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エヴァン・ラムジー
Evan Ramsey (アメリカ)



エヴァン・ラムジー

 エヴァン・ラムジーは1981年2月8日、アラスカ州アンカレッジで生まれた。父親のドン・ラムジーは1986年10月に、アサルトライフルと44マグナムで武装して「アンカレッジ・タイムス』紙本社に立て籠って逮捕された。動機は「彼の政治的意見が紙面に反映されなかった」からだった。ドンには10年の刑が云い渡されたわけが、彼が釈放されたのは、息子のエヴァンが殺人を犯す数週間前だった。

 かくして、僅か5歳で父親を失ったエヴァンのその後はボロボロだ。母親は酒に溺れ、多くの男と関係を持った。3人の息子たち(エヴァンは次男)は母親からはネグレクトされ、母親の彼氏からは足蹴にされて育ったのだ。
 7歳の時に児童養護施設に収容されるが、兄のジョンとは引き離されてしまう。そして、そこでも毎日のようにイジメに遭い、10歳の時には自殺を図っている。
 なお、兄のジョンはエヴァンが殺人を犯す1週間前に強盗を働いて逮捕されている。しかし、おそらくエヴァンはそのことを知らなかっただろう。

 やがて、エヴァンはベセル高校に進学するが、ここでもイジメは相変わらずだった。毎日のようにイジメっ子から罵声を浴びせられた。
「低能(retard)」
「とんま(spaz)」
「ノータリン(braindead)」
 こんな人生を送っていては、どうにかなって当り前だ。いつか何かが起こるに決まっている。そして、遂にその日は訪れたのだ。

 1997年2月19日、エヴァンは養母の家からくすねたショットガンを携えて登校した。そして、3人のイジメっ子に発砲した後(うちのジョシュ・パラシオスは即死)、校長室へと向かい、校長のロン・エドワーズにも発砲し、死に至らしめた。
 その後、エヴァンは顎の下に銃口を当てて自殺を試みたが、引き金を引くことが出来なかった。
「まだ死にたくなかったんだ」

 かくして、2件の殺人と2件の殺人未遂で有罪となったエヴァン・ラムジーには210年の刑が云い渡された。仮釈放が認められるのは2066年以降である。

 この事件で興味深いのは、20人近くの生徒が事前にエヴァンの犯行を知っていた事実である。特に2人の生徒はショットガンの使い方の手ほどきをしたりしている。彼の犯行はイジメられっ子の間では「公認」だったのだ。
 我が国では酷いイジメが遭った場合、被害者の自殺という形で幕を迎える。ところが、銃社会であるアメリカでは、銃による報復という形で幕を迎えるのだ。どちらが良いかと問われれば、私は、
「ヤッちまえ!」
 と思ってしまう。不謹慎で申し訳ないが、イジメ問題に関しての正直な気持ちである。
 自殺することはないんだよ。
 ヤッちまいなよ!(殺せという意味ではない)

(2012年12月20日/岸田裁月) 


参考資料

http://en.wikipedia.org/wiki/Bethel_High_School_shooting
http://www.trutv.com/library/crime/serial_killers/weird/kids1/index_1.html
http://murderpedia.org/male.R/r/ramsey-evan.htm


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