伝説紀行 日池の神さん  佐賀市(富士町)


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第206話 2005年05月01日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るとき、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

日池の神さん

佐賀県富士町


池に浮かぶ日池の神さん

 佐賀県東北部の背振山地を走行していると、子供心に返った気分で浮々してくる。それは、右を見ても左を向いても自然がいっぱいだからだ。所々に集落が佇む姿は日本の原風景そのものである。特に熊の川温泉から小副川(おぞえがわ)を北上して三瀬峠に登っていく道(佐賀県県道/富士三瀬線)は、どこを切り取っても名画になる景色ばかり。小学生の時分写生に出かけて構図を考えたことを思い出す。
 身中の探検虫の指示に従い、ハンドルを操る。県道から少し旧道に入り込むと20〜30軒の集落の中に吸い込まれた。日池地区だという。公民館の脇の小さな池の中央には石の祠が建っていて、何やら曰くありそう。早速畑仕事中のお婆さんに村の物知り博士を紹介してもらった。

日池は交通の要であった

「ここから北側の上関屋とか下関屋の百姓どんな、こん道ば通って川下の三反田に年貢ば納めに行きござったぎね。博多ん方からも古湯てん熊ん川ん温泉てん行きなる人の往還じゃったげな。あん祠ん中にゃ、そがん通行人ば守ってくるる有り難か神さんが祭ってあるもんなた」
 今知り合ったばかりの物知り博士は、すぐに流暢な佐賀弁を駆使して村に伝わるお話を始めた。年貢を運んだ頃は、今のように立派な道路があるわけじゃなく、穀物を積んだ車力がやっと離合できるデコボコ道だったそうな。

「松っあん、温泉はもうすぐじゃけん、頑張って歩きまっしょ」
「そげんですな、芳どん。三瀬の峠を越ゆる時には、ほんなこと心臓がパクパク言いよりましたもんな」
 こちらは“生粋”の博多弁。松っあんと芳どんは祇園山笠で有名な櫛田神社近くで生まれてからこの方ずっと親友である。2人にはそろそろリュウマチや通風など生活習慣病が出始めていて、熊の川温泉へ湯治に出かけるところであった。
「病気のこつもあるばってんくさ…」写真:熊の川温泉の浴場
 松っあんこと松五郎は、温泉街での彼女との出会いを期待してニタニタしながらよだれを拭いた。その欲望たるや、芳どんと呼ばれる芳蔵とてまったく同様である。

池の中に石の祠が

 2人が日池村にさしかかった。百姓さんたちが池の前に座り込んで、熱心に拝んでいる。
「何ごとですな?」
 芳蔵が地のものらしい髭ずらの男に訊いてみた。
「ああ、あん人たちは年貢ば納めにいく途中ぎ。あん神さんに三反田までの無事ば頼みござっと」
 髭ずら男が指差すところの池の中には石の祠が建っていた。
「むかしから関屋のもんやら三瀬のもんは、ここを通るときしゃっちい(必ず)参らすもんなた」
 なるほど池の縁にはザルが置いてあり、中には一文銭がザクザク入っている。その時である、通りがかりの栗毛が、年貢米を積んだまま祠の前でへたり込んでしまった。馬の鼻の穴は大きく開きっぱなしで、口からは粘っこい泡を吹いている。
「権現さん(権現山=585b)の見ゆっとこまで来たぎぃにゃ、こんアオがぎゃんしち(こんなにして)動(い)ごかんごつなったきぃ」
 馬主は以前からの知り合いらしく、髭ずら男に説明した。
「そりゃ、早よう何ばせにゃ…」
 そばで聞いている松五郎と芳蔵には、髭ずら男と栗毛の馬主の会話がさっぱり分らない。三瀬峠を越えると、言葉まで海を渡ったように変わるものだ。

笹食って腹痛治った

 馬主は髭面男に言われて、栗毛の手綱を立ち木に結びつけると池の向こうに駆けていった。何ごとが起こったのか首を傾げる松っあんと芳どん。
「心配せんでんよかき。馬が腹いたば起こしただけじゃけん。あん笹ば食わせりゃじきに治りますき」
 馬主は、生えていた笹竹を手折ってくると、喘いでいる栗毛の口もとにさしだした。最初は嫌がっていた栗毛も、食べてしまうと安心したように目を細めて座り込んだ。鼻の穴も口の泡も、すぐ元に戻った。
「よござしたなた。やっぱり神さんの念力がかかった野次郎竹は大したもんじゃけ」
 馬主と髭面男は、祠の裏側に生えている竹の効用を称えあった。
「あのう」
 茅の外に置かれた松っあんと芳どん、髭面男に話しかけた。
「そう言や、祠ん中ん神さんのこつが話の途中じゃったなた。そがんかふうで(そんなわけで)、神さんの息のかかったもんなら、どげな雑竹でん何でん薬になるとじゃき」

