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評価 ★★★★★

フリークス
FREAKS

米 1932年 65分
監督 トッド・ブラウニング
出演 ウォーレス・フォード
   オルガ・バクラノヴァ
   ハリー・アールズ



オルガ・バクラノヴァとハリー・アールズ

『フリークス』の舞台はサーカスである。小人のハンス(ハリー・アールズ)は空中ブランコ嬢のクレオパトラ(オルガ・バクラノヴァ)に夢中だが、彼女はというと、気のある素振りを見せて弄んでいるだけだった。そんな折り、ハンスが莫大な遺産を相続する。強欲なクレオパトラは恋人の怪力男ヘラクレス(ヘンリー・ヴィクター)と共謀して、ハンスと結婚して殺害し、その財産の横領を企てる。彼女はハンスに砒素を盛る。ところが、ハンスの仲間たちに見破られてしまう。結局、二人はハンスたちの復讐に遭い、ヘラクレスは無惨に殺され、クレオパトラは不具にされてアヒル女として見世物小屋に売られてしまう。

 以上が怪奇映画としての『フリークス』の主筋である。しかし、この映画の魅力はむしろ喜劇タッチの傍筋の方にある。ブラウニング監督は、己れの分身であるピエロのフロソ(ウォレス・フォード)とその恋人のヴィーナス(リーラ・ハイアムス)という、先の強欲二人組とは対照的なカップルを登場させて、彼らを中心にした畸型たちのコミカルな日常を綴っていくのだ。



ヒルトン姉妹

 まず登場するのがヒルトン姉妹。腰で繋がったシャム双生児のこの姉妹は、体は一つだが、まったくの別人格として暮らしている。それぞれが互いのプライバシーに干渉しない。だから、妹のヴァイオレットが求婚されている間、姉のデイジーは後ろを向いて(腰で繋がっているから当り前なのだが)、本でも読みながら無関心を装っている。だけど、ヴァイオレットがキスされるとデイジーもうっとりする。やはり感情面でも繋がっているのだ。

 そんなデイジーは既に結婚していて、夫に扮するのがロスコ・エイツ。この人は異形ではないが凄まじい吃りで、コミカルな場面に花を添える。とにかく嫉妬深くて、しかも妹のヴァイオレットと仲が悪い。だから始終怒っているのだが、吃りがひどくて何を云ってるのかさっぱり判らない。ヴァイオレットの婚約者と交わした挨拶が傑作だ。
「ここここ今度ぜひ、ああああ遊びに来て下さい」。
「貴方こそ遊びに来て下さい」。
 しかし、二人が住むのは同じ家なのである。

 ところで、ヒルトン姉妹にはもう一つ『チェインド・フォー・ライフ』という主演作がある(51年製作)。断片的に観たことがあるのだが、要するに、片方が人を殺し、二人で被告席に座る、というトンデモない物語だ。



オルガ・ロデリック

 さて、お次は「生きる屍」ことピーター・ロビンソン。強制収容所に居た人たちよりもガリガリだが生きている。否。それどころか精力絶倫で、「髭女」ことオルガ・ロデリックを妊娠させて、怪力男ヘラクレスから、
「やるなあ、おい」。
 とか云われて照れる。それで、生まれた子供がやっぱり髭もじゃで、駆けつけたフロソが、
「どっちだい?」。
「女の子だよ」。
「じゃあ、この子も髭女だ」。



ジョセフィーヌ・ジョセフ

「半陰陽(ふたなり)」のジョセフィーヌ・ジョセフは以前、写真週刊誌に「本物の両性具有者!?」とのキャプションと共に写真が掲載されたことがあったが、この人はフリークスというよりも、そのように育てられてしまったという感じだ。アシュラ男爵のように左半身が男で右半身が女なんて医学的にありえない。顔からすれば、本当は女なのだろう。



クークー

 クークーはおそらく猿似症。顔が鳥のようなのでこんな名前をつけられて、鳥の衣装で踊り狂う。この踊りがスゴイんだな。見れば諸君もたちまちクークーのファンになること請け合いだ。



スノー姉妹とピエロのフロソ

 可愛いエルヴァイラとジェニー・リーのスノー姉妹は小頭症。まるで小猿のように、いつも何かを耳打ちし合いながら愛嬌を振りまく。



シュリッツ

 負けず劣らずの愛嬌者がこのシュリッツくんだ。やはり小頭症で、顔から男であることは歴然なのだが、とんがり頭のてっぺんにリボンをつけられたりして、女の子として育てられている。照れ屋さんでオシャレさん。綺麗な帽子を買ってあげると約束すると、満面の笑みを浮かべてケタケタと。圧倒的な笑顔である。
 この笑顔を見て「誰かに似ているなあ」と思ってはいたのだが、それが誰だか特定できないでいた。最近になってようやく判った。蛭子能収である。



