No.051

2022年10月09日

 その後、肥前から使者が尋ねてきて、母子は無事に三河守の許に帰り、彼は稲荷の霊験を聞いて感じ入り、上田某を遣わして小祠を建立し、祠堂金一封を年々送ったという。この地蔵を俗に「子安稲荷」と言っている

宗像菊姫の呪い

増福院の地蔵尊

宗像市山田


本尊の地蔵尊

大宮司家のお家騒動
 JR鹿児島本線の赤間駅を降りて、県道を北上すること約3㌔。田んぼ道の彼方に、山田地蔵尊増福禅寺の甍が見えてくる。地元では、「山田のお地蔵さん」と呼んでいる。タクシーの運転手さんに話しかけた。「静かなところですね。住んでみたいな」と。そうしたら運転手さん、この町のいろんなことを教えてくれた。「有名なのは宗像大社です。そのほかにも、江戸時代の宿場町・赤間ヶ関、出光創業者の生誕地、マラソンの君原選手住み家など、見どころが沢山です」だと。地元のお方で「山田のお地蔵さん」を知らない人はいないほどに有名なお寺だとも教えてくれた。


宗像大社拝殿


 物語の主人公菊姫は、宗像大宮司家の家督争いに因んだ悲劇の人物である。ときは天文21年(1552年)というから、まさしく戦国時代のど真ん中。その頃の大宮司家は、七十七代正氏(まさうじ)が宗像地方の領地を治めていた。山田の館には正氏の正室である山田局(やまだのつぼね)が、一人娘の菊姫と暮らしていた。そこに、お決まりのお家騒動が。
大宮司家:明治以前、伊勢・熱田・鹿島・香取・阿蘇・香椎・宗像などの神宮・神社の長官(精選版 日本国語大辞典)


月見の宴に刺客が


山田増福院の甍


 天文21年3月、月のきれいな夜だった。主人が留守の館では、山田局(やまだのつぼね)が十八歳に成長した菊姫と侍女の小夜・三日月・小少将(こしょうしょう)・花尾局らと、庭を照らす月を愛でながら宴を楽しんでいた。そこに現れたのが、大宮司家家来の石松但馬守(いしまつたじまのかみ)と嶺玄蕃(みねげんば)、それに野中勘解由(のなかかげゆ)の三人である。いずれも大宮司家では身分の高い面々であった。訪問してきた三人は、表向き奥方・山田局のご機嫌伺いであった。
 三人は、最初の内は局の下手にあって、穏やかにおぼろ月を愛であっていた。だが、三人の家来は、山田局と菊姫を暗殺する機会をうかがっていたのである。暗殺の計画は、正氏の第二夫人である照の葉からの絶対的命令であった。

 月見の宴も酣(たけなわ)になったときであった。突然嶺玄蕃が山田局に襲いかかった。間髪を置かず野中勘解由も菊姫の襟を掴むと、空いた手で長刀の鞘をはらった。
「姫さまに何をする!」、侍女頭の小夜が、勘解由の後ろ頸に飛びついた。「邪魔をするな。女どもは引っ込んでおれ」と、勘解由が小夜を振り落とそうとしたときには、嶺玄蕃の長刀は山田局の左胸に突き刺さっていた。「う~ん、菊姫の命だけは助けてくれ」と局が懇願すが、勘解由が掲げた刀は、菊姫の顔から胸へと斬り裂いていた。局と菊姫、それに侍女五人全員が息を引き取ってしまうまで、時間はかからなかった。年長の石松但馬守は、柱の陰から若い者らの「働き」を眺めているだけだった。若い頃から宗像家に仕えてきた但馬の目には、恨めしそうに自分を睨む局の顔が目に焼き付いてしまった。
「引き上げるぞ!」と玄蕃と勘解由に指図した後、庭に降りた但馬の膝は小刻みに震えっ放しであった。先ほどまでの月見の宴席は、鮮血の海と化していたのだった。


局と菊姫の墓所



呪い
 宗像大宮司家の跡目を継ぐべき菊姫の血筋は一瞬にして消え去った。その後、当主である正氏は、思わぬ跡目争いで窮地に立たされることに。このことが実質宗像の領地を支配下に置く周防の大内家に知れたら、自らの地位も生命すらも危ないことを承知している。
 山田局と菊姫の四十九日の法要が済むまでは、殺された六人は流行り病で急死したことにした。正氏の正室には第二夫人の照の葉が就き、正氏の後継者は照の葉の息子の鍋壽丸(後の貞氏)と決めた。収まらないのは、菊姫を後継者にと考えていた家人たちである。この度の事件が、うすうす照の葉とその一味の仕業だと考えている者たちによる呪いの儀式が夜な夜な展開されたのだった。そして、四十九日法要の夜に、その狼煙が上がった。


