大正4年(1915年)5月7日、岡山県御津郡鹿田村での出来事である。午前7時頃、駐在所に一人の農夫が駆け込み、死体だ死体だ女の死体だあと捲し立てた。落ち着かせて話を聞くと、岡山高等女学校西側の田圃に出向いて積み藁を持ち帰ろうとしたところ、中から悪臭が漂って来る。はて、何だろうと藁を除けると、腐敗した女の死体が出て来たというのだ。
遺体はそれはそれは惨い有り様だった。陰部に竹が突き刺さり、串刺し状態だったのだ。検視解剖によれば胸部にまで達していたという。死後1ケ月は経過しており、直接の死因は絞殺だった。
田圃付近の側溝からは被害者のものと思われる金だらいと櫛、女物の下駄が発見された。
間もなく遺体は鹿田駅前の飲食店の娘、甲(18)であることが判明する。甲は2月中旬の夕暮れ時に、自宅から800mほど離れた銭湯に出掛けたまま行方不明になっていた。両親は娘が家出したと思い込み、世間に知れては娘のためにならないと、これまでは誰にも相談せずに家人だけで行方を探していたのだった。すぐにでも通報していたならば、事件はスピード解決していたやも知れぬ。
数々の聞き込みにより容疑者として浮上したのが乙(18)という不良少年だった。乙は甲が失踪した日の夕暮れに、着衣に藁をつけて帰宅したというのだ。また、甲の友人、丙もその日を境に姿を見せなくなっているのも奇妙だった。
丙もまた事件に関わっているのではないかと直感した刑事は、現場付近で発見された遺留品を丙の家族に見せたところ、櫛と下駄は丙のものであることが判明した。やはり彼女は現場にいたのだ。その後の聞き込みにより、丙が犯行直後に近くの店で新しい草履を買っていることも判明した。
丙は現在、大阪の親類宅に身を寄せているとのことだった。早速、大阪に出向いて尋問したところ、彼女は涙ながらに事件の一部始終を告白した。
その日の夕方、丙は妹をおぶって家の前にいたところ、銭湯帰りの甲に出会い、しばらく立ち話をして別れた。丙が家に入って間もなく、甲が向かった方向から悲鳴が聞こえた。何ごとぞと妹をおぶったまま走り寄ると、積み藁の近くで乙が甲の首を絞めていた。
乙は以前から甲にまとわりつき、今で云うストーカー行為に及んでいたらしい。しかし、相手にされず、腹立ちまぎれに犯行に及んだのだ。いつの時代にも同じような事件があるものだ。
驚いた丙が逃げ出そうとすると、乙がすかさず、
「やい、見やがったな。こうなりゃ仕方がない。他人にしゃべったら、お前も一緒にバラしてやるぞ」
丙が命乞いをすると、
「俺の云う通りにしろ」
已むなく乙の云われるままに甲の両足を持ち上げたところ、乙が竹を陰部に深々と突き刺したというのだ。
いやあ、言葉もないね。
妹は泣き出してしまったという。乙は妹に金を渡すとその場から追いやり、丙を押し倒して陵辱したというから、鬼畜とはまさにこいつのことだ。
丙の供述により乙は逮捕され、否認したまま無期徒刑が云い渡された。丙もまた共犯として予審にかけられたが免訴になっている。丙のその後のことを思うと不憫でならない。
(2009年6月10日/岸田裁月) |