本作はボストン絞殺魔の事件の映画化である。名匠リチャード・フライシャーによる硬質な演出が冴える本作は、犯罪映画の隠れた傑作として評価が高いが、現実の事件の映画化であることを考えれば問題が多い。
まず、本作が製作された時点ではまだデサルヴォは係争中であった。にも拘わらず、彼が絞殺魔であると断定している。やはり、これはマズいのではないか?。或る新聞は「映画が法廷よりも先に有罪を宣告するべきでない」と20世紀フォックスを非難した。至極当然な非難だと思う。
また、本作はデサルヴォを多重人格者と診断し、その症状が現れる様を映像化しているが、その診断はあくまで原作者の推理にすぎない。(彼が多重人格者だという見解は、私は他では見たことがない)。
更に、本作はデサルヴォの逮捕後、間髪入れずに製作された。遺族の気持ちを考えれば少々早過ぎはしないか?。
まあ、この種の実録ものはネタが新しければ新しいほど話題になり、集客を見込めるわけであるが、本作に関しては勇み足であったと云わざるを得ない。脚本も混乱している。
前半は、現実の捜査の模様をスプリット・スクリーンの手法を駆使してドキュメンタリー・タッチに描いて行くのであるが、どれもこれも空振りばかり。空振りに終わった捜査の一つ一つをそこまで丹念に描かんでも.....と、事件の概要を知る者としてはヤキモキする。
笑ってしまうのは「超能力探偵」ピーター・フルコスの件である。フルコスの驚異的な能力をさんざん観客に見せつけておいて、15分も引っ張った挙句、ハズレて.....。まあ、事実なのだから仕方がないが、脚本の構成上、フルコスの件はもう少し端折ってもよかったと思う。
後半は、一転して犯人の主観で事件を見つめる。ヒッチコックの『マーニー』を思い出させる実験的なショットが興味深いが、やはり係争中の時点で犯人の主観で描くのには無理がある。手記でも書かれているならともかく、まったくの推測の域を出ないからだ。
しかし、デサルヴォに扮するトニー・カーティスの迫真の演技は特筆に値する。間違いなく彼の代表作の一つであろう。
もう少し脚本を練り上げれば、更に良いものになった筈である。しかし、本作の魅力は、事件後まもないことから生じる困惑と混乱であることも否めない。痛し痒しである。
|