知床 流氷をみつめて




潮紋 能取岬
 知床は、かってアイヌの人が「シリエトコ 大地の果て、岬」と呼んでいたことに由来する。細長い先端は北海道の東北端に位置し昨年自然遺産に登録されたがその範囲は陸だけでなく豊かな生き物が住む海まで含んでいる。
お目当ての流氷は1月中旬に知床沿岸に接岸し3月になるとオホーツク海の8割は氷でおおわれるという。
その流氷はアムール河の水の流れと寒気からもたされる。オホーツクの海にはアムール河の流れ込む水が対流し海面から50Mのところまで塩分が極端に低い水の層ができる。この層がシベリアからマイナス40度にも達する厳しい寒気で流氷となる。

 三泊四日の旅である。羽田から女満別空港へ。網走のホテルに直行、晴れなので夕陽の流氷をと網走から出る砕氷船に乗る支度をするが、確認すると今日は強風のため砕氷船は欠航。これは予想外。仕方なく網走刑務所、監獄の見学で時間をつぶす。夜半に満天の星空をあおぎ明日に心躍らせ眠りに入る。

能取岬 能取岬 ウトロの町 朝のウトロ港 流氷ブルーをみせる
ウトロ湾内
朝日を待つ
親子岩の流氷
岩尾別川をのぞむ 知床連山と流氷 流氷ウォーク 冬は木の皮が
生命線 エゾシカ
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悠然と飛ぶ
オジロワシ
流氷の舞
 

快晴、一番の砕氷船に乗るためホテルで確認してもらう。答えに驚く。船は出るが氷がない。氷がない?
最初なにかわからなかった。ホテルには中国や香港の団体客が多い。流氷は東南アジアの人にいま人気が高い。
ノーアイス、ノーアイスと言って残念がっている。
昨日の西風が流氷を沖合い遠くに運んでしまったらしい。又流氷が接岸するのはいつ頃だろうか。北風が吹くのが頼りとのことで少なくともこの数日は無理のようだ。流氷はまさに風まかせだ。

 砕氷船をあきらめ宇登呂(ウトロ)に向かう。バスの便悪く斜里までタクシーを使う。
農業が本業で冬季だけ運転士をするというKさんに案内してもらう。途中オホーツク海が一望できる能取岬に寄る。
Kさんに“自分の畑の中を川が流れ鮭が9月中旬に遡上して、熊も出て来るから家に泊まって撮影を”と誘われているうちに岬に車は着く。

 ここも流氷観察のポイントで人気の高いところだという。岬は紅色のサンゴ草群落で知られる能取湖を左にオホーツク海に突き出ている。
実に雄大な風景が180度の視界で遥か彼方までつながる。自分として15年ぶりに見るオホーツクブルーに当時の春の旅行を邂逅しながら引き込まれる。流氷は本当に湾には見当たらず遥か遠くに見える。岬の崖下に、吹きどまりに流氷を見つける。風に耐え必死に縋り付いている                           
今日は風も無く、穏やかな快晴。海は池のように静か。流氷を押しやった猛威など信じられないようだが、これが自然の怖さなのだろうか。

海面に紋を見つける。この海流のような通り道で流氷を連れ去ったような気持ちまでしてくる。 果てしなく続く紋である、潮紋みたいに。ここからサハリンの左を東カラホト海峡に乗り、間宮海峡間宮海峡につながり、そこにアムール河が入り込む。アムール河は中国東北地区の北境、シベリアの南東部を東流して間宮海峡に入る。中国名は黒竜江。南は内モンゴルのアルグン河、北はモンゴルのオノン河を源流とし、松花江、ウスリー江を合わせ、長さ6237キロという。中国最大の河、長江が全長約6300キロ、黄河が約5464キロだからとてつもない大河である。オホーツク海は太平洋や日本海との間で海水が入り込むことが少なく池のような海とされている。

