ジェイミー・ラウスは1978年、テネシー州ナッシュヴィル郊外の小さな町、リンヴィルで生まれた。トラック運転手の父親は大酒飲みで、ジェイミーは何かと殴られた。そのために彼は内向的な少年に育ち、学校でも何かとイジメられた。地元のリッチランド高校に進学してからも、なかなかクラスに馴染めなかった。否。むしろ疎まれていたと云ってもよい。いつも黒い服を着て、デスメタルばかりを聴いていたジェイミーは、この保守的な町では異端者だったのである。
切っ掛けが何だったのかは具体的には判っていないが、とにかくジェイミーが学校に、特に教師に対して猛烈な怒りを抱いていたことは確かである。彼が標的にしたのは全て教師だったのだ。おそらく、事前に生活指導か何かを受けたのではないだろうか。態度を改めよ、と。デスメタルなんか聴かずに教会に通えよ、と。
1995年11月15日朝、友人が運転する車でリッチランド高校に登校したジェイミー(17)は、22口径のライフルを携えていた。彼は廊下にいた教師のキャロライン・ヤンシー(50)とキャロライン・フォスター(58)の頭に向けて続けざまに発砲した。その場にいた50人以上の生徒たちは騒然となった。次いで標的になったのはフットボール・コーチのロン・シャーリーだった。だが、弾は逸れて、生徒のダイアン・コリンズ(14)の喉に命中した。その後、ジェイミーは男子生徒たちに取り押さえられ、身柄を警察に引き渡された。
キャロライン・ヤンシーは一命を取り留めたが、キャロライン・フォスターとダイアン・コリンズは助からなかった。
ちなみに、皮肉なことに、ダイアン・コリンズはジェイミーの数少ない友人の妹だった。
かくして、1件の第1級殺人と1件の第2級殺人、そして1件の第1級殺人未遂の容疑で有罪になったジェイミー・ラウスは、仮釈放なしの終身刑を宣告された。
獄中でジェイミーはインタビュアーに対して「現実感がなかった」と答えている。そして、
「あなたを学校に送った友人は、あなたがライフルを携帯していることを知っていたんですよね?」
との問いには、このように答えている。
「『じゃあ、本当に殺るんだな?』って訊かれたよ。ああって答えたけど、今思うに、俺は止めて欲しかったんだろうな」
(2012年12月18日/岸田裁月)
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