「タイトルの時点で既に見る気のしない映画」というのが結構ある。
例えば『羊たちの沈没』。もう、内容はだいたい想像がつく。この手のパロディ映画に釣られて、貴重な時間をどれだけ蕩尽してきたことか。人生は短いのだ。豊かな余生を過ごしたいものだ。
この『ジャージー・デビル・プロジェクト』もまさにその範疇の映画だった。『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の便乗であることがありありで、
「へへん。だまされるもんかい」
とスルーするのが大人の所作というものだ。
ところが、後に「なかなかのもの」との評判を聞き、はて、どんなものかと見てみると.....。うわっ、だまされた。こっちの方がオリジナルだった。迂闊だったあ。もっと早く見ればよかったあ。
本作は或る殺人事件に関する「ドキュメンタリー」である。
ニュージャージー州に伝わる都市伝説「ジャージー・デビル」の真相を探ろうと森に入ったケーブルテレビのスタッフ4人が殺人事件に巻き込まれる。一人だけ生還したジムが容疑者として逮捕されるが、疑問に思ったドキュメンタリー作家、デヴィッド・リーが独自に調査を始める.....という物語。本作はこのデヴィッド・リーが監督兼司会者の「疑似ドキュメンタリー」として進行する。
どうです?。『ブレア・ウィッチ』にそっくりでしょう?。
ところが、本作は『ブレア・ウィッチ』の前年に製作されているのですよ。どちらがパクったかは明白ですね。
私、『ブレア・ウィッチ』の監督には好感が持てず、むしろバカなのではないかと思っていたのですが、その予感は適中していました。真のバカ野郎ですね、あいつらは。
で、本作のスゴいところは、単なる「疑似ドキュメンタリー」で終わらせなかったことなのである。
事件を淡々と調査し、分析して行くデヴィッド・リーは、遂に真犯人を特定する決定的証拠を手にする。さて、真犯人は.....という土壇場で物語は突然「ドキュメンタリー」のスタイルをかなぐり捨てて「劇映画」へと移行してしまう。
「ウソッ!!」
と叫ぶ間もなく、新たな殺人が目の前で行われ、物語は森の中へと収束して行く。あたかも、何事もなかったかのように.....。
この衝撃のラストを目撃した私は、しばし呆然とし、そして『ツインピークス』を思い出した。
森に巣食う邪気が惨劇を引き起こす。
それは誰にも止められない.....。
そんな無情感が深い余韻を齎す。本作は間違いなく「ツインピークス世代の回答」であろう。後味は決して良いとは云えないが、
「スゴいものを見てしまったあッ!!」
という充足感を得ることができる。 然るに、その上辺しかパクることができなかった『ブレア・ウィッチ』とはいったい何なんだ?。結局、商業的成功作は必ずしも傑作ではないのだなあ。
10年後にカルトとなるのは、間違いなく、こちらの方である。
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