 源流からモンゴルの砂漠や草原、穀物地帯、シベリアの大森林をぬって流れるこの長い大河は様々な養分を運び豊かな恵みをオホツークにもたらすのだろう。最近の学説では鉄分が鍵を握っているといわれるが。そして流氷は植物プランクトンを大量に育て、動物プランクトンがそれを餌に命を育んでいるのだろ。この地に立ち昨年訪ねた内モンゴルの炎暑の砂漠や馬で走った大草原が極めて身近に感じる。そして自然の相関、地球のつながりをあらためて実感する。残念ながら今年このアムール河の中国流域で産業廃棄物の汚染が河を汚した。最近温暖化と海洋汚染により魚の回遊に変化がおきたり、エチゼンクラゲの異常発生も知床にまでやってきた。  世界の森林の消失は毎年日本の面積の30%と先に発表されている。砂漠化が進み。温暖化がどんどん進む。シベリアの寒気も毎年弱まってきているという。

 このままだと知床の流氷も30年ぐらいで終わりだと地元の漁師の人が大胆に言う。
オホーツクブルーのこの海にも実に大きな変化がおきている。
能取岬をあとに白銀の世界を走り、斜里から宇登呂(ウトロ)までバスに乗る。20分ぐらい走っただろうか左手に視界が開けると海に浮かぶ流氷が見える。オホーツクブルーと白銀の流氷、紺碧の空、捜し求めていたコントラストの光景だ。素晴らしいシーンが続く。しかし急に天気がおかしくなりウトロでバスを降りたとき雪になってしまった。
知床は流氷が風まかせのように天気も変わりやすい。雪の中漁港の中の流氷に触れる。流氷はそれほど冷たさを感じさせない。独特のアイスブルーの色をした流氷を激しく降る純白の雪がつつむ。

 宇登呂(ウトロ)は斜里町の一部で人口約4000名、アイヌ語でウトウルチクシ その間を我等が通行する所 といわれていたという。本降りとなり仕方なくホテルに入る。
明日は午後から晴れるとの予報に安心する。
しかし翌日は残念ながら、終日雪。昼食に街に出るが日曜日なのにほとんどの店は閉まっている。バスツアーの観光客だけを相手にしているという。

 宿泊の知床第一ホテルのプランナーの井上高明さんに最終日の行動を相談する。井上さんはアラスカにも住んだことのある冒険家、ホテルの広報用の写真も撮っている。
氏がホテルのホームページの発信をしている。このHPは見事、既に4年で何と50万余、道内で一番の訪問者数を誇るという。私もこのHPでこの宿を選んだ。www.shiretoko-1.co.jp/

 井上さんは親切にも激しく降る雪の中、明日は晴れだからとランドクルザーで晴れた時の撮影スポットを紹介してくださった。車中で流氷ウオークや知床トレキングなど知床の遊び方や知床の抱えている環境保護の課題を熱っぽく語ってくれた。車では難しい岩雄別川にでる。河口に鮭のふ化場がある。岩雄別は海鳥、つばめの繁殖地である。ここから先は通行止めだがすぐ先は知床五湖と聞く。エゾ鹿がいたるところで木の皮を食っている。半島には1万以上の鹿がおり食害、生態破壊がやはり問題になっている。
その後、知床自然センターでダイナミックサウンドと巨大スクリーンで知床の魅力や自然を学ぶ。スノーシューで大地を歩きたかったが雪がまた強くなり断念する。

 最終日井上さんの予報どおり快晴に恵まれる。雲ひとつ無い。気温マイナス6度だがあまり寒さを感じない。
夜明けと共に高台にあるホテルの窓越しに流氷が顔をのぞかせる。流氷とウトロのまち、しょざいなげに流れる流氷の群れ、近くに遠くに、太陽が昇るにつれ流氷はアイスブルーの色をもって輝きだした。
至福の時である。

流氷をはじめとするこの豊な自然が世界遺産に登録されたことに喜び危機遺産にならないように祈念しながらシャッターを押しながら知床を後にした。 

当地産のオホーツク海の塩を機内で口に含む、塩は純白で独特な辛さがあるがすぐに口の中に甘さがいつまでも広がりつづける。楽しい旅であった。