町立資料館の特別企画「たどつALWAYS 一太郎に逢いに行こうやぁ〜い」は春のサクラの季節に始まり,これまでに3回行われました.毎回,多数のお申し込みがあり,残念ながらお断りをしなければならないほど,ご好評のうちに終えることができました. 2008年6月15日,あいにくの小雨の中で催された最終回のレポートです. |
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町あるきのコース |
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当日の町あるき経路は, @多度津資料館→A富井邸→B大正堂→C桃陵彫り工房→D極楽橋→E少林寺拳法道場 →F桜川船着き場跡・雁木→G柳原菓子店→H神原薬局→I一太郎やあい→J宮崎海鮮総業→K一太郎やーい食堂 ざあっと3時間のコースでした. |
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H神原薬局 天保3年(1832年)に茶屋七右衛門が開業した漢方薬問屋が始まりです。 この仁丹の看板は、仁丹の本社にも無いほど、古くて貴重な看板だそうです。 神原薬局には、この仁丹の看板だけでなく、いろんな製薬会社の看板がありましたが、すべて資料館に寄託したため、今では神原薬局さんでは見られません。 資料館では2005年に企画展を開いて展示いたしました。 |
町内を歩いて桃陵公園へ登りました。 |
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武士が商家を襲った 時につけた刀傷 |
清水温泉、今は営業していません |
桃陵公園の鳥居には「雷電為右衛門」の名前もあります。 |
I一太郎やぁい やっと、「一太郎やぁい」まで来ました。 最初に建てられた「一太郎やぁい」の背中には、れっきとした銘文(国定教科書「一太郎やぁい」全文)がありましたが、戦後取り除かれてしまいました。 「一太郎やぁい」の後に置かれている石の「奉公記念碑(建立記念碑)」は、以前は近くにある桃陵神社にあったものを、ここに移設したものです。 この「奉公記念碑」は昭和11年に作られたものです。 一太郎やぁいの詳細についてはこちらをご覧ください。 |
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J宮崎海鮮総業 公園を降りて、次は、宮崎水産の中を見学させていただきました。チリメンの生産は全自動で行われていました。 |
宮崎水産は、多度津外港に面しています。ここの防波堤は、天保9年(1838年)に作られものですが、京極藩が多度津港を大改修したときに作られたもので、一文字堤防と呼ばれていた防波堤です。 備前の国、今の岡山から来た石工が築いたものですが、二百年近くも経っているにもかかわらず、今もこうして現役で働いているのは、非常に珍しく、国宝ものだそうです。 瀬戸内海の波は外洋に比べたら優しいとは言え、強い波に洗われながらも、今も現役としてその役目をよく果たしています。 |
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上の堤防のこちら側は、明治時代に築かれたものですが、傾斜が大分キツイのが分かります。 |
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