キリシタン弾圧と島原の乱史関係用語・制度・人名一覧

西暦 年号 出来事 参考
1534 イエズ会設立
1543 天文12 ポルトガル人、種子島に漂着。鉄砲製造法を伝える。 戦国時代
1549 天文18 イエズス会(耶蘇)のフランシスコ・ザビエル、鹿児島に到着。
大内・大友らの保護のもと布教。
キリスト教をキリシタン(吉利支丹・切支丹)宗、天主教、耶蘇教と呼び、
宣教師をバテレンと呼んだ。
1550 天文19 ポルトガル船、初めて平戸に入港。
1560 永禄4 織田信長、今川を破る
1568 永禄11 京都南蛮寺建立。
1579 天正7 信長、オルガンチノに教会建立を許可。
1580 天正8 イギリス人、平戸に来航。
1582 天正10 信者数=肥前・肥後・壱岐等で11万5000人、豊後で1万人、畿内で2万5000人
キリシタン大名(大友・有馬・大村)4人の少年をローマ教皇に派遣
天正遣欧使節
本能寺の変
秀吉の時代へ
1584 天正12 スペイン人、平戸に来航。日本との貿易開始。(南蛮貿易)
当時、これら外国(南欧系西洋)人を「南蛮人」と呼んだ。
輸入=鉄砲、火薬等・輸出=日本の銀
主な港=平戸・横瀬浦・福田・長崎・口之津・府内(豊後)・山川坊ノ津
1587 天正15 秀吉、キリシタン大名高山右近に棄教を断られ、領地没収。
秀吉、その後バテレン(宣教師)の国外追放令を発す。
1585 天正13 九州三諸侯の少年遣欧使節、ローマ教皇に謁見。
1588 天正16 頃、秀吉、南方貿易を奨励。キリスト教取締りの不徹底。
1590 天正18 ヴァリニャーノ、再来日。印刷機を伝える。
1591 天正19 ヴァリニャーノ、秀吉に謁見。
キリシタン版の刊行始まる。
秀吉、朝鮮出兵
1596 慶長1 領土拡張の意思ありとして、スペインの宣教師26人を逮捕し、長崎で処刑。 26聖人殉教
1600 慶長5 オランダ船、豊後漂着。 関ヶ原の戦い
徳川時代へ
1601 慶長6 江戸に教会堂建設。
1603 慶長8 家康征夷大将軍
1605 慶長10 将軍、徳川秀忠
1612 慶長17 布教がスペイン・ポルトガルの侵略の恐れありと、禁教令(直轄領)。
1613 慶長18 キリスト教、全面禁止。信者には改宗を強制。
諸藩も宣教師や信者に処刑や国外追放など激しい迫害。
慶長の遣欧使節(伊達氏)
1614 慶長19 キリシタン大名高山右近ら300余人に、マニラに追放。
1615 元和1 一国一城令。
島原・天草の領主有馬義直、居城を原城から島原城に移す。
大坂夏の陣
豊臣氏滅亡
1616 元和2 中国以外の来航、長崎と平戸に限定。 家康没
1621 元和7 天草四郎時貞生誕
1622 元和8 長崎で55名の宣教師・信徒を処刑(元和大殉教)。
1623 元和9 イギリス人、平戸の商館閉鎖。 将軍、徳川家光
1624 寛永1 幕府、スペインと断交。沿岸諸港にキリシタン来航を警戒させる。 オランダ、台湾を占拠
1627 寛永4 宣教師追放。例外なく火刑の布令。
1629 寛永6 踏み絵始まる。
1630 寛永7 キリスト教関係書籍、輸入禁止。
寛永10 (代)天候異変、凶作。
1635 寛永12 海外渡航と海外在留日本人帰国禁止。
1636 寛永13 長崎に出島築き、ポルトガル人を移す。 諸国、飢饉
1637 寛永14 天草・島原の一揆。「五人組」による取り締まり強化。
〜1638 益田(天草)四郎を首領に、原城址に立て籠もる(島原の乱)。
幕府、12万の兵力で秤量攻めにし、オランダ船からも砲撃して一揆軍を壊滅させる。
乱の後、九州北部などで踏み絵を強行。
1639 寛永16 ポルトガル船来航禁止。
1640 寛永17 幕領に宗門改役を置く。宗旨人別帳をつくる。
1641 寛永18 オランダ商館、出島に移す。(鎖国の完成)
1642 寛永19 寛永飢饉
1664 寛文4 諸藩にも宗門改役を置き、宗門改めを実施。

関係用語・制度・人名一覧

人名 小西行長 秀吉の武将。関ヶ原の戦いに敗れて刑死。キリシタン大名としても有名。
人名 徳川家光 徳川三代将軍。鎖国断行とキリシタン禁圧。
制度 大名 1万石以上の公認を受けた者で、将軍直属の武家。
制度 一国一城令 1615年、幕府が諸将統制のために出した法令。大名の居城の外はすべて破脚。
制度 参勤交代 江戸と国元を1年交代し、妻子の江戸住まいを強制。
制度 禁教令 1612年、幕僚と直属家臣にキリシタン信仰を禁止し、翌年全国に及ぼした。
制度 キリシタン国外追放 1614年、幕府は転宗を拒否した高山右近ら300人をマニラ・マカオに追放。
人名 高山右近 キリシタン大名。洗礼名:ジュスト。高槻・明石城主。1614年、マニラに追放。
用語 元和大殉教 1622年、長崎の立山における殉教。55名の宣教師・信者らが火刑、斬首となった。
所在 原城址 島原半島突端の、もと有馬氏の居城。廃城の跡に一揆勢が篭城。
用語 島原の乱 1637〜38年、キリシタン農民の一揆。天草領主寺沢氏、島原領主松倉氏の圧制に
反抗。天草四郎を大将に、3万8000人の農民(浪人含め)が原城址に籠もる。
幕府は12万人を動員して半年かけて落城。「島原・天草一揆」とも呼ばれる。
人名 有馬晴信 (1567〜1612)肥前有馬の城主。13歳で洗礼を受ける。
人名 寺沢堅高 島原の乱の責任を問われて、天草領4万石を没収される。後に家名断絶。
人名 松倉重昌 島原の乱鎮圧を指揮。松平信綱到着前の総攻撃で戦死。
人名 松倉勝家 肥前島原領主。乱後、責任を問われて領地を没収され、後に斬罪。
人名 天草四郎時貞 (本名益田時貞1621〜38年)小西行長の遺臣益田甚兵衛の子と言われる。
島原の乱の盟主となる。落城の際戦死。後、梟首(きょうしゅ)とされる。
人名 松平信綱 徳川初期の功臣。家光の近侍から老中となり、島原の乱・由井正雪の乱・明暦の
大火後の処理に腕を振るう。「知恵伊豆」とも称された。
制度 宗旨人別帳 宗門改帳ともいい、禁教の徹底を図るために、家族ごとに宗旨と檀那寺を記載。
用語 隠れキリシタン 表面的には棄教を装い、マリヤ観音やロザリオ(数珠)などにより、密かに信仰を
持続したキリシタン。
用語 踏み絵 キリシタン検出のために踏ませた聖画像。1629年、長崎で開始。後に真鍮製の
キリスト・マリア像。長崎奉行が管理した。これを踏む行為が踏み絵で、九州北部
を中心に実施された。
制度 寺請制度 寺院が一般民衆を檀家として所属させ、キリシタンでないことを証明する制度。
制度 宗門改 禁教目的の信仰調査。

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