拝まんもんには落馬

 立ち去ろうとする髭面男に、松五郎はもう一つだけ質問しようとした。
「儂もほかに用があるき、早ようしちくれんか」
 急かされて松っあん。
「もし通りがかりのもんが、お参りばせんじゃったらどげんなりますと?」
 髭面男は向こうからやってくるシマ模様の馬に跨っている侍を指差した。
「おおかたあんお侍や、神さんば無視して通るじゃろき。そげんすりゃどぎゃんなっか…」
 予言どおり侍は、カッポカッポと祠の前を通り過ぎていった。ものの10間(18b)も行ったところで、突然馬が2本足で立ち上がった。「ヒヒーン」、けたたましい嘶きと同時に侍は地上に叩きつけられた。写真:日池地区の往還
「な、見たろう。神さんば馬鹿にすっとあげな目にあうて、立ち上がられやすんみゃあが(たちあがられないでしょうが)。もういっちょう。ほら、向こうから米ば乗せてくる黒毛の牛がおるじゃろ。あん男も信心なんちゃ糞食らえちゅう顔ばしとらすき…」

信心の具合をお見通し

 今度も落馬した侍と同じことになるのか、松っあんと芳どんが固唾を呑んで見つめていた。黒毛の牛は神前を通り過ぎてすぐ、大きな石ころにけ躓き、立ち止まったまま一歩も動かなくなった。これには仲良し2人組も目をシロクロ。
「ばってんですよ…」
 髭面男は、もうこれ以上は勘弁してくれと言い残して、早足で神さんの前から遠ざかった。目の前で文字通りの神通力を見せ付けられた松五郎と芳蔵。懐から銭袋を取り出すと“破格の金額”をザルに投げ入れた。
「どうか熊の川温泉まで無事に行けますごつ」
「それから、…温泉ではできるだけ別嬪さんに巡りあえますように」
 どうしてもこの男らの願いごとはそこにいってしまう。

 日池のお婆さんに紹介してもらった物知り博士には、十分すぎるほどに祠の中の神さまのご利益を物語ってもらった。それでもまだ分らないことがある。
「ところで、あの祠の中のご祭神はどなた様でっしょか」
 突然の予期せぬ問いに、物知り博士も困惑顔。
「石の祠は池の中でっしょが。ですけん、どなたさんが祭られてござるか誰も分らんとですよ。わかっとるのは、牛とか馬の神さんじゃなかろうかちゅうことくらいじゃけ」
「毎年10月には村で祭りをしておるですもんなた」
 物知り博士が立ち去った後、お婆さんが教えてくれた。(完)

「日池」地区は、小副川の源流付近で、北面を蛸が這うような北山ダムが占めている。そしてすぐ東側には福岡から佐賀にぬける国道263号が。地図を見ると、ここが昔の三瀬から佐賀にぬける重要な道路であったことがよくわかる。
 周囲を山に囲まれた集落で、昔の人たちは年貢米の牛・馬車と旅人の安全を心がけてくれたのだろう。それでも、何故神さまが池の中におられるのか、とうとうわからずじまいで帰ってきた。

貴重なご意見をいただきました
08年2月1日

「日池の池ん神さん」は水神さま。とある人に尋ねたところ、水神様の中では九州で3番目の格の高い神様とのこと。私が参ったりしているからそれより能力・格が上がっているかも知れないけど。 前に築かれていた祠は大水で流され、代わりに築かれたのが今、池の中にある祠さ。その後、前の祠が見つかり、それは今の祠の東側に置いてあります。先ほどの観自在力のある人にはちゃんと「なんね、同じ神さんやんね。」とまでお墨付きを頂いたけど。なぜかしら今の祠の扉には天馬が描かれているよ。
 ちなみに日池というところは、もともとは臼のような山頂に水が溜まった池があって、そこにあたたかい日が差していたたそうで。それが「日池」の地名の由来となっているけど、ある日何かのはずみに、(雷でも落ちたのか)水を堰きとめていた大岩が外れ、ぼうらんぎゃあ(法螺貝)がボーボーと鳴りながら流れ、そのあとに今の盆地が現れ、その後に人が住むようになったそうな。 富士・三瀬・大和の三つの町村の分岐点の山に囲まれた、四神相応の神域の土地で、毎年2月11日の建国記念日には、伊勢神宮と、鍋島藩ゆかりの英彦山詣でを続ける信仰心篤い山村です。
(佐賀市在住の方)(原文のまま)

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