クリストファー・シムコックスは死刑を2度宣告されて、その執行を2度猶予された誠に奇特な人物である。
シムコックスは1909年、イングランド中部のウエスト・ミッドランズ州スメスウィックで生まれた。とにかく気性の激しい男だった。DVが故に最初の妻には逃げ出され、2度目の妻は殺してしまった。そして、死刑を宣告された。1948年初頭のことである。
ところが、死刑の執行直前に死刑に関する法律が改正されて、シムコックスを含む26人の死刑囚の刑の執行が猶予された。かくしてシムコックスは10年後に仮釈放された。
1962年、シムコックスは3度目の結婚を果たす。妻のルビー・アイリーンはおそらく彼の前科を知らなかったのだろう。知っていれば、こんな男と結婚する筈がない。そして、彼女もまたDVが故に逃げ出した。
1963年9月20日、ルビーの実家を襲ったシムコックスは、殺人未遂及び銃器不法所持等の容疑で逮捕された。その後、裁判を待つまでの間、ルビーに近づかないことを条件に保釈が認められたわけだが、これがいけなかった。この男は既に妻を1人殺しているのだ。マトモではないのだ。
1963年11月11日、ライフルで武装したシムコックスは再びルビーの実家を襲った。
「ルビーは何処だ!?」
姉のヒルダ・ペイトンは答えた。
「ここにはいないわ。兄さんの家にいるの」
シムコックスは彼女の頭を撃ち抜いて殺害すると、兄の家へと向かい、彼とルビーに発砲した。幸いにして2人は一命を取り留めた。
その後、シムコックス銃口を己れの胴体に向けて引き金を引き、自殺を図った。だが、死に切れなかった。
下半身不随の状態になったシムコックスには死刑が宣告されたが、時の内務大臣が車椅子の囚人を絞首刑に処すのは忍びないと、刑の猶予を決定した。かくしてシムコックスは2度に渡って死刑を猶予されて、1981年に71歳で死亡したと伝えられている。死亡時に獄中にいたか否かは不明である。
(2012年11月9日/岸田裁月) |