2007年9月のみことば |
「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」 (ヨハネによる福音書14章6節)。 |
周りの人から、自分は宗教に関心がないという話で困ったことがあります。今日本で一時的に起きる社会的な現状だと思います。一部の新興宗教グループの、反社会的な犯罪、あるいは一般的な常識を超えた行動からくる当然の反応だと思います![]() フランスの哲学者ボルテールが死ぬ時でした。急いで来た医者に泣きながら頼みました。「先生、私の命を六ヶ月延長してください。そうすれば私の命の値段の半分を謝礼としてお支払いします。」医者は静かに答えました。「もしかしたら、六週間くらい生きられるかも知れません。」これを聞いたボルテールは「俺は地獄に行くのだ」と言いながらこの日、息を引き取りました。フランスの知性を代表した存在で、神は存在しないと言いながら、けっこう成功した人生でした。しかし、死の前で分かるようになった宗教的な本能は、無力な自分の存在を示したのです。 永久の命は死んだ後で起こる将来のことだけではなく、今起こっている現在のことでもあります。ルカの福音書17:20と21で、「ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」とあります。またルカの福音書12:15には、「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」とあります。 赤ちゃんがベッドの上で激しく泣いていました。色々なおもちゃを見せたりあげたりしても、泣き止みませんでした。おいしいあめも口に入れてみましたが、泣き止みま ![]() 人は神の形どおり造られたといわれています。神の形というのは、体の形より霊的な存在であるということです。わかりやすく心という言葉をよく使っていますが、もっと正確に表現すれば、心よりもっと奥深くにある、もう一人の自分の存在が霊的な自分の姿なのです。人は霊性を持っている存在なのです。そして、神の前に来るまでは、人は不安定な存在なのです。ヨハネの福音書14:6で、「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」とイエスが言われています。また、11:25と26では、「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」と言われています。 あなたは幸せですか?イギリスの有名な説教家スポルジョンが死ぬ直前に残した言葉です。「神様、本当にすばらしい旅でした。今からはもっとすばらしい旅になると信じています。」あなたは霊的な存在です。神の前に来るまでは、あなたは本当に幸せになりません。 |
朝霞教会 韓泰帥牧師 (ハン テースー) |
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