エドワード・スマート(35)は人生に絶望していた。死んでしまいたかったが、自殺する勇気がなかった。そこで人を殺すことにした。そうすれば死刑になるからだ。殺してもらえるのだ。
1879年4月2日、ブリストルの下宿を出たスマートは、上着のポケットにハンマーとナイフを忍ばせていた。殺す相手は誰でもよかった。
彼がまず向かったのは貧相なコテージだった。ドアを叩き、顔を出した中年女性に「水を一杯頂けませんか」とお願いした。親切な女性が水を持って来たところでハンマーで殴る算段だったのだが、屋内から子供たちがゾロゾロと溢れ出た。さすがにこの子たちの前でお母さんは殺せない。水を一気に飲み干して礼を云うと、次なるターゲットを探し始めた。
まごまごしているうちにソーンベリー城に辿り着いた。現在はホテルになっているが、当時は下院議員スタッフォード・ハワードの住居だった。入口では2人の子供が遊んでいる。どちらかを殺してしまおうと近づくと、またしてもゾロゾロと人が集まって来た。今度は大人なので目的を遂げることは困難だ。そしらぬフリして通り過ぎると、次なるターゲットを探し始めた。
やがてひと気のない通りに差し掛かった。弱ったなあ、誰もいないじゃん。困惑していると、背後から足音が聞こえた。若い女性だ。これなら容易く目的が遂げられる。彼は歩くペースを緩め、彼女が追いつくのを待って襲い掛かった。ハンマーで頭を5回殴打し、ナイフで喉を切り裂いたのである。そして、遺体の脇に座り込み、血の海が広がるさまを眺めながら、誰かが通るのを待ったのだ。
最初に通りかかったのはチャールズ・コックスという行商人だった。生まれて初めて見る光景に仰天し、スマートに訊ねた。
「いったい何があったんですか!?」
スマートは答えた。
「私が殺しました」
コックスは訊ね返した。
「でも、どうして!?」
スマートはしばらく考えて、答えた。
「私にもよく判りません」
被害者はルーシー・デリックという名前だったが、そんなことはスマートにとってはどうでもいいことだった。
かくして逮捕されたエドワード・スマートは、1879年5月12日に絞首刑により処刑された。望み通りに死ねてめでたしめでたし、と云いたいところだが、とばっちりで殺された方は堪ったもんじゃない。どうにかならんかね、こういう輩は。
(2012年11月10日/岸田裁月)
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