マイケル・カーネル
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1997年12月1日、ケンタッキー州パデューカでの出来事である。
その日の朝、マイケル・カーネル(14)は2挺のライフルと2挺のショットガンを毛布に包んで脇に抱え、姉と共にスクールバスに乗り込んだ。友人に「それは何だ?」と訊かれると「美術の授業の工作だよ」と答えて胡麻かしたという。ちなみに、これらの銃は隣家のガレージから盗んだものだった。
また、バックパックの中には、父親から拝借した22口径の自動拳銃が収められていた。
午前7時45分頃、ヒース高校に到着したカーネルは、耳栓をすると、バックパックから拳銃を取り出して、校庭で祈祷会を催している生徒たちに近づいた。そして、彼らが最後の祈りを捧げた直後に銃を発砲し始めた。これにより3人が死亡し、5人が重傷を負った。
ジェシカ・ジェイムス(17)
ケイシー・スティガー(15)
ニコール・ハドレー(14)
10発の銃弾を撃ち尽くした後、カーネルは我に返ったかのように拳銃を手放し、祈祷会のリーダーに向かってポツリと云った。
「僕を殺してくれ。こんなことを僕がしたなんて信じられないよ」
(Kill me, please. I can't believe I did that.)
イジメられっ子のカーネルには精神医療施設への通院歴があった。統合失調症を患っていたのだ。また、オルタナティヴ・ミュージックを好んで聴き、いつも黒い服ばかり着ていた彼は、周囲の生徒から悪魔主義者だと思われていたようだ。自らも無神論者であることを公言しており、この辺りに祈祷会を狙った理由があるのかも知れない。
結局、マイケル・カーネルは3件の殺人等の罪で有罪となり、終身刑を宣告された。仮釈放は25年後、つまり2023年までは認められない。現在の写真をネット上で見ることが出来るが、既におっさん面である。
(2013年1月2日/岸田裁月) |