No.032

2022年03月20日

消防の守り神
八兵衛地蔵尊の由来

福岡市唐人町


成道寺の八兵衛地蔵

 唐人町の成道寺境内には、「八兵衛地蔵尊」なる石像が祭ってある。「唐人町」は福岡城下の地名であるが、むかし他国の船(唐船)が停泊していたからとか、高麗人が住んでいたとか、そんなことからこの名前が付いたらしい。
 地蔵尊像は、その唐人町を命がけで救った森八兵衛という浪人のお話しです。江戸時代初期のこと。八兵衛は、いつの頃からか成道寺の庫裏に寝泊まりしている。出身は肥後国だと言うが、それ以上は詳しく話さない。唐人町にやって来たのは、福岡藩に仕官を申し出るためだが、なかなか採用が決まらない。そのため、成道寺に仮寓することになったのだ。近所の子供たちを集めては読み書き算盤や剣道を教えたりして暮らしていた。地元民には、なかなか評判のよろしいご仁ある。

火事場の喧嘩


唐人町周辺の古地図(簗の橋)

 ときは元禄7年(1694年)の暮れ。赤穂浪士の討ち入りより7年前のことである。
アルバイトの寺子屋が終わって八兵衛は、薦川にかかる簗橋(やなばし)際の縄のれんを潜ろうとしたその時だった。すぐ近くの火の見櫓から、けたたましい半鐘の音が降ってきた。
「火事はどこだ?」。楊枝(ようじ)を咥えた男が、店から出てきて空を見上げた。。
「酒なんて飲んでる場合じゃねえ、どいたどいた!」
 奥にいたもう一人の男が、ねじり鉢巻を結びながら猛烈な勢いで駆けだしていった。
「あいつは、町の火消しなんだよ」と、楊枝を咥えた男が教えてくれた。表通りが急に騒がしくなった。火消し道具一式を摘んだ車が、内堀に沿って突っ走って行く。見上げる空が、ぼんやりと橙色に染まっていた。


現在の唐人町商店街


「火事は須崎の辺りらしいじぇ」。お城の方から戻ってきた男が、すれ違った女に告げた。須崎といえば、唐人町からお堀伝いに1里ほど東の、商人(あきんど)の町・博多の入り口である。
「火事と喧嘩は江戸の華」なんて言う奴もいるが、九州人だって火事見物は大好きなのだ。須崎での火事も、町中から火消しと野次馬が集まってきて大騒動になった。

火事場論争で死人が出た

「須崎の火事じゃ、見物人が邪魔して消火車も通れやしねえ」。火事騒動も落ち着いたところで、町火消が戻ってきて酒の呑み直しである。
「見物人は悪くねえ。悪いのは火消しだよ。すぐ消える火も消せないんだからよ」。酒の勢いで言っちゃいけないことを言ってしまった。
「なんだと、この野郎。こちらは命がけで火消しをしてるんだぞ。許さん」。立ち上がった火消しが、相手の胸倉を掴むなり一撃を食らわせた。すると、別の席で別の呑兵衛どうしが、また論争をぶち上げた。
「須崎ってところは、海風の癖が悪すぎるんだ」と、火事の原因を自然現象のせいにする。
「悪いのは風でもねえ。み~んな殿さまが悪いのよ」
 そこで居酒屋にいた殿さまびいきと批判派が、血相変えて立ち上がった。一人が持っていた徳利で相手の額を割ったために、鮮血が噴き出した。こうなったら、酔っぱらいの口喧嘩だけでは収まらない。つかみ合い、殴り合いがエスカレートしていく゚ばかりとなった。
 その時隅っこで、周囲の喧嘩など知らんぷりで呑み続ける男が一人。八兵衛である。最近の唐人町は、平和過ぎて時間の経つのを遅く感じる。くだらない他人の口喧嘩を肴にするのも悪くはなかった。
「大変だ!こいつ動かないよ」と、一人が叫んだ。反対側からも悲鳴に似た声が。集まったみんな静かになった。中には、関わりたくないと思ったか、その場から消えた男も。

拙者がやったと名乗る男

 いつもは平和な唐人町で発生した事件である。検視に入った町奉行は、町の世話役に対して、下手人を差し出すよう命じた。いかに酒の上の喧嘩とはいえ、人が2人も死んでいる。お裁きの末は死罪であることは間違いない。町中が静まり返った。


福岡城のイメージ


「拙者が2人を斬りました」と手を挙げたのが、外でもない森八兵衛であった。
「そんなことはないよ。あの時居酒屋にいた先生を、俺は知っているよ。みんなが喧嘩を始めたときも、先生は最後まで座ったままで酒を飲んでいたじゃないか」と、日頃寺での塾でお世話になっている子供の親が八兵衛をかばった。
 じゃあ誰が下手人かと問えば、全員黙ってしまう。問い詰めていた十手持ちも、辛抱できずに「そこな浪人、お前が真犯人だ」と、八兵衛にお縄をかけた。
 後日牢屋を訪ねた成道寺の住職。「どうしてそんな嘘までついて死を選ぶんだ」と問い詰めた。
「だって住職さん。何十年も下手人なんて出したことのなかった平穏な唐人町だろう。そこでおいらがやりましたと名乗り出て首を刎ねられたらどうなる? 明るかった町が真っ暗になり、これから長く生きて行かなきゃならない女房や子供も行き場をなくしてしまうじゃないか」
「そんなことを言えば、お前さんだって事情は同じだろう」
「それは違う。拙者には妻も子もいない一人ぼっちだ。拙者が首を刎ねられて済むことなら、本望ですよ」と、八兵衛が初めて見せる涙だった。
「それじゃ訊きますよ先生。本当に先生には奥方もお子さんもいないんですか。先生の出身は、本当に肥後の国ですか。過去を知られたくない何かがあると拙僧は思っていますがね。教えてください」


成道寺の境内


 すがる住職に八兵衛は、目を合わせることもなく立ち上がり、看守を促して独房に消えていった。それから間もなくである。お城から住職のところに、森八兵衛の死刑が執行されたという報せが届いた。報せを聞きつけた町の者や火消し仲間が、三日三晩八兵衛のご恩を忘れまいと祈り続けた。そこで火消しの親方から提案がなされた。
「町を救い、火消しの有りようを身をもって教えてくれた八兵衛さんに報いるために、『八兵衛地蔵』を作り、成道寺にお祀りしよう」と。
これが今日も残る成道寺の八兵衛地蔵のそもそもである。 (完)
 
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