1949年8月12日、ロンドン北西部のセント・ジョンズ・ウッドでマリオン・ウォード(3)が行方不明になった。彼女は自宅の居間で、隣りの家のステファニー・ティアニー(6)と遊んでいたのだが、母親のベイジルが買い物から帰宅するといなくなっていたのだ。ステファニーによれば、
「あの子は自分でお外に出て行ったんだよ」
とのことだった。
3日後、マリオンの遺体が空爆を受けた建物の跡地で発見された。死因はハンマーによる撲殺である。性的に虐待された痕跡はなく、近くには女ものの足跡が残されていた。
隣人のノラ・ティアニー(29)は当初から疑わしかった。隣りの子供が殺されたというのに捜査に非協力的で、受け答えがつっけんどんなのだ。彼女が履いていた靴は、現場に残されていた足跡と一致した。そのことを告げられると、彼女は突然、泣き出して、このように供述した。
「殺したのは夫のジェイムスです。私、見ていました」
だが、ジェイムスには完璧なアリバイがあった。また、彼女の爪先からはマリオンの衣服と同じ繊維が発見された。
かくして、ノラ・ティアニーは殺人容疑で有罪となり、死刑を宣告された。その際、彼女は判事に微笑みかけたと伝えられている。マトモじゃないね。
犯行の動機はさっぱり判らなかった。故に彼女は精神異常と診断されて、ブロードムーアに収容された。その後の行方は判らない。
(2012年11月13日/岸田裁月)
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