No.016(p)

2021年11月28日

柳町娼婦の墓

口の中から蓮の花

 

山門脇に明月の墓が

 博多っ子は、夏が近づくと山笠のことで頭がいっぱいになり、仕事が手につかなくなる。夜明け前に櫛田神社を飛び出した追い山笠は、博多随一の古刹萬行寺の山門に突き当たる。重厚な山門を潜った先には、「名娼明月の墓」が待っている。
 物語は、当山第5世の正海和上が、柳町遊郭の娼婦明月とめぐり逢うところから始まる。この日、寝起きが悪かった和上。一晩中誰かに責められる夢ばかり見ていたのだ。 

和上:修行を積んだ僧の敬称(浄土真宗)

萬行寺:浄土真宗萬行寺は、享禄2年(1529)蓮如の弟子空性(七里隼人)の開山である。空性は連如の名を受けて九州地方の布教中に普賢堂町に寺を建立したが、寛文5年(1665)に現在地に移住した。当山5世の正海和上の教化によって、博多の津・袖の湊柳町に伝えられる名月信尼物語は、歳月を経て今日まで語り継がれている。 

お勤めの後、気分直しに寺の庭園を散策している時、前方からついぞ見かけぬ美しい女が近づいてきた。女は何かを思いつめたような表情で和上とすれ違った。
「こんなに朝早くから、お参りですか」
 和上の一声に女は振り向いた。身分を尋ねると、
「私は、柳町の娼婦で明月(めいげつ)と申します。亡くなった父親が成仏できずにあの世との間をさ迷っているようで、主人のお許しをいただいて供養に参りました」
 いつかどこかで聞き覚えのある訛りを持つ女は、何かを訴えたい様子である。
「深いお悩みがありそうですな。よかったら拙僧にお聞かせください」
 二人は、本堂で本尊を正面にして向かい合った後、名号を合唱した。 

名号:「南無阿弥陀仏」の六字を名号という。 

「間違っていたらお許しあれ。貴女とはずっと以前に一度どこかでお会いしていますな」
「どこで…?」
「齢を取りますと、それが…」
 長い沈黙の後明月が口を開いた。
「もしかして、大坂で…」
 そこまで言われて、正海和上の記憶が蘇えった。当時は、七里三河守の役職を担っていて、石山合戦にも参戦している。 

石山合戦:石山本願寺攻めともいう。関が原合戦の30年前の1570~80年、織田信長は淀川の河口という要地にある石山本願寺に立ち退きを求めた。本願寺法主は、諸国門徒に呼び掛けて、毛利の支援もあって、11年にも及ぶ戦いが続いた。その後力尽きた本願寺側が退去する誓書を提出して戦争は終結した。その跡地に現在の大阪城が築かれたのである。


萬行寺山門  

石山合戦以来の再会

「拙僧が加賀の一向衆を率いて織田さまと戦っている折りのことでした。貴女は確か、お父上とご一緒でしたな」
15歳の頃でした。父に連れられて岡山から大坂に参りました。石山本願寺(現大阪城跡)の十代門跡証如上人に仕えるためです。それも、信長さまとの戦のために中途で引き上げることになってしまいましたが」
「あの時、石山寺でお茶を運んでくれた美しい娘さんがいたことを思い出しました。貴女でしたか。それがまたどうして、今ここに?」。「どうして娼婦などに…」と言いかけて、和上は言葉を飲み込んだ。
「私の本当の名前はアキと申します。明月は娼婦宿での源氏名でございます。石山寺の戦のあと、戦場で命を落とした父の遺骨を抱いて、ふるさとの備中に戻って来ました。母は、私がまだ幼い時分に病で亡くなっています。一人ぼっちの私には、父の存命の折に取り交わした許婚の藩士・伏岡金吾というお方だけが頼りの帰郷でございました。そのお方も…」
 博多柳町で、名娼とうたわれたお秋の、長い苦しい身の上話が始まった。 


傷心のままで筑前へ 

備中に戻ってきたお秋が誰よりも頼りにする許婚者の伏岡金吾は、既に備中にはいなかった。金吾は、親の仇の矢倉監物を追って、九州は筑前国へ旅立った後だった。国元で許婚者のお秋の帰省を待っていた金吾に、とんでもない事件が襲いかかったのだった。金吾の父親を、同じ藩士の矢倉監物が闇討ちで殺害したのである。実は矢倉なる男、同僚の伏岡金吾の許婚者を横取りするために、お秋が上坂している隙に金吾を亡きものにしようと企んだのだ。だが、金吾と思って刺した相手が金吾の父親だった。
 矢倉はその日のうちに出奔した。父を殺められた金吾は、知り合いから矢倉の逃走先を聞きだすと、仇討ちのために九州の筑前を目指した。
 金吾を頼って大坂から帰ってきたお秋は、金吾の旅たちを聞き、絶望の淵に突き落とされた。そこで彼女もまた、家と国を捨て、身一つで筑前国へと向かったのであった。 

