや」 としみじみ語ったそうだ。 その話によると彼は半年ほど前、少し頭が重くなって気分が悪いなと思っているうち意識が薄れていった。 気がついたら、 「娘たちの『父ちゃん、父ちゃん』と縋って泣いている声に混じって『この日は友引だから』という息子の声、こんな場で葬式の日取り相談とは、と思った」 と言っていたという。 私はこの話を聞いて、娘さん方、息子諸氏とその気持ちに違いのあるのを感じ、 「息子さんだって悲しいわい、でも悲しんでいられないねえのが息子でねえの」 と言った。 続けて、 「だいたい、その親爺さんが予定変更して、生き返ちゃったから悪いんだ」 と言い、ふと父の顔を見ると切なそうな顔をしている。 「しまった」と思ったったが後の祭り。 その父も友人の方も今はいない。 私はまた一年彼らの年齢に近づいた。
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