多度津町立資料館 企画展
2017/08/24
2007年 戦争資料展 |
2007年8月31日まで(月曜日休館) 入館無料 | |||
特別展示 両親手書きの教科書 2007年戦争資料展のご案内はこちらです | ||||
昭和22年は,私が多度津小学校へ入学した年です.戦後間もない時期であり,教科書は全員に渡らず,父が毛筆で書き写したものを使用したことをおぼろげながらも記憶しています. 私の幼友達である景山寛司君も私同様,自家製の教科書を使ったのですが,それがこのほど実家で見つかったということで,彼のご厚意によって特別展示されています.資料館ではこの手書き教科書の全68ページをコピーした複製品も同時に展示しておりますので,自由に手に取って内容をごらんになれます. 国語の教科書である「こくご 一」は,絵を得意としたお父さんが主に挿絵を描き,文字はお父さんとお母さんのお二人の手になるもので,きちんと装丁された立派な本になっていたことに驚かされます.景山君は,少し黄ばんだ教科書を眺めながら「私の一番の宝物です」といっています(毎日新聞 8/4). |
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この手書き教科書をPDF(42.5MB)にしました。 |
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戦前の サイタ サイタ サクラガサイタ ではなく, おはなを かざる, みんな いい こ. きれいな ことば, みんな いい こ. なかよし こよし, みんな いい こ. だったんですねえ.私は全然覚えていません. 展示されているのは,手書きの教科書ですが,オリジナルはどんなものであったかをWEB上で調べると,広島大学図書館所蔵教科書コレクションのページにありました(転載許可取得済). |
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オリジナルと見較べてみると,ご両親が息子のために,それこそ愛情をこめて,いかに丁寧に書き写されたかが分かります.これはまさに景山君にとって「宝物」ですね.うらやましい. 昭和22年は,戦後の学制改革が実施された年で,従来の尋常小学校は単に小学校と改められました. この教科書について,調べてみると次のようなことが分かりました. (1)この教科書は,昭和22年度および23年度の2年間のみに用いられた最後の国定教科書で,通称「よいこ読本」と 呼ばれています.昭和24年度からは現行の検定教科書となりました. (2)それまで一年生の教科書はカタカナでしたが,初めてひらがなが用いられました.小学校ではひらがなを先に学ぶ ようになりました. (3)小学校で学ぶ漢字数が1301文字から半分の689文字に半減しました. 昭和28年に多度津小学校を卒業した同窓生の皆さん,景山君のご両親が作られた手書き教科書をご覧になって,入学したときのことを思い出してみませんか.60年昔に戻ることができますよ.会期は8月31日までです.是非お越しください. |
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この記事をアップして10年後、2017年夏に、この記事が福井県教育総合研究所教育博物館の方の目にとまり、この手書き教科書が同館において紹介していただけることとなりました。手書き教科書(コピー)を手に取って見られるようにしていただいておりますので、機会があれば、是非同館にてご覧ください。 | ||||
オリジナル教科書と手書き教科書 |
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手書き教科書(コピー)は全ページ、直接、手にとって見ることができます。 |
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「手書き教科書」その後はこちらから見られます(2017/08/28) |