許婚者もこの世にいない 


長垂海岸

ここは筑前博多の町はずれ。美しい松林が博多湾を囲む長垂の海岸である。未だ20歳を過ぎたばかりの旅姿の娘が、頼りない足取りでやって来て、海風が吹き付ける浜辺の宿に入った。宿の主人に伏岡金吾の消息を尋ねた。
「そのお方なら、10日前にここにお泊りでしたよ」と、答えたところで主人は言葉を切った。身を乗り出すお秋に、「お気の毒だが、もうそのお侍さんはこの宿にはいませんよ」とそっけない。お秋は一縷の望みを保ったまま、金吾の次なる行動を問い質した。


長垂海岸


「何日も前から泊ってなさった風采の上がらない浪人風のお客さんと、後からやって来たお尋ねのお客さんが顔を合わせなさった。その直後ですよ。二人は血相を変えて表に出て行かれたんですよ」
 主人は、これ以上関わりたくないと奥に引っ込んだ。二人の侍は、先を争うように海辺に駆けだした。一瞬の間にらみ合いの後、刀を抜いた伏岡金吾が「親の仇!」と叫び、矢倉監物に斬りかかった。矢倉もまた「返り打ちだ」とばかりに刀を抜いた。
 二人の決闘は、長垂の浜で血飛沫を吹きげながら延々と続いた。遠くから眺めている宿の主人の体は、怖ろしさで震えっぱなしであった。
 最初に倒れたのは矢倉の方で、間もなく息絶えた。対する金吾も、体中が血まみれになり、息も絶え絶えであった。その血が相手からの返り血なのか、本人の身から噴き出たものか見当がつかないほどのものだった。
 主人からの通報を受けて駆け付けた番所の役人は、金吾の正当な仇討ちであることを認めた。だが、全身に傷を負った金吾も、間もなく息を引き取ることになる。
 主人からことの顛末を聞き終わったお秋には、もうこの世の中に頼れるお人は一人もいなくなったことを悟らざるを得なかった。頼りない足元を気にするでもなく、表に出たお秋は、金吾と矢倉が戦った砂浜に出た。その様子を、陰から眺めていた男がいた。男は、水中に入り沖に向かって進んでいく女の跡を追った。 


落ちいく先は
 

異様な胸苦しさで目を覚ましたお秋には、ここがどこなのか咄嗟に判断がつかなかった。目の前には、顔中髭だらけの男が、お秋の体を上から抑え込んでいる。「ぎゃーっ」と叫んだつもりだが、声にはなっていない。起き上がろうとするが、男の太い両の腕でがっちり抑え込まれていて、身動き一つできない状態であった。
「静かにしろって、雪を被ったような白い肌のお嬢さんよ。こんな上玉を粗末になんかできるもんか」。「心配することはないぜ、お嬢さん。海に沈んでお陀仏寸前のお前さんの命を援けてやったのはおいらなんだから。お礼にいくら貰たって足りないくらいだぜ」。猫なで声でお秋を諭した。
 その後、堅気の世界では見かけない派手な柄の襦袢を着せると、「さあ、出かけるぜ」と、表に待たせている駕籠に押し込んだ。連れて行かれたところは、博多柳町の妓楼三浦屋であった。お秋は遊女として売り飛ばされたのである。
「死んだつもりで働きゃ、そのうちきっといいこともあるさ」

 男の正体は、女を娼婦宿に売りつける人買い(人身売買)であった。抵抗力を失ってしまったお秋を店の番頭に引き渡すと、男はさっさと大川べりを湊の方に消えた。


現在の柳町(現下呉服町)川岸

 お秋には「明月(めいげつ)」という源氏名が与えられ、日夜見知らぬ男に春を売る仕事を強いられたのである。

柳町遊郭:貝原益軒の「筑前国続風土記」には、遊郭の数は19軒で、60~70人の遊女がいたと書かれており… 


夢枕に亡父が立ち

 

