英彦山の説明

英彦山平安期までは「日子山」と書いた。その後「彦山」に、江戸期に霊元天皇(1663〜1687)から「英」の尊号を受けて「英彦山」になる。中岳の上宮、北面中腹の奉幣殿、英彦山神宮の主祭神天忍穂耳命を祀る。
奈良時代以降、修験の山となり、近世にはその範囲が九州全域に及んだ。山腹周辺には約800の宿坊があったといわれ、神宮周辺には高住神社・大楠神社・玉屋神社が鎮座している。
修行僧はそれぞれ檀家を有しており、毎年九州一円から自家のお坊さんを頼って英彦山に参拝するのが慣わしであった。

彦山ガラガラ古人から信仰の対象として彦山参詣の諸人は必ずお受けして帰ったものである。農家の人はこれを田の水口に置いて五穀の豊穣を祈り、また農家でない人は、門口にかけて魔除けとした。
事の始めは、1200年前全国的な干ばつで皆が困っているとき、時の文武天皇が英彦山神宮にお使いを出されて祈願したところ、雨が降り出した。天皇はお礼に鈴一口を奉納された。その鈴が紛失した際、肥前綾部(現佐賀県中原町)の城主・奥平良太夫がそっくりのものを拵えて納めた。それをまた参詣する人に配ったとのこと。それから、英彦山参りの人にとって「彦山ガラガラ」はなくてはならないものになった。(彦山と英彦山を使い分けているのでご注意を)

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