キャサリン・フラナガン(左)
マーガレット・ヒギンズ(右)
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1884年3月3日、リヴァプールにおいて2人の女性が絞首刑により処刑された。キャサリン・フラナガン(55)とマーガレット・ヒギンズ(49)の姉妹である。彼女たちはマーガレットの夫、トーマス・ヒギンズ(45)を殺害した容疑で有罪となり、死刑を宣告されたわけだが、この他にも少なくとも3人を殺していると見られている。
彼女たちがどのような出自で、どのような暮らしを送っていたのかは判っていない。とにかく、1880年頃にリヴァプールのスカーヴィング・ストリートで下宿屋を始め、そこの同居人が続々と死亡したのである。
まず死亡したのはキャサリンの息子、ジョン・フラナガン(22)だった。急な腹痛と嘔吐に見舞われ、苦しみ抜いて死亡した。1880年12月のことである。彼には70ポンドの生命保険が掛けられていた。
1882年10月、マーガレットは下宿人のトーマス・ヒギンズと結婚したが、その数ケ月後、トーマスの娘のメアリー・ヒギンズ(8)が死亡した。その症状はジョン・フラナガンと同じだった。やはり彼女にも生命保険が掛けられていた。
1883年1月には下宿人のマーガレット・ジェニングス(19)が死亡した。その症状は云わずもがな。親族でもなんでもない彼女にも生命保険が掛けられていたので、この辺りで地元警察は姉妹の犯行に気づくべきだった。
そして、1883年9月、トーマス・ヒギンズが死亡した。このたびはヒギンズの親族が警察に願い出て、検視解剖が行われたために悪事が露見した次第である。死因は砒素中毒だった。
キャサリンとマーガレットの姉妹は、同居人に砒素を盛ることでこれまで暮らして来たようだ。実の息子にまで盛るのだから呆れてしまう。その年齢を考慮すれば、犠牲者は4人では済まないだろう。おそらく十数人に及ぶのではないだろうか。
(2012年10月11日/岸田裁月)
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