No.018

2021年12月12日

萬四郎の悲劇
博多豪商の悲劇


小四郎・萬之助を祀る神社

萬四郎神社とは

 博多の町を歩いていて、ビルの陰にたたずむ小さなお宮さんを見つけた。JR博多駅から港に向かう大博通りの途中、昭和通りと交差するあたりである。お宮さんの名前は「萬四郎神社」。祀られている神さまは、「小四郎と萬之助の幼い兄弟」。祭神が幼い子供だから、「子供の無病息災」と豪商の息子だから「商売繁盛」のご利益がお宮さんの売りになった。
 ご利益の根拠はこうだ。江戸時代の初期、密貿易の罪で処刑された博多の豪商・伊藤小左衛門(いとうこざえもん)とその一族。小左衛門の孫の小四郎と萬之助が祀られているこのお宮さんで遊ぶ子供は、稲荷狐が守ってくれるから怪我をしないという言い伝えである。
 「萬四郎」とは、伊藤小左衛門吉次(いとうこざえもんよしつぐ)の二代目の息子小左衛門吉直(世襲で名前を継いでいるから同名)の三男小四郎(5歳)と四男萬之助(3歳)の合体名である。
 初代小左衛門が博多の豪商なら、二代目小左衛門は豪商の跡継ぎとして、最前線の長崎で商売の陣頭指揮を執る新進気鋭の商人であった。それでは、お祀りされている豪商伊藤家の幼子(おさなご)がどうしてこのような街の中に祀られているのか。

伊藤小左衛門一族
年齢は処刑時

初代伊藤小左衛門(吉次) 70歳
小左衛門吉次の妻

小左衛門の妹
二代目伊藤小左衛門吉直 47歳
吉直の次男 市三郎 
小左衛門吉直の妻  42
小左衛門の嫡男 甚十郎
小左衛門の三男 小四郎 5
小三郎の四男 萬之助 3歳

処刑された70数名の出身地は、博多29名、 長崎18名、対馬16名、柳川11名、大坂11名、島原4名、佐賀2名、唐津1名、久留米1名

お墓は妙楽寺

 長崎と博多近辺で処刑された伊藤小左衛門とその一族、更に手代等(従業員)70数名が葬られているのが御供所町の妙楽寺である。本堂に通じる長い小路を進むと、途中に処刑を免れた小左衛門の遺族が建てたという「開山堂」がある。開山堂を囲むように、小左衛門など処刑された人たちのお墓が林立している。
 お坊さんに案内してもらった最初が、初代伊藤小座衛門さん夫妻の墓だった。お堂を挟んで小左衛門の墓の反対側に、「小左衛門一族の墓」が立ち並ぶ。中心をなすのが二代目で、その横に長男など一族郎党のお墓が勢ぞろいしている。
 このお寺さん、元はずっと北方の石城町あたりに聳え建っていたという。その後、火災などもあり、蒙古襲来時の防塁の名残りとして「石城」という地名を残し、現在地に移転したと記録されている。そのためか、妙楽寺の墓地には、黒田藩の代々の家老や商人などの墓石が、威厳を発しながら林立している。
 広いお墓を一周しながらそれぞれの墓石に挨拶を終わると、これまで聞いてきた「江戸時代」とは一味違う江戸時代の博多に出会えた気分になった。リアルな時代劇を鑑賞した気分になったもんだ。


小三郎吉次・妻の墓

博多豪商の処刑

 初代(祖父)伊藤小左衛門吉次は、大坂の「鴻池」と並び称されるほどの豪商とうたわれた。豊臣秀吉時代に、同時期の博多商人・神屋宗甚らと、現在の福岡市博多区呉服町周辺に店と屋敷を有して活躍した。徳川時代になって、黒田長政-忠之-光之の3代の藩主のもと、小左衛門は御用商人として絶対的地位を確立したのだった。
 初代小左衛門は黒田長政に仕え、長崎を拠点に貿易商人への金貸し業などで財を得た。息子の二代目は、藩の物資調達や生糸の輸入、鉄の売買などで、短期間に富を増やしていった。
 伊藤小左衛門の屋敷と本店は、最初に見つけた萬四郎神社の目の前・浜口公園にあった。世は関が原合戦から60年以上が経過し、4代目徳川家綱が将軍を務める頃であった。福岡藩も、「黒田騒動」の二代目忠光が没して、三代目光之の時代に入っていた。


小四郎・萬之助の墓

兄弟は磔台の露と消え

 二代目小左衛門吉直は長崎赴任中で、地の利を活かして諸国からの物資の輸入を幅広く展開していた。もちろん、黒田藩の御用商人としての役目が後押しをしてである。
 絶頂期にあった伊藤家の罪を暴いたものがあった。当時幕府から厳しく禁じられていた伊藤家の武器の密貿易を、藩に訴え出たのである。訴えを受けた黒田藩は、幕府に対する面目もあって見逃すことができなかった。そこで、初代・二代目小左衛門は当然として、親・兄弟・子供・親類・雇い人など合計70名以上をお縄にしたのである。その中には、二代目小左衛門の三男小四郎(5歳)と四男萬之助(3歳)も含まれていた。
 処刑は、寛文7年(1667年)、長崎と博多の柳町浜、比恵の刑場で執行された。処刑後、不憫に思った町の人たちが、幼い兄弟を供養するために、神としてお祀りすることにした。それが、萬四郎神社なのである。

近松歌舞伎に柳町登場

「第16話柳町娼婦の墓」や今回の「萬四郎の悲劇」に登場する柳町は、江戸初期の歌舞伎や浄瑠璃の人気作家近松門左衛門が得意とした博多の色街である。
 伊藤小左衛門一族の処刑は、日本全国に大きな衝撃をもって伝えられた。特に外様大名にとって、御用商人まで極刑にしなければならない事件は、他人事ではなかった。小左衛門の密貿易通報は、彼らには、暗い政治的な事件に映ったのだろう。
 そんな騒動の最中、「事件」を後世に残そうと奮闘したのが、江戸時代唯一の浄瑠璃・歌舞伎作者であった近松門左衛門の世話物である。また、歌舞伎の中に登場する「博多柳町の小女郎」は、その後、「博多小女郎波枕」や「毛剃」として、市川團十郎の得意芸となり、今日まで盛んに上演されてきた。

  お芝居の内容

 京の商人・小松屋惣七が博多に向かう途中、海賊の毛剃九右衛門の秘密を知ったために海中に落とされる。運よく一命をとりとめた惣七は、博多柳町の馴染みの遊女小女郎を訪ねるが、そこでまた毛剃に会い、海賊一味の仲間入りを強要される。
惣七は、小女郎との恋を遂げるために毛剃の一味に加わるが・・・。

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