油山観音

No.022

2022年01月09日

観音さまとドロボー

 凡そ1500年ほどむかしのお話。清賀上人(せいがしょうにん)という偉いお坊さんがインドから日本に渡ってこられて、九州博多の奥山に庵を結ばれました。それが油山観音の始まりです。上人は、この地が大変お気に召したようで、地元の人たちに溶け込むための努力を惜しみませんでした。自生する椿の実を搾って、油を精製する技術を村人に伝えました。また、椿の古木を伐りだして、3体もの観音像を彫られました。現在油山中腹に建つ正覚寺(しょうかくじ)本堂に安置されている観音像は、そのうちの一体といわれます。 あとの二体は、雷山観音さまと福岡西区の小田観音さまです。


油山観音像

 さて、ここからがお話しです。

 清賀上人にお仕えする寺男のヨツガは、本堂に座られている観音さまと、上人が搾りだした椿油の壺をお守りすることが仕事であった。上人が修行されている間も、ひとときも気を緩めることなく、観音さまと油壷との睨めっこが続きました。
 ところが、どんなに気を張り詰めていても、人間には油断はつきもの。この日は、油山全体を真っ暗闇が覆う月のない夜だった。不覚にも、ヨツガは忍び寄るドロボーに気づかず、深い眠りに落ちていた。ドロボーは、裏口から庫裏(くり)に忍び込み、普通の大人ではなかなか抱えきれない大きな壺に縄をかけて肩に担ぎ上げ、麓に向かって走り去ったのである。ヨツガが目を覚ましたのは、それからずいぶん時間がったった夜明けどきだった。
「しまった!」と地団駄踏んだその時、清賀上人も起きだしてきた。「すんまっせん」と謝るヨツガに、上人は「よし、よし、油ならまた搾ればよいこと。盗まれたのが、観音さまでなくてよかったわい」と、胸をなでおろされた。「いいえ、俺が眠ってしもうたのが悪かとです。必ず、油は取り返してきますけん」。言うなり、ヨツガは上人が止めるのも聞かずに飛び出した。


油山観音への山道

 外に出れば、油のしずくが地面に点々と繋がっている。これをたどれば、ドロボーに追いつけるはずと、ヨツガは考えた。
 現在で言う東油山から友泉亭へ、友泉亭から田島往還を抜けて鳥飼の入江まで走った。油のしずくは、わずかながらまだ続いている。懐かしい潮の香りがヨツガの鼻孔を刺激するが、そんな感傷に浸っている場合ではない。百道の浜辺に出ると、すぐ向こうに能古島と志賀島が行儀よく並んでいる。穏やかな波が打ち寄せる海岸を辿った先に人影が。岩場で、のんびり昼寝をしている男のそばには、見覚えのあるでっかい壺が。
「こら、あぶらドロボー!」。ヨツガの叫び声で、男が飛び起きた。
「待て!」、「捕まってたまるか」と、大男2人の駆けっこが始まった。一方は、オリンピック選手にでもしたい駆け足名人の男。もう一方は、力は強そうだが壺を抱えていては思うように走れない。勝負は初めから決まっている。
 転がっている石に躓いたドロボーは、顔から先に地面に落ちた。その場で「御用!」。ヨツガが「その壺返せ!」と手を伸ばした時には、壺は割れて中の椿油が博多湾にだらだらと流れ出していた。「待て~、油よ~」とヨツガが叫んでも、どうにもならない。油は、今宿から今津へ。松原の影を追いかけるようにして、細く長くくねりながら消えていく。そんなことから、このあたりの地名を「長垂(ながたれ)」と呼ぶようになったという人がいるとかいないとか。
 ヨツガは、油壷のかけらだけを持って、とぼとぼと油山を登っていった。(完)


観音堂

 本編にご登場なさる清賀上人の、正確な誕生や没年などはわかりません。それでも、上人の名前は、福岡の町の名前とともに永遠に不滅です。上人が彫られた観音像三体は、現在もなお「油山観音」、西区小田の「小田観音」、糸島市の「雷山観音」が、地域の方々の大いなる尊敬を仰いでご健在であられる。
 そんなありがたい観音さま(国の重要文化財・木造聖観音像)を、平成の御世になって、盗み出した大戯け者(たわけもの)がいます。平成21年(2009年)10月のことでした。正覚寺の本堂から、ご本尊の座像を盗んだ泥棒が現れたのです。幸いこの仏さまは無事に戻られ、泥棒も捕まったからよいものを、とんでもない罰当たりがいたものです。
 本編の「観音さまとドロボー」にどこか共通している話ではありませんか。仏さまを売り飛ばして一儲けしようとする輩(やから)に、幸せなどあろうはずもないのに。 1500年前のドロボーは、重い油壷を担がされた上に、最後は壺もろともにボロボロ。一方平成の観音さま泥棒(職業不詳)は、その後、福岡市内のため池の底であえなく御用!

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