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ジョン・セルビー・ワトソン
John Selby Watson  (イギリス)



ジョン・セルビー・ワトソン

 ジョン・セルビー・ワトソンは、ロンドン南部のストックウェル地区にあるグラマー・スクールの校長だった。就任したのは1845年なので、かれこれ25年も務めている。その間に多くの著作を執筆し、故にひとかどの教育者としての自負があった。ところが、1870年に突然、解雇されてしまう。「同校への進学者の著しい減少」がその理由だった。ワトソンという男は生徒に対しても教師に対しても、恰も石原慎太郎の如く高圧的に振る舞うので、嫌厭されていたのである。

 ワトソンにとって衝撃的だったのは、年金が一切支払われないことだった。25年間の校長としての実績や、数々の著作を通じての社会への貢献は全否定されたも同然だった。もう66歳になろうとしている彼の収入はゼロになってしまったのである。
 これには20歳近くも若い妻のアンが反撥した。
「もう贅沢は出来ないですって? 何云ってんの? 私は贅沢したくてあんたの結婚したんじゃない。どうにかしなさいよ!」
 どうにも出来ないのだよ。もうクビになってしまったのだから。だが、彼女は贅沢を止めなかった。

 1871年10月8日、意識不明に陥ったワトソンが女中のエレン・パインにより発見された。彼は青酸を服用していた。自殺を図ったのだ。
 彼の書斎には2通の手紙が残されていた。1通は女中に宛てたもので、中にはそれまでの給金が収められていた。もう1通は主治医に宛てたもので、妻アンを銃床で撲殺した旨が赤裸裸に告白されていた。
 彼女は寝室で、2日前に殺害されていた。

 かくして、ジョン・セルビー・ワトソンは殺人容疑で有罪となり、死刑を宣告された。その後、精神異常が取り沙汰されて終身刑に減刑されたが、ブロードムーアに送られることなく、パーカスト刑務所に収容されて、1884年7月6日にハンモックからコケて死亡した。80歳だった。

(2012年11月13日/岸田裁月) 


参考資料

『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)
http://www.murder-uk.com/
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Selby_Watson
http://suite101.com/article/parkhurst-people---the-rev-john-selby-watson-murderer-a351193


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