どうしてこんなことになってしまったのか。お秋の悲しみも、やがて時とともに諦めに変わっていった。客が喜ぶもてなし方も覚えた。娼婦明月の名は、博多の街中に知られるようになった。
 そんな折に、幼い頃に可愛がってくれた父が、形相険しく夢枕に立つようになった。それも毎日決まって夜明け前に。
「お秋よ、何をしておる。そんななりをしていては、親鸞聖人さまがお嘆きになることがわからぬか」。
 きつい口調でお秋を責めた。父の叱責の声で目が覚める毎日が続いた。お秋は、苦しさで日々気力が衰えていった。それでも、娼婦という稼業に就いた以上、体が不調なんて理由で男をとることを拒むことはできない。

 耐えきれずにお秋は、店の主人(楼主)に相談した。
「それは、おまえのおやじさんが成仏できずに、そこらをうろうろしているんだわ。わしの信仰する萬行寺の仏さまにすがってみな。朝一番でありゃ、客もいねえし」と諭されて、萬行寺を訪れたと言う。
 


明月の口から蓮の花が
 

長い苦しい身の上話を聞き終わって、正海和上の目も潤みがちであった。
「よくぞ、言いにくい話をそこまで語ってくれました。大丈夫です、そなたのそのきれいな心さえ失っていなければ、親鸞聖人もお父上もきっと許してくれますよ」
「正海和上さま。父や母、それに許婚者の金吾さまは、これからの私がどのように生きれば許していただけましょうか」
 お秋の不安は、正海和上の少々の言葉ぐらいでは拭えそうになかった。
「仏さまを信じて拝むことです。心行くまで」
 お秋を見送る和上には、どうぞ彼女の幸せを取り戻せますよう願うことしかなかった。

それからの日々、娼婦明月は幼き頃のお秋に戻り、毎朝素足で柳町から萬行寺まで通い、本尊にすがって名号を唱え続けた。ところが、ふた月ほどたった頃、萬行寺に通うお秋の姿が見えなくなった。不審に思った正海和上が、日暮れの柳町を訪ねた。お秋が働く三浦屋の灯が消えている。
 まさかと和上は、目の前の悪夢を払いのけるように、「南無阿弥陀仏」を繰り返した。和上の脳裏には、娼婦明月の寿命の限りが迫っていることが知らされたのであった。悪夢は現実となり、間もなくお秋の死が三浦屋の主人から知らされた。享年は22歳であった。主人の話だと、体中が病魔に冒されていて、施すすべもなかったと言う。正海和上の頼みで、明月の遺体は萬行寺の墓所に葬られることになった。
 そして四十九日が経った早朝、和上がいつものようにお秋の墓にお参りした時のこと。墓標の脇から蓮の茎が伸びていて、白地に桃色の花が一輪開いた。こんな場所に蓮を植えた覚えはないし、まして花の季節でもないのに花が咲くとは不思議なことだ。和上は、寺男を呼んでお秋の墓を掘り起こさせた。驚くことに、死後50日経つというに、遺体は葬った日のままで、今にも起きだしそうに新鮮であった。さらに驚くのは、蓮の茎の根元が遺体の口元から伸びている。そして…、顔を近づけた正海和上に微笑み返していた。(完)


近松歌舞伎に柳町登場

「第16話柳町娼婦の墓」や今回の「萬四郎の悲劇」に登場する柳町は、江戸初期の歌舞伎や浄瑠璃の人気作家近松門左衛門が得意とした博多の色街である。
 伊藤小左衛門一族の処刑は、日本全国に大きな衝撃をもって伝えられた。特に外様大名にとって、御用商人まで極刑にしなければならない事件は、他人事ではなかった。小左衛門の密貿易通報は、彼らには、暗い政治的な事件に映ったのだろう。
 そんな騒動の最中、「事件」を後世に残そうと奮闘したのが、江戸時代唯一の浄瑠璃・歌舞伎作者であった近松門左衛門の世話物である。また、歌舞伎の中に登場する「博多柳町の小女郎」は、その後、「博多小女郎波枕」や「毛剃り」として、市川團十郎の得意芸となり、今日まで盛んに上演されてきた。

  お芝居の内容

 京の商人・小松屋惣七が博多に向かう途中、海賊の毛剃九右衛門の秘密を知ったために海中に落とされる。運よく一命をとりとめた惣七は、博多柳町の馴染みの遊女小女郎を訪ねるが、そこでまた毛剃に会い、海賊一味の仲間入りを強要される。
惣七は、小女郎との恋を遂げるために毛剃の一味に加わるが・・・。

 

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