1805年にロス=オン=ワイの農家で生まれたメアリー・アン・バードックは、極めて魅力的な女性だったと伝えられている。だからこそ田舎の主婦になることを拒み、家出同然でブリストルまで出て来たのだろう。まだ十代の頃のことである。当初は肉屋かなんかの従業員をしていたようだが、盗みが発覚してクビになり、その後は何人もの男を転々として金をせしめていたようだ。
1833年頃のメアリーは、なんと下宿屋を営むまでになっていた。当時の愛人はチャールズ・ウェイドという貧乏な水夫。つまり、これまでは愛人に貢いでもらっていたのだが、今では愛人に貢ぐほどに成功したというわけだ。ところが「自分の店を持ちたい」というウェイドの望みを叶えてあげられるだけの資金はなかった。
はて、どうしたものかしら。
彼女は下宿人の一人、クララ・スミス(60)という未亡人に目をつけた。噂では何千ポンドものキャッシュを持っているという。これをどうにかちょろまかしたい。メアリーは他の下宿人を通じて、密かに砒素を入手した。
1833年10月23日、スミス夫人が風邪をひいて寝込んでしまった。これ、絶好の機会とばかりに、メアリーはたっぷりと砒素を混入したお粥を夫人に提供し、
「早く治って下さいね」
治す気なんかさらさらないんだけどね。
夫人は立ちどころに具合が悪くなり、体中を痙攣させて、数時間後には死亡した。なお、夫人の小間使いをしていた少女は、メアリーがお粥に黄色い粉を混ぜていたのを目撃している。おいおい、こっそりと盛れよ。
かくして、愛しいチャールズ・ウェイドの望みを叶えてあげられるだけの資金をメアリーは手にしたわけだが、殺人により手にした幸せは長くは続かないものだ。ウェイドは翌1834年4月に病気でポックリと逝ってしまったのである。そして、自らもスミス夫人の遺族から告発されて、死刑を宣告されるに至ったのだ。
メアリー・アン・バードックの処刑は1835年4月15日に執行された。5万人もの観衆が詰めかけたと伝えられている。三十路そこそこの別嬪さんが処刑されるとあって、皆が興奮していたのだろう。
(2012年10月6日/岸田裁月)
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