【2015月05月10日

KKさん(男性)
唐津市在住

 初めまして、
「筑紫次郎の伝説紀行第302話」 「九郎堂由来」を拝読させて頂き、とても興味が湧きメール致しました。
私は佐賀県唐津市に住む者です。
先月、私の自宅で先祖祭りがありました。この先祖祭りは、浜玉町の神主さんが中心となり、毎年旧暦2月15日に年回りで各子孫の家が座主となり先祖供養(阿蘇惟成公)を行っています。(西暦1878年・明治11年の参加者の資料等現存)

☆阿蘇惟成公:室町時代に阿蘇神社の大宮司を努めた阿蘇惟直の弟「九郎惟成」。南北朝時代の分かれ道ともなった「博多・多々良川」の決戦で敗れ、その後惟直は佐賀の天山山頂で自決し、弟の惟成は、麓の古湯温泉にたどり着いた。この話は「筑紫次郎の伝説紀行」に詳しい。
☆阿蘇大宮司:阿蘇大宮司司家は、ご祭神健磐竜命(たけいわたつのみこと)より、綿々、累世、相継ぎ現大宮司は九十一代目にあたる。特に中世以降は肥後国の大半を領有していた。足利尊氏の軍勢催促状「もとどり文」等、貴重な宝物も保存されている。(阿蘇神社案内書)


私は惟直・惟成公の末裔の末裔、そのまた枝葉ですが、ご先祖様の話がもっと知りたく古賀様のお話が伺えないものかと思い、ご相談(メール)しました。
(もし可能でしたら、私や神主さん提供の資料など照らし合わせながらお話が聞けたら幸いです。)

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