No.040

2022年05月22日

もろ尼御前

太宰府市


浄妙尼を祀るもろ臼神社



観世音寺


見慣れぬ優男
 ときは、菅原道真が亡くなる(延喜3年)数年以前のこと。観世音寺の屋根を遠くに眺めながら、あばら家に住む婆さんがせっせと蓬の葉を積んでいた。蓬餅をつくるためである。
 そこにいつ現れたのか、初老の男が婆さんの傍に立っていた。
「どなたさんですか?」
 婆さんの問いに、男は無言のままだった。唇は青ざめ奥歯がかみ合っていないのか、顔中が震えている。
 とりあえず男を家の中に案内した。男は婆さんに何かを訴えているのだが、声にならない。そこに、数人の男の荒々しい叫び声が近づいてきた。男が彼らに追われているのだとわかった。男はお天とうさまを知らないのではと疑うほどに色白で、近在にいる田舎育ちではない。
「あんたのお名前は、なんちゅうか?」
「ミチザネ」
 耳を近づけなければ聞こえない。ミチザネとは、最近都から大宰府政庁に下ってきた公卿ではないのかと、婆さんは改めて男の顔色を窺った。
「追われているのかえ?」に男はこっくりをして応えた。外にいるのは、ミチザネを捕まえるための役人だろう。どこかに隠してやりたいが、このあばら家では人が隠れる場所なんてない。
 雨戸を足蹴にして入ってきたのは、数人の髭もじゃの屈強の男たちであった。


大宰府政庁跡


思惑の違い
「ここに、公卿らしい優男が来なかったか。隠し立てをすると、お前の命もないぞ」と脅した。
「来ませんよ、どなたも」、婆さんは必死で来客を否定した。役人に対しながらも、腰巻を被せた土間のもろ臼が気になって仕方がない。隠し場所のない我が家であり、思い付きで男をしゃがみ込ませて、その上にもろ臼を被せたのだ。それでも男の衣類がはみ出るので、腰巻を外してもろ臼を、すっぽり男に被せたのだった。
 捕り手らは、さすがに腰巻にまでは目配せをせず、ブツブツ言いながら引き上げていった。
 這い出て来た男は、何度も婆さんに頭を下げて出ていった。
「そんなことがあったのか」と、外から帰ってきた爺さんが何やら浮かぬ顔。
「もったいないことをしたな」と不満ばかり。「どうして?」と婆さんが訊くと、「そうじゃろうが。お前が隠した男は、今役所が捜している菅原道真たい。そのまま帰さないで、役所に突き出したら、たんとご褒美を貰えたものを」だって。
 その話を聞いた村の人たちは、爺さんに非難ごうごう。
「都を追われるまで、立派なお仕事をなさった道真さんを、おとしめようなんて罰当たり目が」と袋叩きである。爺さんはこらえきれずに、その日のうちに村を出ていってしまった。
 可哀そうに、道真公を援けた婆さん。身内の不始末を恥じて出家し、余生を仏に仕えることになった。


道真縁の榎社本殿


婆さんは尼御前に
 その後、爺さんの行方は知れず。一方、出家した婆さんは、村人から「もろ尼御前」と慕われ、寺院からは「浄妙尼」の称号をいただいた。死後は道真公が幽閉されていた榎社の敷地内に祠を建て、末永く供養を怠らなかった。それが、今日にも榎社の境内に建つ浄妙寺の祠である。人々は、1000年経った今でも「もろ臼御前のお宮さん」として、お参りを欠かさないという。大宰府天満宮の祭りでは、道真公の御霊を神輿に載せて、まずは浄妙尼にお礼を言うために、榎社の祠にお参りすることを忘れない。(完)


関連伝説
本サイトで展開した菅原道真関連の物語です。ぜひお開きください。

270話 菅公のご神体 315話 「針摺」地名由来
58話 誇り高き三千坊 ふくはく紀行NO.007神松寺の由来


菅原道真履歴


太宰府天満宮本殿


西暦 和号 出来事 その他
845 承和12 生誕
862 貞観04 文章生となる。
867 貞観06 下野権少掾(得業生兼国)
870 貞観12 正六位となる。
884 元慶08 大嘗会前次第司次官
886 仁和02 讃岐守拝任
890 寛平02 宇多天皇橘広相に代わり側近に抜擢。
894 寛平06 遣唐大使兼侍従。
895 寛平07 兼近江守
897 寛平09 藤原時平大納言兼左近衛大将。
道真権大納言兼右近衛大将に。
899 昌泰02 右大臣に昇進。時平と左右肩を並べる。
900 昌泰03 右近衛大将を辞意示すが却下される。
901 昌泰04 宇多上皇を惑わせた、醍醐天皇を廃立して娘婿の済世親王を皇位に就けようと図        ったなどで、大宰員外師に左遷された。
903 延喜03 菅原道真没
923 延喜23 贈右大臣、正二位。
993 正歴04 贈正一位左大臣、大政大臣。

    
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