ジョニー・エック

 さて、お次は「ハーフ・ボーイ」ことジョニー・エック。この人はカッコいいなあ。足がないのに走るのだよ。スタタタタタと。早いこと早いこと。怖いこと怖いこと。
 彼に関してはこんなエピソードが『世紀末奇芸談』(リッキー・ジョイ著)で紹介されている。すこぶる面白いので引用しよう。

《ある奇術師が大仕掛けのイリュージョン・ショーの実演の途中で、観客の一人に協力をお願いした。目立たない感じの男が席を立ち、ステージに上がった。男は木製の箱の中に入れられ、おなじみののこぎりで箱ごと体を真っ二つという奇術が始まる。箱の真ん中にのこぎりの刃が通り、楽しい目で見守る観客の前で箱が二つに切り離される。しばらくしてくっつけられると男の体も元通り。会場には割れんばかりの拍手が鳴り響き、男は席に戻っていく・・・・と思いきや、突然、観客が見守る中、男の体はふらっとよろめき、腰から二つに離れてしまう。足は左に歩き続け、胴体は右へのそのそと這っていく。客席からははっと息をのむ声と叫び声。失神して倒れる者が続出し、会場はパニック状態になったため、この手は二度と使えなかった。
 実はこのイリュージョンでは、ステージに上がってきた男を別の二人の男にこっそり入れ替えてしまうのがミソであった。二人のうち一人は有名なジョニー・エック。トッド・ブラウニング監督の映画『フリークス』でスターとなった、下半身のない男である。もう一人は小人で、頭のてっぺんから足の先まで、ズボンをすっぽりとかぶっている。エックが小人の肩に乗り、ころあいを見計らって「落ちる」のである。しかし、最後の決め手になったもの、つまり観客に何よりも本物だと思わせたのは「協力をお願いした男」というのが、実は、正常な体格の持ち主ではあるのだが、ジョニー・エックとは双子の兄弟だったのである》。



ランディアン王子

 舞台に立ったのがジョニーではなくランディアン王子だったならば、観客は失神どころでは済まなかったことだろう。ショック死する者も出たのではないか?。なにしろ「生きる胸像」ランディアンには手足がないのである。彼がのたうちながら前進するさまはまさに芋虫。この世のものとは思えない。彼自身もそのことを十分に熟知しており、撮影の合間にスタジオの闇に潜んで、誰かが来るとのたうちながら姿を現し、通行人を恐怖のどん底に陥れていたそうである。

 以上の他にも「生きるミロのヴィーナス」こと、両手のないフランセス・オコナーなどが出演している。
 ここで私ははたと気づく。身体の畸型には「過剰=のっぽ、でぶ、どこかが大きい」と「不足=ちび、やせ、どこかがない」の2種類があるが、『フリークス』はなんとまあ「不足」の畸型ばかりである。小人だけでも主演のハリー・アールズをはじめ、妹のデイジー・アールズ、アンジェロ・ロシット等、大挙出演している。
『フリークス』には何故に「不足」の畸型ばかりが出ているのか?。
 その答えは、監督のトッド・ブラウニングが抱えるトラウマにあるようだ。

 見世物小屋の呼び込みからキャリアを始め、喜劇俳優として成功したブラウニングは、D・W・グリフィスに見込まれて映画俳優に転身、監督業にも進出した1915年6月16日夜、飲酒運転が災いしてトラックに激突した。助手席にいた俳優のエルマー・ブースは即死。別の車に乗っていた映画監督のアラン・ドワンは、事件をこのように述懐している。
「いったい何が起こったのか判らなかった。しかし、私の友人たちにとんでもないことが起こったことだけは理解できた。誰もがあちこちで自分たちの身体の部品を拾い上げていたんだ」。
 ブラウニングは死にこそしなかったが、内臓に酷い損傷を受け、上半身には穴が空き、右肩ほ骨はグズグズ。そして、ほとんどの歯を失った。
 フロイトによれば、歯は攻撃性、男性性を象徴するもので、従ってペニスに類するものである。つまり、ブラウニングはこの事故で去勢されたのであり、だからこそ彼は「不足」の畸型、特に生まれながらに下半身のないジョニー・エックを可愛がったのだ。


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