1983年1月20日、ミズーリ州セントルイス近郊のパークウェイ・サウス・ミドル・スクールでの出来事である。
その日、
デヴィッド・F・ロウラー(14)は2挺の拳銃と100発の銃弾を携えて登校した。拳銃は父親から無断で拝借したものだが、銃弾はクリスマスのプレゼントとして彼に与えられたものだった。どうしてそんなものを未成年の子供に与えるのか理解に苦しむが、
「まあ、アメリカだから」
と納得するほかない。
ロウラーが教室に入ったのは午前11時55分頃、昼休みの直前のことである。彼は間髪入れずにランドール・コガー(15)とグレッグ・パーマー(15)に続けざまに発砲し、騒然とする同級生に向けてこのように叫んだ。
「二度と兄貴をプッシーとは呼ばせないぜ!」
(No one will ever call my brother a pussy again.)
そして、ロウラーは銃口を己れのこめかみに当てて引き金を引いた。云うまでもないが、即死だった。
病院に搬送されたパーマーは奇跡的に一命を取り留めたが、コガーは助からなかった。
ロウラーは以前からコガーとパーマーの両名が、病弱な兄を「プッシー(女性器の俗称)」呼ばわりしていたことに腹を立てていた。そのことが犯行に結びついたとしか考えられないのだが、もっと他に解決法はなかったのか? いくらでもあった筈なのだが、銃で解決してしまう辺りは、
「まあ、アメリカだから」
と納得するほかない。
(2012年12月16日/岸田裁月)
|