ちらし寿司多度津町立資料館


   


 町立資料館の特別企画「たどつALWAYS 一太郎に逢いに行こうやぁ〜い」は春のサクラの季節に始まり,これまでに3回行われました.毎回,多数のお申し込みがあり,残念ながらお断りをしなければならないほど,ご好評のうちに終えることができました.

2008年6月15日,あいにくの小雨の中で催された最終回のレポートです.

町あるきのコース

 当日の町あるき経路は,
@多度津資料館→A富井邸→B大正堂→C桃陵彫り工房→D極楽橋→E少林寺拳法道場
→F桜川船着き場跡・雁木→G柳原菓子店→H神原薬局→I一太郎やあい→J宮崎海鮮総業→K一太郎やーい食堂
ざあっと3時間のコースでした.

@多度津資料館

 資料館に三々五々集まってきた参加者は、思い思いに展示品を見ながら全員が集まるのを待っていました。参加者全員が集まったところで、本日のおせわをしてくださる商工会議所・青年部のボランティアの方と役場の観光課の方が紹介されました。
 それから資料館館長の川元さんが、京極さんの陣屋の模型を見ながら、昔の多度津の様子を説明してくれました。
 雨が降り出しましたが、雨にも負けず皆さん元気に街にくりだしました。
 資料館あたりは昔、御家中が住んでいた長屋があったところなので、今もこの長屋は一部分が昔の様子を留めており、屋根の軒先瓦には京極さんの紋所が入ったのが残っています。


A富井邸

 最初に尋ねたのは冨井邸です。江戸時代末期に建てられた中級武士階級の屋敷は当時のままに残されており、国の有形文化財に指定されています.
 旧藩士であった冨井邸には鎧兜も展示されておりました。 この鎧の左肩には京極さんの紋所の肩章が付いていました。これは丸亀藩と多度津藩が同士討ちをしないための目印だそうです。
外からは外せませんが中から
は押せば抜け道に出られます
武具もあります
髪結い部屋が有るの
は珍しいそうです


B大正堂

 創業大正2年の大正堂,60年間作り続けてきたロールカステラはとってもおいしく、昔ながらの懐かしい味でした。なお、大正堂のお店は昔は公園の下にありました。


 C桃陵彫り工房を見学してから、桜川に沿って、雨の中を資料館の方へ一旦もどって、大通り町へでます。


D極楽橋

 この橋がどうして「極楽橋」と言われるようになったのかの問いに、ガイドの方が、この橋より北側(今のJR多度津工場)は、昔お墓があったので野辺の送りの時に死者が極楽へいけますようにと「極楽橋」と言うようになったとの説明がありました。
 JR多度津工場が建つ前は京極さんの御殿がありました。
 それもお墓だと広いから、お墓を除けて御殿を建てたんですね。

E少林寺拳法旧道場

 開祖,宋道臣は、昭和22年町内において少林寺拳法を創設し、昭和28年には,元多度津村の大庄屋塩田家の米倉を購入し、改装して少林寺拳法道場をつくりました。
 現在は、桃陵公園の上に大本山道場があって、全国的に知られています。


F桜川船着き場跡・雁木

 桜川の船着き場跡(雁木)が一ヶ所だけ残っています。
 この雁木は明治時代に桜川が少し埋め立てられたときに、ここに作られました。
 昔は水上交通が主力で桜川が重要な交通手段であった時のものです。
 なお、手前の通路は近年つけられたものです。
 

G柳原菓子店

 柳原菓子店では、「一太郎せんべい」や「面せんべい」が有名でした。
 本当に、懐かしいおせんべいです。
 ずうっと昔に、このおせんべいを焼いているところを見たことがありますが、こうして今も焼かれていたとは、この街歩きに参加して始めて知りました。


H神原薬局
 
 天保3年(1832年)に茶屋七右衛門が開業した漢方薬問屋が始まりです。
 この仁丹の看板は、仁丹の本社にも無いほど、古くて貴重な看板だそうです。
 神原薬局には、この仁丹の看板だけでなく、いろんな製薬会社の看板がありましたが、すべて資料館に寄託したため、今では神原薬局さんでは見られません。
 資料館では2005年に企画展を開いて展示いたしました。
 町内を歩いて桃陵公園へ登りました。
 
武士が商家を襲った
時につけた刀傷
清水温泉、今は営業していません

桃陵公園の鳥居には「雷電為右衛門」の名前もあります。


I一太郎やぁい

 やっと、「一太郎やぁい」まで来ました。
 最初に建てられた「一太郎やぁい」の背中には、れっきとした銘文(国定教科書「一太郎やぁい」全文)がありましたが、戦後取り除かれてしまいました。
 「一太郎やぁい」の後に置かれている石の「奉公記念碑(建立記念碑)」は、以前は近くにある桃陵神社にあったものを、ここに移設したものです。
この「奉公記念碑」は昭和11年に作られたものです。

一太郎やぁいの詳細についてはこちらをご覧ください。

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J宮崎海鮮総業

 公園を降りて、次は、宮崎水産の中を見学させていただきました。チリメンの生産は全自動で行われていました。


 宮崎水産は、多度津外港に面しています。ここの防波堤は、天保9年(1838年)に作られものですが、京極藩が多度津港を大改修したときに作られたもので、一文字堤防と呼ばれていた防波堤です。
 備前の国、今の岡山から来た石工が築いたものですが、二百年近くも経っているにもかかわらず、今もこうして現役で働いているのは、非常に珍しく、国宝ものだそうです。
 瀬戸内海の波は外洋に比べたら優しいとは言え、強い波に洗われながらも、今も現役としてその役目をよく果たしています。



 上の堤防のこちら側は、明治時代に築かれたものですが、傾斜が大分キツイのが分かります。


ちらし寿司多度津町立資料館