1885年2月28日早朝、バーミンガム近郊の町、ベオリーの養鶏場付近でジェイムス・デイヴィス巡査(33)の遺体が発見された。彼はナイフで40ケ所以上も刺されていた。当然ながら、辺りは血の海である。
容疑者として浮上したのは鶏泥棒の常習犯、モーゼス・シュリンプトン(65)だった。おそらく巡査は警邏中にシュリンプトンを見咎めて、捕縛しようとして殺害されたのだろう。
1ケ月後の3月24日、シュリンプトンはバーミンガムの木賃宿に潜伏しているところを逮捕された。その衣服には血が付着し、所持していたナイフは凶器のそれと一致した。また、その靴も現場に残されていた足跡と一致した。かくしてシュリンプトンは殺人容疑で有罪となり、死刑を宣告された。
さて、この事件が特筆に値するのはここからである。
絞首刑においては、縄の長さを誤ると首を切断してしまうことが稀にある。ウィキペディアによれば、英国では以下の3件で切断している。
モーゼス・シュリンプトン:1885年5月25日 ウスターシャー
ロバート・グッデイル:1885年11月30日 ノーリッジ
ジョン・コンウェイ:1891年8月20日 リヴァプール
本件の犯人がその筆頭に挙げられていたのだ。しかも、3件の死刑執行人はすべて同一人物だ。ジョン・リーの珍事でお馴染みのジェイムス・ベリーである。1885年2月23日に執り行われたリーの処刑では、何度試みても落とし戸が開かず、結局、特赦により終身刑に減刑されたのだが、その後は立て続けに首を切断していたのだ。殺せなかったり、かと思えば首をちょん切ってしまったりと、随分とにぎやかな人である。
(2012年11月9日/岸田裁月)
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