| 多度津は、その名前が示すように、奈良時代の昔から、多度郡の港として、知られていました。特に、江戸時代の後期から、多度津は四国の表玄関として栄えたこともある港町です。清水次郎長一家の「森の石松金刀比羅代参」の話は、隣の丸亀のようですが、金刀比羅詣での港町として、また、北前船の寄港地として賑わいましたし、数十年前までは、神戸、大阪への大型汽船も就航していました。 一方、陸上でも、四国で初めての鉄道が、多度津−琴平間に敷かれましたし、水力発電所も四国で一番初め、測候所もあり、郵便局は四国全域を管轄する一等郵便局もあったというように、極めて進取性に富んだ町でした。 しかし、残念ながら人口は少なく、鉄道が発達するにつれて、特に、高松−宇野間に宇高連絡船が就航することによって、四国の表玄関としての機能を失い、だんだんと近代的な発展から取り残されるようになっていしまいました。 人口3万にも満たない小さな町ですが、これでも、昔は、丸亀京極藩の支藩として、一万石の多度津藩でしたから、お城はありませんが立派な城下町でした。現在は少林寺拳法の発祥地として、また、原子力工学試験センターのある町としても知られています。また、フェリーで福山と結ばれていることも特徴でしょうか。 自慢できるものとしては、 ・讃岐うどんの本場 ・桃陵公園の桜 ・港祭り(弁天さん)の花火 でしょうか。他には、ちょっと、思いつきません。 |