No.009(i)

2021年08月29日

ガッパの大相撲

カッパのことを、筑前地方では「ガッパ」と濁って呼ぶらしい。筑後川の水で産湯を浸かった筑紫次郎にはピンとこない言い回しだが、ここは地元のお方に遠慮しなければなるまい。
 ガッパって奴は、なんと福岡市内の長尾にまで勢力を拡大していたのか。まさか、次郎を追いかけて、わざわざ筑後から引っ越してきたわけでもあるまいし。 

 むかしむかしのお話。油山麓の上長尾というところに、仕事が大嫌いな農家の息子が住んでいた。息子のことを通称乙(おと)やんと呼ぶ。彼は田の草取りをこなしながらも、お日さまの傾き加減ばかり気にしている。陽が油山の稜線に隠れるや否や、鍬も雁爪(がんづめ)も放り投げて我が家へまっしぐら。


桧原にわずかに残る田園

 一帳羅(いっちょうら)に着替えると、すぐに樋井川土手に出た。下屋敷橋から五反田橋までの狭い川沿いの道を、わき目も振らずにまっしぐら。川岸の葦の原から聞こえるウシガエルの眠たくなるような鳴き声も、乙やんにはテンポの良い伴奏にしか聞こえない。途中、土手から見上げる場所に鎮座なさる八幡さま(下長尾八幡神社)に立ち寄ることだけは忘れない。長尾地区の氏神さまである。「今日もよかおなごに巡り合えますように」と、念入りに頼みごとをすませばいざ出陣。再び鎮守の森を駆け下りてまっすぐ五反田橋へ。
 目的地も近くなった長尾あたりで、見知らぬ生き物から声をかけられた。ガッパ(カッパ)である。
「おい、そこなや強そうな男よ。わてと相撲とらんか」。背は小さくてカラスのようにくちばしがとがっている。それに、頭のてっぺんには毛が無い。小男は跳ね上がるようにしてしきりに乙やんを挑発した。そうくれば、引き下がれないのが乙やんの性格である。一帳羅を脱ぎ捨てて、ついでに兵児(へこ)まで外してスッポンポン。
 取っ組み合いから数秒後、乙やんは宙を舞って樋井川の流れにばっしゃ~ん。剥きになって再挑戦しても結果は同じ。
「やいやい、口ほどでもない弱男。兵児(へこ)履いてとっとと失せろ」と、ガッパがドヤ顔であざ笑う。乙やんはふらふら足で友泉亭近くの縄のれんに助けを求めた。河川敷での一部始終を聞いた縄のれんの親父が笑うこと。


長尾の砂浜

「おいが、よかこつば教えてやるけん」と親父。「隣の魚屋で鰯(いわし)ば2匹買うて、もういっぺん砂浜に行ってみろ。今度ガッパに会うたら、逆立ちの長持ち競争ば持ち掛けろ」と。何が何やらわからぬままに外に出た乙やん。言われるままに魚屋で鰯を1匹買うと、再び長尾の砂浜に出た。すぐにガッパが現れた。「その鰯をくれろ」とねだる。「それなら俺と逆立ちばして、どっちが長持ちするか対決たい。俺が負けたら鰯ばやるけん」と約束した。
 ガッパの奴、腰に力が入らずすってんころりん。次は乙やんに投げ飛ばされて川の深みにジャブ―ン。意気揚々と帰っていく乙やんを、縄のれんの親父がニタニタ顔で見送った。手には鰯を大事そうにぶら下げて。


樋井川岸の居酒屋

 見送った親父の正体こそ、実は樋井川一帯の縄張りを仕切るガッパ連の大将だったのである。そして逆立ちに負けたガッパは、大将の息子だった。知恵を働かせて乙やんから大好きな鰯をせしめると、1匹を息子に与えて満足そうに縄のれんに消えていった。カッパという生き物をご存じの方には、何がどうなったか既にお分かりだろう。そう、ガッパは乙やんと逆立ち競争をしたために、頭の皿から水分がこぼれてしまい、力をそがれてしまったのだ。カッパという妖怪は、頭上のお皿が乾くと生きられない生物なのである。
 
相撲博士を名乗る筑紫次郎も、カッパ否「福岡のガッパ」の大好物が鰯であることを、この年齢(とし)になるまで知らなかった。(完)

 

 

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