菊姫ら六女の墓



怨霊の復習
 いつもは穏やかな山田の里に、不気味な山鳴りがして里人を震え上がらせるようになった。「ヒヒ…」どこからともなく聞こえてくる女の泣き声。里を流れる小川が、赤い糸を引いたような流れに変わり、川幅全体が血の色に染められた。青々と茂る稲田が、ある朝枯れ果てた。夕刻になると、人魂らしいかたまりが、尻尾を引きずるようにして里中を飛び回る。
 身の危険を感じる石松但馬は、祈祷師に頼んで呪いを薄めようとする。だが、怨霊は祈祷する巫女の体内にまで潜り込んで、「われは山田の局なるぞ」とおどろおどろの声で但馬に迫ってきた。「ぎゃーっ」と叫んでそのまま気を失い、狂人と化した。
 怨霊は、嶺玄蕃をも容赦しなかった。玄蕃が赤木峠にさしかかった際の、やはり夕暮れどきであった。前方から現れた女とすれ違う際、異様な冷風が玄蕃の頬をかすった。振り返って見た女の顔は青白く、大きな口元にはドロッとした赤い血がしたたり落ちている。落ちる血は着流しの白い襦袢を染めて、魚が腐ったような臭いが玄蕃の鼻を突いた。「妖怪め、息の根止めてやる」と、大上段に振りかざしたて相手は、あの時顔から胸にかけて斬り裂いた菊姫の変わり果てた姿であった。
「おいでおいで」と菊姫が手招きする。無意識に玄蕃は歩き出し、そのまま峠道から三〇丈(約90㍍)崖下に真逆さま。落ち行く玄蕃を見下ろしながら、血の気の失せた菊姫と花尾局らが、大口を開けて笑いこけている。玄蕃の塚は、今も宗像市の富地原に残っているそうな。
 もう一人の暗殺者・野中勘解由もただでは済まなかった。夜な夜な亡霊に悩まされた末、高熱を出してこの世にお別れとなった。病名などは、死後もわからずじまいだったという。


増福院の正門


 そして菊姫らの怨霊は、三人組に暗殺を命じた照の葉にも及ぶ。娘の菊花媛にも三日月、小少将(こしょうしょう)、花尾局らの怨霊が食らいつき、狂乱状態になった媛は、「やめろ!早やまるでない」と叫ぶ母親の喉に犬歯をむき出しにして噛みついたのだった。
 正氏の跡目を継ぐべき照の葉の長男氏貞は、殺された前妻山田局と菊姫、それに四人の侍女の、執拗なまでの呪いに困り果てていた。そこで思いついたのが、六人の菩提を供養するために寺を建立することであった。館のあった近く(現在地)に増幅院を建立したのが永禄二年の七月だった。寺には犠牲となった六人を供養するために六体の地蔵を刻ませて安置することにした。これが現在増幅院本堂に祀られているご本尊の六体の地蔵尊である。
 天正十四年十月、菊姫以下六人を供養する「六地蔵」の法要供養が終わった頃から、照の葉の娘菊花媛の精神状態も安定してきたという。宗像氏貞の墓は玄海町鐘崎にある。氏貞には男の実子がなく第七十九代大宮司職をもって直系血筋は絶えた。(完)

   
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ご意見ご感想をどうぞ い浜辺で一人ぼっちになった藤枝は、この先の自分の運命が全く読めなくなった。その時である。急激な腹痛が襲った。陣痛である。あたりに人がいなければ、お産を手伝ってくれる人はいない。自分も赤ん坊の命もここまでか。

「八幡さま、お助けください。私の命は差し上げますので、お腹の赤ん坊を生かしてください」、藤枝は、後ろの松林を向いて必死に拝んだ。すると松林を掻き分けるようにして、一人の白衣を纏った女が駆け寄ってきた。女は持ってきた衣類を手際よく仕分けながら、藤枝のお腹をさすり始めた。遠ざかる意識の中で、藤枝は「あなたさまは?」と尋ねた。「大丈夫ですよ、わたしはそこなる箱崎八幡さまのお使いですから。まもなく赤ちゃんの誕生ですよ」。

直後、「おギャー」と大きな赤子の泣き声が。「元気な男の子ですよ」と言うなり、女は後ろ足を跳ねるようにして、西に向かって走り出した。その後ろ姿は、人間の女性というより、神がかった白狐の飛び跳ねるさまであった。脇に置かれた赤ん坊には、女が持ってきた白衣が着せられていた。